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15章 祈り(後)
43話 縁(2)
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「く……っ、ううう~~」
「が、がんばって、ジャミル君……」
「…………?」
セルジュと話をしたあと。
砦の奥にある練習場に行くと、ジャミルがいた。使い魔に両手をかざし、何事か念じている。
そばではカイルとベルナデッタがその様子を見守っている。
「……何をしているんだ?」
「あっ、隊長」
「兄貴がさあ、使い魔を、鳥以外の形態に変化させられないかって試してるんだけど……」
「……鳥以外は得意じゃなさそうだな」
「だなあ……」
カイルが苦笑いをしながら肩をすくめる。
ウィルは主人の精神状態に合わせて鷹やカラスなどに変態をする。
だが、精神がフラットな時に別の生き物の形態に変化させることは難しいらしい。
ウィルは主人が命じるごとに、馬や小さい竜のような"何か"になってみせるが、形が一定しない。質感も泥やスライムのようだ――実用していくにはもっと時間と鍛錬が必要だろう。
「こ……今度は……、どうだ?」
ジャミルが唸りながらウィルに手をかざすと、今度は人の形になった。しかし、やはり質量はない。霧や煙の集合体といったところか……。
「どうだ」と問われたカイルは、渋い顔をして頭をワシワシと掻く。
「んん……駄目じゃないかな。……役に立つとは、とても……」
「そっか……そう、だよな……」
いい答えは想定していなかったようで、ジャミルは大きく溜息をつきながら芝生に寝転がった。
小鳥の姿に戻ったウィルが主人の元にちょこちょこと歩いていき、抗議するようにこめかみ辺りを数回つつく。
「いて、いてえっ! ……悪かったよ、急にこき使っちまってよ……」
「……ジャミル、身体の具合は? 今、ずいぶん魔法を使っていたようだが」
「そうだな、なんともねえ。……上級魔力回復薬飲んで寝たからかな」
「それならいいが。あまり無理するなよ」
「分かってるって。肝心な時に倒れちゃ元も子もねえもんな」
「……そうじゃなくて、心配して言っているんだが」
俺の言葉にジャミルは目を丸くして、「そっか、ごめん」と頬を掻きながら笑う。
――朝、いつものように砦の掃除をしていると、夜勤明けのジャミルがフラフラの状態で帰ってきた。
大丈夫かと問うも、返事は息を吐き出すような「ああ……」という声のみ。呼吸が荒く、視線は定まらない……どう見ても、ただの仕事疲れではない。
そのままジャミルは意識を失い倒れてしまった。魔力欠乏症だった。
意識を取り戻したジャミルのもたらした情報に、砦は騒然となった。
仕事帰り、ジャミルは"赤眼"となったイリアスと出会った。
危害を加えてはこないが、怒りを煽り立てることばかりを言ってきたという。
だが、次第にイリアスの様子がおかしくなっていった。
ジャミルはそれをウィルに記憶させた。夜の会議でそれを俺達に聞かせるということだが……。
「……会議は8時。隊長室で」
「ん、分かった。……兄貴は寝てた方がいいんじゃないの? また鳥使うんでしょ」
「そうだなあ……」
「あのう、会議って、あたしは……」
「男だけ集まってやるから、ベルは普通に過ごしててくれよ」
「で、でも」
「聞かねえ方がいいんだ……そうしてくれ」
そう言ったあとジャミルは寝返りを打ち、俺達から顔をそらしてしまった。
◇
「時間だな。始めよう。……みんな、座ってくれ」
夜8時、隊長室。
予定通り俺とカイル、ジャミル、セルジュの4人だけ集まった。
応接のソファに腰掛け、ウィルが記憶したイリアスの声を聞く――。
『おい。冗談じゃないんだよ、お前。このボクを憐れもうっていうのか? ふざけるなよ!!』
『ボクの樹の根元の"地面"は、ずっと渇いている。けど……人の希望を刈り取る時だけ、その渇きが潤うんだ……!』
『憎いなら殺せ、憐れに思うのならば殺せ! "死"以外に憎悪の感情を片付けられるものは存在しないのだから……!!』
「………………」
音声のみだったが、異様さを理解するには十分すぎるものだった。
