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終章 未来へ
◆グレン―100年先まで ※挿絵あり
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「ここは……」
目を開けると、何もない真っ白な空間にひとり立っていた。
夢の中――いや、意識の海というやつだろう。
数ヶ月前"死んだ"時もここを歩いた。なぜ今またここにいるのだろう。
「!」
しばらく歩くと、ブランコが現れた。木でできた素朴な作りのブランコだ。
(……"あの人"は……?)
前ここに来たときも、このブランコが置いてあった。
そのとき、ブランコには女性が乗っていた。
どこか懐かしさを覚える、不思議な雰囲気の女性だった――。
◇
――1563年12月末、雪降り積もる図書館の跡地で、俺は死んだ。
……そのはずだった。
(どこだ、ここは……)
全てが終わったはずなのになぜか意識が続いていて、気づけば何もない真っ白な空間を歩いていた。
そういえば、ミランダ教だったか聖光神団だったかに、「死後の世界」についての伝承があった。
「死んだ人間の魂は生前の記憶の海をさまよい、やがて命の川を越えて冥府へ運ばれる」――というものだ。
ならここは、俺の記憶の世界か……?
"記憶の海"という割に、何も見えてこない。
代わりに、何かの音が耳に入ってくる。
反射的に耳をふさぐが、それはいつものような頭痛を引き起こす雑音とは様相がちがっていた。
――仲間が、俺を呼ぶ声。
気づけば目の前に透明の分厚い壁が何枚もそびえ立っており、その向こうにカイルとジャミルとベルナデッタ、そして幼い俺がいた。
幼い俺が「助けて」と言うと、3人は思い思いの行動を取りながら必死に俺を助けようとする。
神父に無理矢理持たされた鞭を取って投げ捨て、神父を斬り伏せ、"神"を否定して……。
「…………」
――随分と都合のいい妄想だ。
死んだあとに、何を夢見ているんだ。
踵を返してその場を去ろうとすると、3人は「グレン」と繰り返し繰り返し叫ぶ。
……もういい。それは俺の名前じゃない。「グレン・マクロード」を真名としていた人間は死んだんだ。
俺のことは忘れてほしい。誰の心からも消え去った方が、みんな楽になれる――……。
『だめよ』
「!」
歩みを進めると、後ろから誰かの声がした。
女性の声だ。振り向くと、さっきまで何もなかった白い空間にブランコが置いてあり、そこに若い女性が腰掛けていた。
黒髪に灰色の瞳、白い肌――ノルデン人だ。
黒髪ではあるが、その身なりや佇まいから貴族であることがうかがえる。
年の頃はレイチェルと同じか、それより年下か――女性というよりは、少女に近い外見だ。
『だめよ。ここへ来ちゃだめ。帰ってね』
そう言って女性はにこりと微笑む。
俺は俺の記憶を歩いているはずだが、この女性は記憶にない。
ブランコにも見覚えがない。俺の記憶に残っていて、かつ実際に遊んだことがあるのは、リューベ村の孤児院にあったブランコだけだ。
「……どこかでお目にかかったことがありましたでしょうか」
『ふふ、ないしょ』
「…………」
女性はブランコをゆるやかに動かしながら、指先で口元を隠していたずらっぽく笑う。
――気のせいだろうか。さっき引き止められたときもそうだったが、何か子供扱いをされているような……。
「……貴女は、なぜここにいるのですか。何をしているのですか」
『大切な人が来るのを待っているの』
「大切な人……?」
この人の大切な人とやらも、俺はたぶん知らない。なぜ、俺の記憶の世界で知らない人が知らない人を待っているのだろう。
『……あの方はかわいそうな方。どうしようもない悲しみと怒りを胸の内にとどめておけず、ご自分の魂を魔器にして呪いへと昇華してしまった。死んでしまったけれど、魂は闇に縛られたまま……』
「呪い……」
『そうよ。だから私は、あの方が来るのをずっと待っているの』
「……貴女からは、捜しに行かないのですか」
