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15章 祈り(後)

35話 さまよえるイリアス(1)

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 ……アス、イリアス……。
 
(…………)
 
 呼ぶ声が聞こえる。
 
 ――ああ、まただ。
 
 最近、"あの頃"の夢ばかり……。
 
 ――――…………
 ――……
 ……
 
 
「イリアス。……少し話があるのだが、いいかな?」
「はい」
 
 シモンから光の塾の司教"ロゴス"を引き継いだが、僕は光の塾の本部には戻らなかった。
 雑事やのほとんどはフェリペにやらせ、僕自身は前と同じにミハイールの教会で過ごしている。
 月に一度くらいだけ"ロゴス"に戻り、偽神ニコライに"食事"をさせる。
 
 ――そういうことを1年くらい繰り返していたある日のこと。
 僕はミハイールに呼び出され、彼の執務室へ。
 ここへ通されるのは初めてだった。彼に飲み物を出すのも執務室を掃除するのも専用の係がいる。
 それに個別に呼び出されたこともない。
 
 ――一体、何の用事だろう。
 まさか僕の所業を知られたのか……?
 
「先生。お話とは何でしょう」
「うん。実は、私はここを去ることになったんだ」
「え……?」
 
 驚き、ソファーの対面に座っているミハイールを凝視してしまう。
 それを見てミハイールはにこりと笑う。
 彼の"樹"に、また新しい葉がつく。"寂寥せきりょう"を表す葉だ――一体、何を寂しく思うことがあるのか……。
 
「……枢機卿すうききょうに任命されたんだ。王都へ行くことになる」
「枢機、卿……」
 
 単語を復唱すると、ミハイールは苦笑いをする。
 
「前々からそういう話があったんだけれど、ずっと断っていたんだ。司教に任命された時も、かなり粘ったんだが……」
「断る? なぜです。先生は立派な方です、枢機卿になるのが遅すぎたくらいです。なんで出世したくないんですか」
 
 ――語気が強めになってしまった。
 落ち着かせるため、テーブルに置いてあるハーブティーを一口飲む。
 孤児やシスター達と育ててきたハーブを使ったものだ。味も香りも良い。
 しかし気分は全く落ち着かず、逆に心臓が脈打つ。
 
「私にはその資格はないからだよ」
「………………、そんなことはないでしょう。なぜ、ご自分を卑下なさるのです」
「私が聖職者になったのは、償いのためなんだ」
「……!」
 
 ――"償い"。
 ああ、あのことを言う気だ……。
 
「実は私は、殺人で服役していたことがあるんだ」
「…………」
「……もしかして、知っていたかな」
 
 僕の反応が薄いのを見てか、ミハイールがそう問うてきた。僕は静かにうなずく。
 
「……先生を悪く言う人間がいて、その人が吹き込んできました」
「……そうか……」
「……でも、恩赦されたと聞きました」
「ああ、そうだ。10年ばかり服役して、刑期を終えようとしている時のことだ」
「刑期もほとんど終わって、恩赦もされた。それから何十年も経っている……もう、償いは終わっているのではありませんか」
 
 ――シモンにミハイールのことを吹き込まれてから、事実を確認するため事件当時の新聞記事を読んだ。
 殺された男は権力を笠に着てやりたい放題で、方々ほうぼうから恨みを買っていた。
 ミハイールの恋人の死に様はひどいものだった。ミハイールの犯行は計画的で残忍そのものだったが、ああしてしまうのも仕方がない……と同情が集まり、情状酌量の余地が認められた。
 
「償いは終わっていないよ、イリアス」
「なぜです? そんな"葉"、捨ててしまえば……」
「……葉?」
「! ……いえ……」
 
 彼の"樹"には、赤黒く朽ちたような"葉"がくっついている。
 今にも落ちそうな脆弱な葉なのに、絶対に落ちない。あの葉は何だろうとずっと考えていた。
 だが、今ようやく理解した。あれは、彼の罪の意識、そしてかつて抱いた強烈な憎悪の残滓ざんし
 この人は、自分が感じた気持ちや心を捨てない。ずっとその中に抱き続けている。
 
 ――なぜなんだ。
 そんな汚いもの、後生大事に持っておく必要はないだろう。
 あのニコライ・フリーデンのように、自分に不都合なものはさっさと捨てて、「何のことだろう」などと素知らぬ顔をすればいいじゃないか。
 