ジャミルがこれを女性陣に聞かせたくないと思うのも無理はない。
――俺達の見立て通り、イリアスは心に複数の"自分"を持つ多重人格者だった。
だが、そのうちの"ロゴス"という名と人格を捨てたため自己を統制できなくなったらしい。
最初はジャミルと話をしていたが、2つの人格が入れ替わり立ち替わり表に出るうちにお互いの主張が食い違い始め、ついには罵り合いを始めてしまう。
常軌を逸したそのやりとりに耐えられず、ジャミルはウィルに助けを求めた。
ウィルの放った雷のような衝撃でイリアスは気絶。そこへまた、別の人格が現れ……。
「……悪い。ウィルはそいつのことはほとんど記憶してねえみてえなんだ。人を食うような態度は変わりねえけど……なんか、すげえ穏やかっぽい感じだった」
「…………」
ジャミルのその言葉のあと、全員沈黙してしまう。
イリアス同士の罵り合い、シモン・フリーデンへの恨みの吐露、最後に現れた穏やかな人格、そして死に至る覚悟――皆、思考の焦点を当てる場所は様々だろう。
――俺は……。
『闇堕ちとは、過去という影に追い立てられ今が見えなくなり、未来を信じられなくなることです。
そして赤眼とは、苦しみに気づかず誰にも助けを求められない者の救難信号と私は考えます。
暗い意識の海に浮かんだまま彷徨い、やがて過去の思考に引きずり込まれ沈んでいきます』
(……館長……)
「読んでみて」とレイチェルに渡された、テオドール館長の手紙。
内容は赤眼になった俺に関することや、彼なりの"赤眼"の定義づけ。
館長自身が闇に堕ちたことはない。だが、彼の赤眼に関する考えは全てあの時の俺の思考に合致している――。
『赤眼は悲しい存在です。彼らは他者を攻撃しながらそれ以上に自分が傷つき、そうなっても助けの求め方が分からないまま、往々にして、最後は死を望みます』
『憎悪の対象が、勝手に死ぬ。これほど苦しいことはない。僕は憎むべき"悪"を演じてやるから、遠慮無く命を刈り取るがいい。だが、そう簡単に死ぬつもりはない。こっちも全員殺す気でいくから、死ぬ覚悟でかかってくることだ……!』
「……イリアスは……"死"だけを望んでいる……」
頭に浮かんだことを思わずつぶやくと、皆一斉にこちらに目を向けた。
「……や……やるん、だよな……」
「!」
意外な人物が最初に口を開いた――ジャミルだ。
「……そうだ。奴の人となりを知った上で殺す。そのつもりでずっと、話し合ってきた……」
「…………うん」
「あいつは決死の覚悟でやって来る。……なら、こっちもそれに全力で応えるべきじゃないかな。哀れんで手を抜くのは、無礼だよ」
「カイル……」
「カイルの言うとおりだ。情けは無用だ……奴の力が高まっている今、全員が確実に生き残るための策を考えていかないといけない」
「そう、だな。……ごめん、今更こんな」
「気にするな」
そう言ってジャミルの肩に手を置くと、ジャミルは両手を握り合わせてうつむいてしまう。
数拍置いた後に顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「それであの……どうするんだ? アイツ、赤眼になっちまって……しかも新月の夜って」
「……グレン。君は以前、赤眼になっていたというが……」
「ああ……」
――闇堕ち・赤眼になっていたことは、セルジュに打ち明けてある。
その方が話し合いがスムーズになるし、彼になら話しても大丈夫だろうと判断してのことだ。
「その時は……精神状態以外に、何か変化はあったのだろうか。いつもより力が湧いてきたりだとか」
「……そうだな。魔力が高まって、普段なら2、3回ほどが限度だった転移魔法をいくらでも使えた。……転移魔法だけじゃない。限界なくなんでも使えた」
「で、でも、倒れちまったじゃねえか。限度はあるんだろ、やっぱり」
ジャミルがそう言うと同時にテーブルの上にいたウィルがこちらに飛んできて、肩に着地した。どうやら俺を気遣っているらしい。
「……確かに、『限度はない』というのは語弊があるな。正しくは『限度がない気がした』……かもしれない」
キャプテンと対峙したとき、そしてノルデン王女とその側近が来たときに発した強大な魔法の数々。紋章があったとしても、普段の俺にあんなことはできない。
