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15章 祈り(後)

48話 審判 ※グロ描写あり

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 運命の日。
 太陽が真上に位置する時間にその男――イリアス・トロンヘイムは現れた。
 
「やあ、セルジュ君」
「イリアス……トロンヘイム……!」
 
 ――なぜだ。教皇猊下げいかの見た未来によれば、ここへやってくるのは夜のはず。
 時間が前後する可能性はあっただろうが、こんな白昼堂々と現れるなど想定外だ。猊下の視た未来は、間違っていたのか?
 今私が礼拝堂ここにいるのは、女神に祈りを捧げるため。フランツはそんな私を案じ、そばについてくれていた。
 まさか、こんな事態に巻き込むことになってしまうとは……!
 
「死んでくれよ、セルジュ君。僕の、神のために……!」
 
 呪詛めいた独白のあと、イリアスは額の紋章と手中にある眼球を光らせる。
「ブォン」という妙な音を立て、眼前に大きな水の球が出現した。球の中には、この礼拝堂の外部が映っている。
 
「……?」
「……ここじゃあ、外の様子が、見えないからねえ……。よーく見ててよ、セルジュ君。そこの少年と、一緒にさあ……!!」
 
「神よ」と叫び、イリアスが眼球を頭上に掲げる。紋章の光と眼球の光が強まり、キィンという音を立てながら共鳴しあう。
 水晶に映る、礼拝堂外部の空――直上にある太陽のそばに小さな漆黒の粒が出現した。
 粒は瞬く間に増殖し、太陽を覆い隠してしまう。空から光が失せ、黒く染まる……。
 
「あ……!」
 
 ――猊下の予言は正しかった。この太陽も月もない空を"新月の夜"だと認識してしまっただけだ。
 闇が天を蝕み、光を喰らう。これは、この呪法は……。
 
天蝕呪イクリプス……!」
「ふふ、さすが、博識だねえ……。この呪法は、月を使うものと、太陽を使うものの、2種類あってねえ……。月の光は呪いに使われる。そして太陽の光は、破滅を呼ぶんだ。……知っているかなあ? 20年前、ノルデンの王様が、同じことをしたっていう、噂があるよ。ご自分の妻子の命を使って、国を破滅に導いたんだって。恐いねえ……。生け贄を用意できないから、僕が破滅させられるのは、せいぜい、この敷地くらい、だけど……!」
 
 言葉の終わりと同時に、大地が大きく揺らぐ。
 後ろにいるフランツが揺れで転びそうになるのを支えながら眼前にある水の水晶を見ると、礼拝堂周りの地面が大きくひび割れ、バキバキミシミシという音を立てながらめくれ上がっていく様子が映し出されていた。
 剥がれた地面は花びらのように何枚にも分かれ、大きく弧を描きながら中心部に――この礼拝堂へと集まっていく。
 ほどなくして、地表でできた大きな花は獲物を捉えた食虫植物のごとく勢いよく閉じ、この礼拝堂をバクリと呑み込んだ――。
 
「ヒッ……!!」
「フランツ――」
「セルジュ様、おれ達閉じ込められちゃったの!? どうして……」
 
 恐怖のあまり、フランツは泣き出してしまう。
 目の前でこんなことが起きたのだから当然だ。それでなくとも、眼前に現れたイリアスの姿態が既に異様で恐ろしいのだ。
 
 長かった髪は肩のところで雑に切られてざんばら、左手の上にある、自分でくり抜いたであろう眼球が常に赤い光を放っている。
 顔の片側は見えない。目がくり抜かれた部分から流れた血と肉に髪が張り付いているからだ。
 その髪の向こう――目玉が無くなったはずの眼窩がんかが、なぜか赤い光を放っている――。
 
(どうする……!?)
 
 グレン、カイル、ジャミル君ほか砦の仲間達は、このシルベストル邸の敷地内にいることはいる。
 だが、こんな昼に来ることなど誰も想定していないから全員別の場所だ。
 カイルは飛竜とともに、敷地内にある飛行動物の発着場に来ている。そこへグレンとジャミル君が合流して、飛竜や使い魔を使ってできそうなことを話し合うと言っていた。
 今もそこにいたならこの危機にいち早く気づくはずだが、どうだろうか――?
 もし水鏡の間や聖女様の部屋がある別館にいたら、ここの異常に気づくことは難しい。
 位置的に別館からは礼拝堂が見えないのだ。その上、どちらの部屋も地下にある。
 
 転移魔法でせめてフランツだけでも……と思うが、私はすでにジャミル君に魔力を限界まで受け渡したあとで、そのうえ軽度ではあるが魔力欠乏症に陥っている。
 身体を満足に動かすことができず、走って逃げることはできない。
 仮に走れたとして、フランツを抱えてイリアスの横を突っ切って、術による猛攻をかわしながら入り口まで辿り着き、その上で礼拝堂を覆う土の外殻がいかくを破らなければならない。
 護身用の短剣を持ってはいるが、この状態ではとても……。
 
(…………?)
 