 ……そうやって、早く僕を失望させてくれればいいのに……。
 
「……ありがとう、イリアス」
「!」
 
 葉のことを言ったきり黙りこくってしまった僕に、ミハイールが声をかける。
 
「私の償いは終わっていないよ。だって私は、自分の行動を悔いていないのだから」
「でも……」
「イリアス。"罰"というのは、罪を自覚したときにようやく下るものだよ。ミハイール・モロゾフの罰は、未だ始まっていない」
「………………」
「ああ、すまない。くだらない話をした。それで、さっきの話の続きなんだが……」
 
 ミハイールの話は、僕の進路についてだった。
 僕は18歳――成人を迎えた。だから、修道士になれる。
 教会有する孤児院で育った孤児が修道士になる場合は、それまで属していた教会とは別の所で修行を積まなければいけない。
 だから自分がその教会を見つけておいたというものだった。
 
「君はとても優秀だから、どこでも重用されると思う。すぐに助祭じょさい、そして司祭になれるはずだよ」
「………………」
「イリアス?」
「……申し訳ありません、ボーッとしてしまって。今までお世話をしてもらったばかりか、進路まで斡旋あっせんしていただき……先生には感謝の言葉もありません」
 
 立ち上がってからそう言って頭を下げると、ミハイールは微笑を浮かべながら立ち上がり、「がんばりなさい」と手を差し出す。
 その手を取ると、ミハイールの"樹"にまた新たな"葉"がつく。
 寂しさや、親愛や、祝福……そういう感情を示す"葉"だ。
 
「………………」
 
 この人の樹は、ニコライの汚い樹とは違う。
 もちろんこの人にもけがれはある。枝も葉もこずえも決して綺麗なものではない。
 だがそこには、彼が人生で積み上げてきた確かな歴史があった。
 
 それを見るのが、好きだった――。
 
 
 ◇
 
 
『――ご苦労様。もうお前は出てこなくていいよ』
「…………」
 
 出番が終わった"孤児イリアスが舞台袖に引っ込むと、"天使ヨハン"が声をかけてきた。
 今から、こいつが舞台に出る。
 
 司教ロゴス――シモンが死に、その力と記憶を受け継いでからというもの、僕達の身の振り方も変わった。
 天使ヨハンは"司教ロゴス"の役を演じる。
 そして孤児イリアスはミハイールの教会でそれまで通り、無為に過ごす。だが……。
 
『ミハイールがいなくなる。お前はこの教会を出る。お前はお役御免というわけだ』
「……でも、先生が、教会を」
『修道士になるつもりか? 女神への信仰なんてないくせに、笑えるよ』
「…………聖職者なら、"この身は神に捧げた"とでも言えば、恋愛も結婚も、気色の悪いも避けられるじゃないか」
『……ふうん、まあ、好きにすればいいけど。でもやっぱりお前の出番は終わりだ。ボクが"ロゴス"をっているのと同じに、お前も新しい役をやれよ』
「新しい役……?」
『そう。孤児イリアスは端役だ。端役には重大なセリフも場面も用意されない、そしていつまでも舞台に出ない。消えたくなければ、もっと舞台に出るのにふさわしい"ひとつ上の役"をやってみせろよ。そうすればきっと、ミハイール先生も喜ぶだろうなあ。フフッ』
「…………」
 
 こうして、ミハイールの教会を出た"孤児イリアス"は新たな役を演じることになった。
 ヨハンが言うところの、"ひとつ上の役"というやつだ。
 そいつは信仰心も法力も高い。常に笑顔を絶やさず、物腰は柔らかで親切だ。
 すぐに助祭、そして司祭の位を授かることができた。数年後、ミハイールの推薦を受け聖銀騎士団の顧問司祭に。
 もはやその頃には、孤児イリアスも天使ヨハンもいなくなっていた。
 舞台上では常に"司祭イリアス"か"司教ロゴス"が立ち回っている。
 それが当たり前。……だが、どの自分も偽物だ。この器は神様だけのもの。
 
 いつかこの身に神がお帰りになるまで、僕達は自分を演じ分けながらこの器を守り抜こう――。
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