だが、あの時はできた。
力が湧いてきたというわけじゃない。ただ、"できる"という確信だけがあった。
赤眼になった。もう、日常を生きることは叶わない。
……その絶望は力に変わる。
何も思うようにいかない。だが、力だけは思いのまま。
もう自分は人間じゃない。だから、人間では成し遂げられないことができる。
――そうだ。俺は今、なんでもできる。
どこへだって、行ける――……。
「…………。と、思っていたが実際そんなことは全くなくて、身体が力についていかず昏倒したわけだが……」
話の内容にリアリティがありすぎたためか、全員が沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。
「……すまない。だから……イリアスも俺と同じように、禁呪かそれに近い威力の魔法を放ってくるかもしれない、ということを言いたかった」
「隙を作れればいいんだけどな。飛竜で礼拝堂のステンドグラス破って突撃! とか……無理かなあ」
カイルの提案に、セルジュは苦笑いしながら咳払いをした。
「破るのは別に構わないが。……礼拝堂は石造りだ、突撃の際に砕けた石材は、イリアスの武器になってしまわないだろうか」
「あ……そうか。土の術……」
「…………」
思い起こされるのは、アントン一家の庭にあった鋭い土槍。
もしも砕けた石材が奴の魔力によって槍のように研ぎ澄まされ一斉に襲いかかってきたとしたら、飛竜といえど無事では済まないかもしれない。
少なくとも、乗っている人間は鎧を着ていたとしても耐えられないだろう。
その上……。
「私は火の術を使えるが、火は土と相性が悪い。もし君や飛竜の所に土槍や石のつぶてが飛んでいっても、術で対処することはできない」
「そうか……隙を作るどころの話じゃないな」
「……隙……」
「どうした?」
「いや……」
セルジュは組み合わせた手で口を覆い隠し何事か考え込み、やがて顔を上げ、再び口を開く。
「……私は最初、イリアスと何か話をして時間を稼ごうと思っていた。だがイリアスには人の感情を示す"樹"が視えている。……策謀は全て見抜かれるということだろうか」
「ああ。……推測するに、視える力は俺やルカよりさらに強力なようだ。心を読んでいると言っても過言ではないかもしれない。演技は見抜かれる。だが……」
「だが?」
「あいつは以前、『自分は観劇が好きだ』と言っていた。見え透いた嘘でも乗ってくる可能性はある」
「そうか。……なら、私が危機的状況であればいいだろうか」
「え?」
「私の火の術はイリアスの土の術の前では無効。……ならば、魔力は必要ない。この中で一番有用な術を使えるジャミル君に魔力を限界まで受け渡す。それで、魔力欠乏症になってしまえば……」
「なっ……、な、なんでそんな! 何の為に!」
思いもよらない提案にジャミルは立ち上がって抗議する。そんなジャミルをなだめるように、セルジュは笑顔を作ってみせた。
「落ち着いてくれ……何も死のうというのではないよ。……先ほどのイリアスの言葉に、『"恐怖"と"期待"、"希望"がないまぜになった"樹"は見物だった』とあった。……演技は見抜かれる。だが、こちらが魔力欠乏症という危機的状態であれば……演技や嘘を"命乞い"と見て、"樹"の鑑賞を楽しむのではないだろうか? そうすれば、自ずと隙は生まれる……」
「………………」
「……有りだと思う。あいつ、『光輝く人間が全ての希望を失って膝を折る様が好きだ』って言ってたし。頃合いを見計らって俺とグレンを飛ばしてくれれば」
「頃合い……」
――戦いに参加しない人間、そして「初期配置」のセルジュ以外の人間はシルベストル邸の別室で待機する。
別室――教皇が禁呪の儀式を行った、あの水鏡のある部屋だ。
決戦の日は聖女も協力してくれることになっている。術であの水鏡に礼拝堂の様子を映し出してもらい、それを見ながらジャミルが俺達を適宜転送する。
ルカだけでなく、セルジュの魔力も限界まで受け取って……重い役割だ。
「……わ……分かった」
声と肩を震わせながら返事をすると、ジャミルはうなだれてしまう。
(…………)
◇
会議が終わり、風呂を済ませた後。
(……?)
