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終章 未来へ

◆ベルナデッタ―花咲く道

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『ねえベルナデッタ。5年経って貴女がわたくしのこと思い出してくれたら、またこうやってお話しましょう。約束ね』――。

 いつかどこかで、誰かと交わした約束。だけど相手の顔も声も名前も思い出せない。
 あれは、夢の中だけの出来事だったの……?


 ――――…………



「あのう、カイルさん」
「ん?」

 とある日曜の朝。
 食堂で朝ご飯を食べているカイルさんに声をかける。
 ここ1ヶ月ほど、ずっと気になっていることがある。この人なら、何か知っているかしら……?

「あの月天げってんの間での出来事から、あたしずっと聖女様のお世話係をしていて」
「ああ……食事と着換えの用意に、あと髪切ったり結ったりもしてあげてたんだっけ? 大変だったよね、ご苦労様」
「ありがとうございます。……それでですね、あたしがその役に選ばれたのは、聖女様が指名したからなんだそうで……」
「へえ、そうなんだ」
「なぜなのかと思っていたのですけど、どうやら聖女様はあたしをご存知のようで」
「ふうん……?」

 カイルさんが不思議そうに首をひねる。

 ――聖女様のお世話なんて責任重大すぎる。しかも直々に指名だなんて。
 何か粗相をしたらどうしよう……とガチガチになっているあたしに、聖女様は「そんなに緊張しないで」と優しく微笑んでくれた。あたしが何かをするたびに「ありがとう、嬉しい」と言ってくれて……。
 最初は「なんてお優しい方なのだろう」と思った。けれど話をするうちに、どうやら聖女様とあたしは面識があったらしいということが分かってきた。

「貴女の焼いたぶどうのパイが食べたいわ」なんて言われたの。
 聖女様は5年前に眠りについたから、出会いはきっとそれ以前。
 手作りぶどうパイは、その頃のあたしの密かな楽しみ。
 あれを人に披露するなんて考えたことはなかった。だって「田舎料理」と馬鹿にされるかもしれないから。
 あたしがぶどうパイを焼くことを知っていて、さらにそれを食べたことがあるなんて、あたしはあの方によほどの信頼を寄せていたということ。
 ……だけど、全然記憶にない。

「お会いしたことがありましたでしょうか」と聞いてみたけれど、「新しい聖女様が即位して、自分の封印が完全に解けるまでは情報と記憶が繋がらないから」と、ヒントも答えももらえなかった。
 いたずらっぽくウインクして、「思い出してからのお楽しみね」なんて言われた。
 その仕草に言いようのない懐かしさを覚えて胸がキュンとなった。……けれど、やっぱり何も思い出せない。

「……カイルさんは、聖女様とお知り合いなのですよね。聖女様からあたしの話を聞いたことがあったりとかしませんか?」
「さあ、知らないなあ……。俺竜騎士辞めたの7年も前で、あの方と特別に交流があったわけじゃないしね」
「そうですか……」
「魔術学院の神学科しんがっかだったよね? 先輩後輩とかじゃないの?」
「そう、なんでしょうか……」

 口ぶりや表情からして、カイルさんは本当に何も知らないようだ。

「聖女様変わってから5日だっけ。封印は完全に解けてるはずだけど、記憶はまだ戻らないの?」
「はい。なんというか、頭にモヤがかかって……」
「ふーん。まあ、そのうち思い出すでしょ。『思い出してからのお楽しみ』ってやつでいいんじゃない」
「……………………」
「……な、何? どうしたの」
「いいえ、別に……」

 ――『思い出してからのお楽しみ』……聖女様と全く同じことを言ったわね。
 聖女様とあたしの関係も気になるけれど、聖女様とこの人の関係もとても気になる……。
『特別に交流があったわけじゃない』ですって。それが本当だとしても、特別な関係ではあるわよね?

「……か、片づけして部屋もどろっかな~」

 あたしの視線から何かを感じ取ったらしいカイルさんが、大きな独り言を言いながら立ち上がった。
 そして小走りで食器を洗い場まで持っていき、洗い物を始める――お皿2つくらいしかないのに、食器同士がぶつかる音がやけに大きい。

(……あやしい……)

 ――一体この人は聖女様の何なの?
 貴族でもないのに「聖女の加護」を得ている上、真名まなを教え合う仲――その時点で、既に知れたようなものだけど……。
 聞いてもどうせはぐらかされるに決まっている。
 隊長やルカあたりが遠慮なしに切り込んでくれないものかしら……?