 ふと、何か妙な物音が耳に入ってきた。「シュルシュル」と、何かが這うような音だ。
 目線だけで辺りを見回すと、窓の向こう――礼拝堂を覆う土壁の内側を、緑色のツタが蛇のように這い回っているのが見えた。
 
「な……」
「セルジュ君。相変わらずだなあ、君は……」
 
 ツタが異様な速さで伸びる。やがて窓ガラスや石壁の継ぎ目を突き破り、建物内部の壁を覆うようにして成長していく――。
 
「……ねえ、セルジュ君。初めて、会った時のことを、覚えている?」
「な、なんの……話だ」
 
 ――声が震える。
 イリアスと初めて会った時のこと? なぜ今、そんな話をする。目的は何だ――?
 
「僕は、ねえ……覚えているよ、セルジュ君」
 
 そう言ってイリアスはくぐもった声で笑う。
 息を多めに吐き出し、必要のないところで言葉を区切って話す様が不気味だ。
 
「僕は、『よろしくお願いします』と、普通に挨拶をしたよ。だけど……君の足元から最初に生えてきたのは、"不信"を表す芽だった」
「……!」
「貴族にありがちな、選民思想や、差別意識から、きているのだろう……そう思ったが、どうも違う。少ししてから、反対側に"信頼"の芽も生えたよ。"信"と"不信"――君と接するごとに、2つの芽は平等に育っていった。"不信"が育てば、それと同等の大きさになるように"信"も育つ。逆もしかりだ。親切に接しているのに、なぜか必ず"不信"が育つんだ……」
 
 ツタがさらに伸びる。ツタが突き破った際に割れた壁の石材がバラバラと地面に落ち、礼拝堂の内部がどんどん緑に染まっていく――。
 
「葉がつき、枝が伸び……時を経て、2つの芽は立派な樹となって、君の傍らにそびえ立っている。大きさは、常に同じ――」
 
 イリアスの顔から笑みが消えた。
 
 ――胸がザワザワする。
 この感覚……魔法が来る!!
 
「全く……気分が悪かったよ。僕という人間が信頼に足る者かどうか、常に、"審判ジャッジ"をされているみたいでさあっ……!!」
 
 イリアスが地団駄を踏むように地面を蹴りつける。
 地面に落ちていた石材が浮かび上がり、ヒュンと音を立てながらこちらへ飛来する――!
 
「ぐっ……!!」
「セルジュ様っ……!!」
 
 背中に激痛が走る。石材が動いた瞬間フランツとともに地に伏せたため頭への直撃は避けられたが、いくつか背中に当たってしまった。
 
「セルジュ様! セルジュ様っ……!!」
 
 フランツが下で泣き叫んでいる。外傷はないようだ。
 身を起こしてからフランツを祭壇の後ろに押しやるが、フランツは私の元へ寄ってこようとする。
 
「っ……大丈夫か、フランツ……」
「おれのことなんてどうでもいいよ!! それより――」
「家族を守るのは……当然のこと。『自分のことなんてどうでもいい』なんて、二度と、言うな……」
「そんな……!」
「そこに隠れているんだ……また、あれが飛んでくる――」
 
 ――言葉の途中で、礼拝堂内に乾いた拍手の音が響いた。
 
「フフフ……家族の絆、か。美しいねえ……」
 
 イリアスがうっとりとした表情で大仰に手を叩く――両手を空けるためか、傍らには先ほどまで手に持っていた眼球がふわふわと浮かんでいた。どうしても拍手がしたかったらしい。
 眼球を再び手に持つと、イリアスはこちらへゆっくりと歩み出す。
 ザリ、ザリ……と、床から生えたツタを踏みしめる音がする――。
 
「待て……イリアス」
「何かな?」
「私を殺すのならば、好きにしろ。だが、この子には――」
「断るよ。君をなぶり殺しにしたあと、そいつも殺す。希望を全て絶ってから、命を奪い取ってやるんだ……!」
「っ……!」
 
 イリアスが手のひらを上に向けるともう片方の手にある眼球が赤く閃き、落ちていた石材が瞬時にこちらへ飛来する。
 魔力欠乏症のために身体が石材の速度に反応しきれず、1つが右の肩口に、1つが脇腹に直撃した。
 血がじわりとにじみ出て、服を赤く染める。痛みで立ちあがることができない。
 
「ぐ、げほ……っ」
「大変だ、腕が利かなくなった。……子供をかばわなければ、痛い目を見ずに済むのにねえ……」
「セルジュ様っ……」
「来るなっ! 祭壇の後ろに隠れているんだ!!」
 
 こちらに駆け寄ろうとするフランツを大声で制止する。フランツは呼吸音か泣き声か分からない声を出しながら祭壇の下へ。
 祭壇は大理石でできており頑丈だが、石材がいくつも衝突したためひび割れ、欠けてきている。祭壇周辺に転がっている石材は、私に当たったそれよりも数が多い。
 どうやらフランツに狙いを定めているらしい。私がこの子をかばい、盾になると見越してのことだろう。
 嬲り殺しにする様を見せる気だ――。
 