砦の奥から物音が聞こえた気がした。
カイルが走り込みや剣の素振りでもしているのだろうかとも思ったが、侵入者の可能性も捨てきれない。
念のためにと剣を手にそちらへ行ってみると……。
「……ジャミル?」
「あ……」
そこにいたのはジャミルだった。
昼と同じく、またウィルの形態を変化させる練習をしているようだ。
人の形に変化したウィルが、手に持った棒きれを雑に振り回している。昼よりは姿がはっきりとしてはいるが……。
「はぁ……やっぱダメだな……」
言いながらジャミルは芝生に転がった。
それと同時に人型をしていたウィルの姿が霧のように溶け、持っていた棒きれがカランと落ちる。
霧はいつもの小鳥の姿を成し、転がっている主人のそばに降り立った。ピュイピュイと鳴きながら首を何度もかしげている。
「また術の練習をしていたのか」
「ああ……セルジュ様が魔力限界まで渡してくれるっていうから、なんか今からでもできること探したくて。……けど、ダメだな。物を持ったりとかはできるんだけど、それだけだ。……戦闘の役になんて、とても……」
「戦いのことは考えなくていい」
「けど」
「ただでさえ重い役割を背負わせているのに、それ以上はさせられない。そもそもお前、戦うのは嫌いじゃないか」
「…………」
ジャミルが無言で起き上がり、ワシャワシャと頭を掻く。
「あんただって……『戦いは好きじゃなかったかもしれない』って言ってたじゃねえか」
「え? ……ああ、確かにそう言ったことはあるが――」
「……誰の手も、壊すためについてるんじゃないのに……」
「手……?」
単語を復唱して聞き返すと、ジャミルは「なんでもねえ」と言いながら立ち上がった。
「朝から術使いっぱなしで疲れてんだな……ごめん、もう寝るわ」
芝生に置いてあった上着を拾って羽織り、ジャミルは砦の方へ。
2、3歩歩いたところで立ち止まり、こちらを振り返らずに「グレン」と呼びかけてきた。
「……どうした?」
「ここ借りて1年……こんなことになるなんて思わなかったよな、お互い……」
「……そうだな」
「……当日は、余計なこと考えずにちゃんと自分の役目を果たすから」
そう言うとジャミルは再び歩き出し、砦に入っていった。
それを見届けたあと歩み出すと、風がザァ……と吹いた。
(風……)
季節は春だが、夜風はまだ冷たい。
空を見上げると、まばらな雲とともに頼りなげな薄い月が浮かんでいた。
あと2日であの月が消える。終わりが眼前に迫っている――。
「が、がんばって、ジャミル君……」
「…………?」
セルジュと話をしたあと。
砦の奥にある練習場に行くと、ジャミルがいた。使い魔に両手をかざし、何事か念じている。
そばではカイルとベルナデッタがその様子を見守っている。
「……何をしているんだ?」
「あっ、隊長」
「兄貴がさあ、使い魔を、鳥以外の形態に変化させられないかって試してるんだけど……」
「……鳥以外は得意じゃなさそうだな」
「だなあ……」
カイルが苦笑いをしながら肩をすくめる。
ウィルは主人の精神状態に合わせて鷹やカラスなどに変態をする。
だが、精神がフラットな時に別の生き物の形態に変化させることは難しいらしい。
ウィルは主人が命じるごとに、馬や小さい竜のような"何か"になってみせるが、形が一定しない。質感も泥やスライムのようだ――実用していくにはもっと時間と鍛錬が必要だろう。
「こ……今度は……、どうだ?」
ジャミルが唸りながらウィルに手をかざすと、今度は人の形になった。しかし、やはり質量はない。霧や煙の集合体といったところか……。
「どうだ」と問われたカイルは、渋い顔をして頭をワシワシと掻く。
「んん……駄目じゃないかな。……役に立つとは、とても……」
「そっか……そう、だよな……」
いい答えは想定していなかったようで、ジャミルは大きく溜息をつきながら芝生に寝転がった。
小鳥の姿に戻ったウィルが主人の元にちょこちょこと歩いていき、抗議するようにこめかみ辺りを数回つつく。
「いて、いてえっ! ……悪かったよ、急にこき使っちまってよ……」
「……ジャミル、身体の具合は? 今、ずいぶん魔法を使っていたようだが」
「そうだな、なんともねえ。……上級魔力回復薬飲んで寝たからかな」
「それならいいが。あまり無理するなよ」
「分かってるって。肝心な時に倒れちゃ元も子もねえもんな」