「あっれ~、カイル? なんだよオマエ、ここにいんのか??」
「!」

 ジャミル君が食堂に入ってきた。カイルさんの姿を見てなぜか驚いている。

「あ~、おはよー兄ちゃん! え、何何、どうしたの~?」
「…………」

「助け船が来た」とばかりに、カイルさんがわざとらしい大声を発しながらジャミル君の元へ。このまま話をそらして逃げる気ね……。


「いや、飛竜が砦に近づいてきてるからさー」
「え?」
「オマエだと思ってたら、ここにいるんだもんなー。ほら、見てみろよ」

 ジャミル君が中庭に続く窓の上部を指さす。彼の言う通り、確かに上空を飛竜が飛んでいる。
 見たところ、カイルさんの飛竜シーザーよりも少し体格が大きい。逆光で認識しづらいけれど、身体の色は黒っぽく見える。

「黒の飛竜とかいんのか、すげえなあ。てか、なんであんなの来たんだ? オマエの知り合いとかか?」

 カイルさんは何も言わない。目を見開いて、上空を飛ぶ飛竜をただ見つめている。

「黒竜……」
「カイル? どうしたー?」
「……カイルさん?」
「……まさか、"アレクサンドロス"……?」
「え……」

 彼が発した単語に、心のどこかがじわりと溶ける感覚を覚える。
 "アレクサンドロス"……知っている。その名前を知っている。いつかどこかで、一度だけ聞いた……。

「アレクサンドロスぅ? 飛竜の種類かなんかか??」
「いや……」
「アレク……サンドロス……」

 ――その名を唱えた瞬間、頭の中でガラスが割れるような音がした。
 ひび割れた記憶の器から、"何か"の記憶が流れ出す……。

『ねえ、わたくし、一番に貴女のところへ飛んでいくわね。飛竜に乗って』
『飛竜!? リタ様が!?』
『そうよ。"アレクサンドロス"というの。王者の竜なのよ。勇ましくて素敵でしょう?』――。

「…………」

『ねえベルナデッタ。5年経って貴女がわたくしのこと思い出してくれたら、またこうやってお話しましょう。約束ね』――。

「……っ」
「え……ベルナデッタ?」
「ベ、ベル? どうした……」

 突然目から大粒の涙をあふれさせたあたしを見て、ジャミル君とカイルさんが驚愕の表情を浮かべる。

「あっ、ベル! ベル……!?」

 気遣う2人に何も応えることなく、あたしは食堂を飛び出した。
 窓の外を見上げると、黒い飛竜が屋上に降り立ったのが見える。

「う……、ひっ……」

 ――涙が止まらない。
 行かなきゃ、今すぐに行かなきゃ。
 ……あの人だ。5年前交わしたあの約束を、今も覚えていてくれた。あたしに会いに来てくれたの。

「リタさま……、リタ様……!」


 ◇


「あ……」

 砦の屋上に、黒い飛竜とその主の姿があった。
 黒竜の主はあたしの姿を見て微笑む。
 青みがかった銀色の髪の、美しい女性――リタ・ユング侯爵令嬢。
 5年前に会って、たくさんの話をした。だけど彼女が聖女様になって、その記憶は封印された。今やっと、その封印が解けた――。

「リタ様……!」

 名前を呼ぶとリタ様は嬉しそうに笑い、あたしの元へと歩み寄ってきた。
 今日の彼女は、暗い赤紫色をした燕尾服に身を包んでいる。背が高いこともあり、その姿は美しく、凜々しい。
 左腕には赤いスカーフを巻いている。カイルさんも身に着けている、竜騎士の証だ。
 聖女様の装いとはまるで違う。これが本来の彼女なのだろうか?

「ベルナデッタ」

 あたしの真正面まで歩いてきたリタ様があたしの手を取り、また笑う。
 5年ぶりに会った彼女は、あの時よりもさらに美しい。だけど、目の前が霞んでよく見えない。

「ねえ、覚えている? わたくし、約束を守ったわ。一番に貴女の元に飛んできたわよ」
「……リタさま、リタ様……うっ、ひっ……」
「ベルナデッタ? どうし……」
「……うええええーーーーん……」

 ――会いたかった、やっと会えて嬉しい、忘れていてごめんなさい――言いたいことがたくさんあるはずなのに何ひとつ言葉を紡ぎ出せず、あたしは子供のように天を仰いで泣きじゃくった。
 リタ様はそんなあたしを抱きしめ、背中をトントンと叩いてなだめてくれる。

「泣かないで、ベルナデッタ。ねえ、これからもよろしくね。話したいことがたくさんあるわ」
「あたしもですリタ様……うう、うえーーん……」
「まあ、ベルナデッタったら……」

 しばらく何も言葉を交わせず、あたしはリタ様の胸でグシュグシュと泣き続けた……。


 その後、リタ様と2人でカフェにお茶を飲みに行った。
 そこに行くまでの馬車はセルジュ様が手配してくれた。リタ様がセルジュ様にお願いしていたらしい。
 セルジュ様もあたしと同じに、リタ様に関する記憶の封印が解けたようだった。
 なんでも2人はいとこ同士で、幼い頃から交流があったのだとか。ただあたしと違って、セルジュ様とリタ様の関係は悪くはないけれど決して良くもない……というような感じがした。
 リタ様曰く過去に色々あったそうだけれど、セルジュ様が「余計なことは言わないでもらいたいよ」と釘を刺したため聞けずじまい。
 あのセルジュ様が女性相手にあんなつんけんした態度を取るなんて、一体2人の間に何が……。そのうち聞ける日が来るかしら?