「……下劣な……!」
 
 イリアスを睨みあげながらそう言うと、イリアスは満足げにニタリと笑う。
 
「ふふ……君に、蔑んでもらえるなんて、光栄だよ……」
「……そうやって悪を演じていれば皆が君を嫌い、憎む。……楽だろうな、それは」
「何……?」
「君は自分を良心のかけらもない極悪人と思い込むことで、自分を守っている。君は君の中の、善なる心を恐れている」
 
 一瞬瞠目したあとその目を細め、イリアスは顔を歪めて笑う。
 
「ハッ……頭に血が行き届いていないの? "善なる心"? ……命乞いにしても、もう少しマシなことを言いなよ」
「命乞いではない。私の考えは、前と変わらない。……君はこの子を殺せない。それは君の主義に……善なる自分に反するからだ。私は知っている。ロゴスとなった君がやったことを……」
「……信徒を集めて、洗脳して殺した。それを、あのニコライおじさんの捧げ物にしたよ」
「そうではない。……記録によれば、ある時を境に光の塾の規則ががらりと変わっている。初期の構成員が考えた"試練"のほとんどは撤廃、度を越えた暴力は禁止となっている。それに、下位組織の者にも最低限の衣食住が保障されて……それは、君の手によるものじゃないのか」
「……意味なく虐げると、遺恨を残すだけだからねえ。それに、適度に希望を見せてやった方が、壊された時の絶望も大きいんだ……!」
 
 イリアスの紋章が光り、私の真下の地面から鋭利な土の槍が飛び出す。
 横転してすんでのところでかわしたが、二度目はない。床を覆うツタが足首に巻き付いてきている。
 ツタを切り落とすために懐にある短剣に手を伸ばしていると、「ドチャリ」と、何かが落ちるような音がした。
 音の方向に目をやると、人の腕が落ちていた。イリアスの右腕だ――右肩から先の腕が、まるごと千切れて落ちている。
 
「……!!」
「……こっちも、駄目になったかあ……フフ」
 
 千切れた腕はこの前のように残存することなく、黒い粒子となって霧散してゆく。
 腕の断面からはなぜか血が流れていない。腕が落ちたとなれば痛みやショックで気絶してもおかしくないはずなのに、イリアスは平気な顔をしている。痛覚がなくなっているのか?
 
「もうやめろイリアス! このままでは、君が無くなる……!」
「望むところだよ」
「……本当に、そうなのか? 身体を崩壊させてまで、君の心に反することをして……君達の神も、君のこんな結末を本当に望んでいるのか!?」
「僕の神様を勝手に語るなっ……!!」
 
 今までで一番大きな声でそう叫び、イリアスは手元の眼球を光らせる。地面を覆うツタが何本か千切れて伸び、首に巻き付く。
 
「っ……!」
 
 首が絞まる。呼吸も発声もできない。
 何かが割れるような音が聞こえたかと思うと、ぼやける視界に槍のような形状をした物体が映り込んできた。
 先ほどの土の槍よりも鋭利で殺傷力の高そうな石槍が対象をこちらに定め、主の命令を待っている――。
 
「……もっと、じわじわと殺してやろうと、思っていたけど、もういいや……」
「あ……や、やめ……」
「フフ、……少年。君がいなかったら、セルジュ君ももっとうまく立ち回れたのにねえ……」
「ヒッ……いやだ、お願い、誰か、助けて……」
「ハハハッ、来ないんだよおっ、助けなんかぁ……っ」
「いやだあああっ! 助けて! 助けて! 助けてええっ――……!!」
 
 フランツがそう叫ぶのと同時に、耳に何か大きな音が聞こえた。
 音――いや、声だ。「ギャアア」という獣の咆哮ほうこう――。
 声はイリアスにも聞こえたらしい。術の集中が途切れ、拘束がわずかに緩んだ。
 
「くっ……!」
 
 その隙に懐の短剣を取り出してツタを切り裂いて拘束を解く――手が自由だったのは幸いだった。
 息が苦しいが、それどころではない。声がどんどん大きくなり、こちらへと近づいてくる。
 この声……間違いない。

 飛竜だ――……!!
 
「セルジュ様っ……」
「伏せろ、フランツ!! 耳を塞げ!!」
 
 フランツに飛びかかり、共に身体を伏せたその瞬間、背面にあるステンドグラスと外の土壁が吹き飛ぶように割れた。
 轟音と爆風とともに、カイルの飛竜、シーザーが現れる。
 シーザーはゆっくりと後退してから上空へ一気に舞い上がり、身体を斜め下に傾けた。
 上に乗っている鎧の騎士が、武器を構えながらイリアスの元へ舞い落ちる――!
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