「……そうじゃなくて、心配して言っているんだが」
俺の言葉にジャミルは目を丸くして、「そっか、ごめん」と頬を掻きながら笑う。
――朝、いつものように砦の掃除をしていると、夜勤明けのジャミルがフラフラの状態で帰ってきた。
大丈夫かと問うも、返事は息を吐き出すような「ああ……」という声のみ。呼吸が荒く、視線は定まらない……どう見ても、ただの仕事疲れではない。
そのままジャミルは意識を失い倒れてしまった。魔力欠乏症だった。
意識を取り戻したジャミルのもたらした情報に、砦は騒然となった。
仕事帰り、ジャミルは"赤眼"となったイリアスと出会った。
危害を加えてはこないが、怒りを煽り立てることばかりを言ってきたという。
だが、次第にイリアスの様子がおかしくなっていった。
ジャミルはそれをウィルに記憶させた。夜の会議でそれを俺達に聞かせるということだが……。
「……会議は8時。隊長室で」
「ん、分かった。……兄貴は寝てた方がいいんじゃないの? また鳥使うんでしょ」
「そうだなあ……」
「あのう、会議って、あたしは……」
「男だけ集まってやるから、ベルは普通に過ごしててくれよ」
「で、でも」
「聞かねえ方がいいんだ……そうしてくれ」
そう言ったあとジャミルは寝返りを打ち、俺達から顔をそらしてしまった。
◇
「時間だな。始めよう。……みんな、座ってくれ」
夜8時、隊長室。
予定通り俺とカイル、ジャミル、セルジュの4人だけ集まった。
応接のソファに腰掛け、ウィルが記憶したイリアスの声を聞く――。
『おい。冗談じゃないんだよ、お前。このボクを憐れもうっていうのか? ふざけるなよ!!』
『ボクの樹の根元の"地面"は、ずっと渇いている。けど……人の希望を刈り取る時だけ、その渇きが潤うんだ……!』
『憎いなら殺せ、憐れに思うのならば殺せ! "死"以外に憎悪の感情を片付けられるものは存在しないのだから……!!』
「………………」
音声のみだったが、異様さを理解するには十分すぎるものだった。
ジャミルがこれを女性陣に聞かせたくないと思うのも無理はない。
――俺達の見立て通り、イリアスは心に複数の"自分"を持つ多重人格者だった。
だが、そのうちの"ロゴス"という名と人格を捨てたため自己を統制できなくなったらしい。
最初はジャミルと話をしていたが、2つの人格が入れ替わり立ち替わり表に出るうちにお互いの主張が食い違い始め、ついには罵り合いを始めてしまう。
常軌を逸したそのやりとりに耐えられず、ジャミルはウィルに助けを求めた。
ウィルの放った雷のような衝撃でイリアスは気絶。そこへまた、別の人格が現れ……。
「……悪い。ウィルはそいつのことはほとんど記憶してねえみてえなんだ。人を食うような態度は変わりねえけど……なんか、すげえ穏やかっぽい感じだった」
「…………」
ジャミルのその言葉のあと、全員沈黙してしまう。
イリアス同士の罵り合い、シモン・フリーデンへの恨みの吐露、最後に現れた穏やかな人格、そして死に至る覚悟――皆、思考の焦点を当てる場所は様々だろう。
――俺は……。
『闇堕ちとは、過去という影に追い立てられ今が見えなくなり、未来を信じられなくなることです。
そして赤眼とは、苦しみに気づかず誰にも助けを求められない者の救難信号と私は考えます。
暗い意識の海に浮かんだまま彷徨い、やがて過去の思考に引きずり込まれ沈んでいきます』
(……館長……)
「読んでみて」とレイチェルに渡された、テオドール館長の手紙。
内容は赤眼になった俺に関することや、彼なりの"赤眼"の定義づけ。
館長自身が闇に堕ちたことはない。だが、彼の赤眼に関する考えは全てあの時の俺の思考に合致している――。
『赤眼は悲しい存在です。彼らは他者を攻撃しながらそれ以上に自分が傷つき、そうなっても助けの求め方が分からないまま、往々にして、最後は死を望みます』
『憎悪の対象が、勝手に死ぬ。これほど苦しいことはない。僕は憎むべき"悪"を演じてやるから、遠慮無く命を刈り取るがいい。だが、そう簡単に死ぬつもりはない。こっちも全員殺す気でいくから、死ぬ覚悟でかかってくることだ……!』
「……イリアスは……"死"だけを望んでいる……」
頭に浮かんだことを思わずつぶやくと、皆一斉にこちらに目を向けた。
「……や……やるん、だよな……」
「!」
意外な人物が最初に口を開いた――ジャミルだ。