 ……「聞ける」と言えば。
 リタ様がかつて話してくれた「思い人」の正体はカイルさんだということが分かった。
 紆余曲折あったけれど、十数年彼に寄せてきた想いがようやく実ったそうで、リタ様は本当に嬉しそうだった。

 ――そういえばカイルさん、以前「自由な貴族令嬢なんていないよな」なんて言っていたっけ。
 もしかして、彼もリタ様をずっと想っていたのかしら。意外と一途なのね……。
 というかこの5年間、世界で1人だけリタ様を覚えていたということよね。
 リタ様の誕生日プレゼントに勿忘草わすれなぐさを閉じ込めたしおりをプレゼントしたという話も聞いたわ。
 花言葉は「私を忘れないで」――いずれ自分は元の時代に戻るけど、忘れないで欲しい……そういう意味かしら。
 身分と時間を越えた恋……やだ、すごくロマンチック。
 怪しんでしまって申し訳なかったわ。あとで謝らなきゃ。

 話の流れで、あたしも好きな人の話をした。
 それがカイルさんのお兄さんのジャミル君だということを知ったリタ様はまた嬉しそうに笑った。

「素敵! それじゃあわたくし達、義理の姉妹になるのね」
「し、姉妹……!」
「カイルの方が年上だけれど、弟なのよね。じゃあ、ベルナデッタはわたくしのお姉様ね」
「あ、本当ですね。なんだか不思議」
「ふふふ、嬉しい。ねえベルナデッタ、これからも末永くよろしくね」
「はい、リタ様」
「リタって呼んで」
「え、でも……」

 恐れ多いから、と断ろうとしたけど、思い直して首を振った。

「分かりました! それじゃあ、あたしのこともどうか、"ベル"とお呼びください」
「分かったわ、ベル」
「…………」

 ただ愛称で呼ばれただけなのに、胸がじんと熱くなる。

 そうやって2時間ほど"秘密のティーパーティー"を楽しんだあと砦に戻り、リタ様はまた飛竜アレクサンドロスに乗って去って行った。
 お別れだけど、あの時のように寂しくも悲しくもない。
 だってまた会えるんだもの。これからも縁が、道が続いていくんだもの……。


 ◇



「……ベル」
「!」

 リタ様が去ったあともずっと空を見上げているあたしに、ジャミル君が声をかけてきた。

「ごめんなさい、もう戻るわ」
「うん。オレ家帰るけど、ベルも来る?」
「えっ」
「明日仕事休みなんだ。なんかちょっとした料理作るから、酒とか飲みながら食おう。2人で」
「わっ、素敵! 行くっ!」
「ハハッ。じゃ、行こう」

 砦を出たあと、手をつないで歩いて彼の家へ。砦から彼の家までは、歩いて40分ほど。

「転移魔法は使わないの?」
「この先、桜がいっぱい咲いててさ。そこ通ってからにしよう」
「桜……」

 彼の言う通り、しばらく歩いていると桜並木が現れた。
 まだ咲いていない花もあるけれど、それでも十分に綺麗だ。
 小鳥の鳴き声が聞こえてくる。時折灰色や緑色の小鳥がやってきて、咲いている花の中心部をクチバシでつついては飛び去っていく。蜜を吸っているのだろうか?
 同じように飛んできたスズメが桜の花を食いちぎってからすぐに飛び立ち、ちぎれた花がくるくる回転しながら落ちてくる。
 あたしはそれを手のひらで受け止め、たわむれに髪に挿した。

「……ね、かわいい?」
「ん? うん」

 あたしが問いかけると、ジャミル君は微笑を浮かべながら花を飾っている髪を指で少し梳いて、唇を合わせてきた。
 そのあと、どちらからともなく身を寄せ抱きしめ合う。

(……ジャミル君……)

 ――ドキドキする。
 きっと今2人とも顔が赤い。でも、差し込む夕陽がその色をごまかしてくれる。
 ……顔色が分かったって、お互い何も構わないけれど――。

「!」

 耳元にピピッという声が響く。桜の花をくわえたウィルが、あたしの肩で首をかしげている。

「……くれるの? ありがとう」

 手を差し出すと、そこにウィルが花をぽとりと落とす。その花をジャミル君が取って、あたしの髪に挿してくれた。

「ありがと。……ふふ」
「ん?」
「幸せだなあって」
「ハッピハッピー?」
「あっ、そうね。うふふ」

 そのあと、また手をつないで桜の道を歩いた。
 歩きながら、もうすぐ砦も終わりね、とか、お別れパーティーをしたい、とか、なんでもない話をした。
 来週は桜の花が満開になっているはずだから、2人でお花見に行こうなんて話も……。

 全部全部、素敵なことに繋がる。
 ねえ、この先もずっと、こうやって過ごしていけるのよね?

 嬉しい。素敵。ハッピハッピーだわ!
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