「……そうだ。奴の人となりを知った上で殺す。そのつもりでずっと、話し合ってきた……」
「…………うん」
「あいつは決死の覚悟でやって来る。……なら、こっちもそれに全力で応えるべきじゃないかな。哀れんで手を抜くのは、無礼だよ」
「カイル……」
「カイルの言うとおりだ。情けは無用だ……奴の力が高まっている今、全員が確実に生き残るための策を考えていかないといけない」
「そう、だな。……ごめん、今更こんな」
「気にするな」
そう言ってジャミルの肩に手を置くと、ジャミルは両手を握り合わせてうつむいてしまう。
数拍置いた後に顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「それであの……どうするんだ? アイツ、赤眼になっちまって……しかも新月の夜って」
「……グレン。君は以前、赤眼になっていたというが……」
「ああ……」
――闇堕ち・赤眼になっていたことは、セルジュに打ち明けてある。
その方が話し合いがスムーズになるし、彼になら話しても大丈夫だろうと判断してのことだ。
「その時は……精神状態以外に、何か変化はあったのだろうか。いつもより力が湧いてきたりだとか」
「……そうだな。魔力が高まって、普段なら2、3回ほどが限度だった転移魔法をいくらでも使えた。……転移魔法だけじゃない。限界なくなんでも使えた」
「で、でも、倒れちまったじゃねえか。限度はあるんだろ、やっぱり」
ジャミルがそう言うと同時にテーブルの上にいたウィルがこちらに飛んできて、肩に着地した。どうやら俺を気遣っているらしい。
「……確かに、『限度はない』というのは語弊があるな。正しくは『限度がない気がした』……かもしれない」
キャプテンと対峙したとき、そしてノルデン王女とその側近が来たときに発した強大な魔法の数々。紋章があったとしても、普段の俺にあんなことはできない。
だが、あの時はできた。
力が湧いてきたというわけじゃない。ただ、"できる"という確信だけがあった。
赤眼になった。もう、日常を生きることは叶わない。
……その絶望は力に変わる。
何も思うようにいかない。だが、力だけは思いのまま。
もう自分は人間じゃない。だから、人間では成し遂げられないことができる。
――そうだ。俺は今、なんでもできる。
どこへだって、行ける――……。
「…………。と、思っていたが実際そんなことは全くなくて、身体が力についていかず昏倒したわけだが……」
話の内容にリアリティがありすぎたためか、全員が沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。
「……すまない。だから……イリアスも俺と同じように、禁呪かそれに近い威力の魔法を放ってくるかもしれない、ということを言いたかった」
「隙を作れればいいんだけどな。飛竜で礼拝堂のステンドグラス破って突撃! とか……無理かなあ」
カイルの提案に、セルジュは苦笑いしながら咳払いをした。
「破るのは別に構わないが。……礼拝堂は石造りだ、突撃の際に砕けた石材は、イリアスの武器になってしまわないだろうか」
「あ……そうか。土の術……」
「…………」
思い起こされるのは、アントン一家の庭にあった鋭い土槍。
もしも砕けた石材が奴の魔力によって槍のように研ぎ澄まされ一斉に襲いかかってきたとしたら、飛竜といえど無事では済まないかもしれない。
少なくとも、乗っている人間は鎧を着ていたとしても耐えられないだろう。
その上……。
「私は火の術を使えるが、火は土と相性が悪い。もし君や飛竜の所に土槍や石のつぶてが飛んでいっても、術で対処することはできない」
「そうか……隙を作るどころの話じゃないな」
「……隙……」
「どうした?」
「いや……」
セルジュは組み合わせた手で口を覆い隠し何事か考え込み、やがて顔を上げ、再び口を開く。
「……私は最初、イリアスと何か話をして時間を稼ごうと思っていた。だがイリアスには人の感情を示す"樹"が視えている。……策謀は全て見抜かれるということだろうか」
「ああ。……推測するに、視える力は俺やルカよりさらに強力なようだ。心を読んでいると言っても過言ではないかもしれない。演技は見抜かれる。だが……」
「だが?」
「あいつは以前、『自分は観劇が好きだ』と言っていた。見え透いた嘘でも乗ってくる可能性はある」
「そうか。……なら、私が危機的状況であればいいだろうか」
「え?」
「私の火の術はイリアスの土の術の前では無効。……ならば、魔力は必要ない。この中で一番有用な術を使えるジャミル君に魔力を限界まで受け渡す。それで、魔力欠乏症になってしまえば……」
「なっ……、な、なんでそんな! 何の為に!」
思いもよらない提案にジャミルは立ち上がって抗議する。そんなジャミルをなだめるように、セルジュは笑顔を作ってみせた。
「落ち着いてくれ……何も死のうというのではないよ。……先ほどのイリアスの言葉に、『"恐怖"と"期待"、"希望"がないまぜになった"樹"は見物だった』とあった。……演技は見抜かれる。だが、こちらが魔力欠乏症という危機的状態であれば……演技や嘘を"命乞い"と見て、"樹"の鑑賞を楽しむのではないだろうか? そうすれば、自ずと隙は生まれる……」
「………………」
「……有りだと思う。あいつ、『光輝く人間が全ての希望を失って膝を折る様が好きだ』って言ってたし。頃合いを見計らって俺とグレンを飛ばしてくれれば」
「頃合い……」
――戦いに参加しない人間、そして「初期配置」のセルジュ以外の人間はシルベストル邸の別室で待機する。
別室――教皇が禁呪の儀式を行った、あの水鏡のある部屋だ。
決戦の日は聖女も協力してくれることになっている。術であの水鏡に礼拝堂の様子を映し出してもらい、それを見ながらジャミルが俺達を適宜転送する。
ルカだけでなく、セルジュの魔力も限界まで受け取って……重い役割だ。
「……わ……分かった」
声と肩を震わせながら返事をすると、ジャミルはうなだれてしまう。
(…………)
◇
会議が終わり、風呂を済ませた後。
(……?)
砦の奥から物音が聞こえた気がした。
カイルが走り込みや剣の素振りでもしているのだろうかとも思ったが、侵入者の可能性も捨てきれない。
念のためにと剣を手にそちらへ行ってみると……。
「……ジャミル?」
「あ……」
そこにいたのはジャミルだった。
昼と同じく、またウィルの形態を変化させる練習をしているようだ。
人の形に変化したウィルが、手に持った棒きれを雑に振り回している。昼よりは姿がはっきりとしてはいるが……。
「はぁ……やっぱダメだな……」
言いながらジャミルは芝生に転がった。
それと同時に人型をしていたウィルの姿が霧のように溶け、持っていた棒きれがカランと落ちる。
霧はいつもの小鳥の姿を成し、転がっている主人のそばに降り立った。ピュイピュイと鳴きながら首を何度もかしげている。
「また術の練習をしていたのか」
「ああ……セルジュ様が魔力限界まで渡してくれるっていうから、なんか今からでもできること探したくて。……けど、ダメだな。物を持ったりとかはできるんだけど、それだけだ。……戦闘の役になんて、とても……」
「戦いのことは考えなくていい」
「けど」
「ただでさえ重い役割を背負わせているのに、それ以上はさせられない。そもそもお前、戦うのは嫌いじゃないか」
「…………」
ジャミルが無言で起き上がり、ワシャワシャと頭を掻く。
「あんただって……『戦いは好きじゃなかったかもしれない』って言ってたじゃねえか」
「え? ……ああ、確かにそう言ったことはあるが――」
「……誰の手も、壊すためについてるんじゃないのに……」
「手……?」
単語を復唱して聞き返すと、ジャミルは「なんでもねえ」と言いながら立ち上がった。
「朝から術使いっぱなしで疲れてんだな……ごめん、もう寝るわ」
芝生に置いてあった上着を拾って羽織り、ジャミルは砦の方へ。
2、3歩歩いたところで立ち止まり、こちらを振り返らずに「グレン」と呼びかけてきた。
「……どうした?」
「ここ借りて1年……こんなことになるなんて思わなかったよな、お互い……」
「……そうだな」
「……当日は、余計なこと考えずにちゃんと自分の役目を果たすから」
そう言うとジャミルは再び歩き出し、砦に入っていった。
それを見届けたあと歩み出すと、風がザァ……と吹いた。
(風……)
季節は春だが、夜風はまだ冷たい。
空を見上げると、まばらな雲とともに頼りなげな薄い月が浮かんでいた。
あと2日であの月が消える。終わりが眼前に迫っている――。
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