『私は闇へ行くことはできないの。あの方が、私に気づいてくれないと』
「…………」
『あなたはどう?』
「え?」
『あなたは、ちゃんと気がついている? あなたを大切に思う人のこと。……何も気がつかずに、誰にも気づかれずに、終わってしまっていい?』
女性が寂しげに微笑む。
何を返していいか分からず棒立ちになっていると、左手の甲が薄ぼんやりと赤い光を放ち始めた。
「……紋章が」
『よかった。誰か、あなたを呼んでくれる人がいるのね』
「誰か……?」
『さあ、誰でしょう』
「…………」
『もう、お別れね。……ねえ、こっちへ来て。顔をよく見せて』
女性が目を細め、今にも泣き出しそうな顔で言う。
逆らう理由もないので素直に従うと、女性はパチパチと大きな拍手をした。
壁のない空間に、拍手の音が反響する――。
「な……なんですか?」
『すごい。すごいわ、あなた。歩けるのね!』
「え……? あたりま……」
……「当たり前」ということもないか、と思い口をつぐむ。
女性は近づいてきた俺の頬を両手で持ち、またにっこり笑う。
「な……何を」
『あなたはまだ、こんなところに来ちゃだめ。だってあなたは、幸せになるために生まれてきたのよ。100年先まで生きなきゃ』
「100年、……それは、さすがに――」
『ね、がんばるのよ、レオくん』
「え……?」
問い返す暇もなく、俺はその空間から弾き飛ばされた。
女性の正体と、あの呼称の意味が分かったのはそのすぐあとのこと……。
◇
「100年先……か」
あの時は、そんなのは無理に決まっていると思った。
だがあの人にとっては決して無理なことではなかった。あの人の中の俺は、生まれたばかりの赤子だったのだから。
『大切な人が来るのを待っているの』――。
「…………」
ブランコには誰も乗っていない。
"大切な人"は、彼女の存在に気がついただろうか。
"父"と"母"は、ちゃんと巡り会えたのだろうか……?
目を開けると、何もない真っ白な空間にひとり立っていた。
夢の中――いや、意識の海というやつだろう。
数ヶ月前"死んだ"時もここを歩いた。なぜ今またここにいるのだろう。
「!」
しばらく歩くと、ブランコが現れた。木でできた素朴な作りのブランコだ。
(……"あの人"は……?)
前ここに来たときも、このブランコが置いてあった。
そのとき、ブランコには女性が乗っていた。
どこか懐かしさを覚える、不思議な雰囲気の女性だった――。
◇
――1563年12月末、雪降り積もる図書館の跡地で、俺は死んだ。
……そのはずだった。
(どこだ、ここは……)
全てが終わったはずなのになぜか意識が続いていて、気づけば何もない真っ白な空間を歩いていた。
そういえば、ミランダ教だったか聖光神団だったかに、「死後の世界」についての伝承があった。
「死んだ人間の魂は生前の記憶の海をさまよい、やがて命の川を越えて冥府へ運ばれる」――というものだ。
ならここは、俺の記憶の世界か……?
"記憶の海"という割に、何も見えてこない。
代わりに、何かの音が耳に入ってくる。
反射的に耳をふさぐが、それはいつものような頭痛を引き起こす雑音とは様相がちがっていた。
――仲間が、俺を呼ぶ声。
気づけば目の前に透明の分厚い壁が何枚もそびえ立っており、その向こうにカイルとジャミルとベルナデッタ、そして幼い俺がいた。
幼い俺が「助けて」と言うと、3人は思い思いの行動を取りながら必死に俺を助けようとする。
神父に無理矢理持たされた鞭を取って投げ捨て、神父を斬り伏せ、"神"を否定して……。
「…………」
――随分と都合のいい妄想だ。
死んだあとに、何を夢見ているんだ。
踵を返してその場を去ろうとすると、3人は「グレン」と繰り返し繰り返し叫ぶ。
……もういい。それは俺の名前じゃない。「グレン・マクロード」を真名としていた人間は死んだんだ。
俺のことは忘れてほしい。誰の心からも消え去った方が、みんな楽になれる――……。
『だめよ』
「!」
歩みを進めると、後ろから誰かの声がした。
女性の声だ。振り向くと、さっきまで何もなかった白い空間にブランコが置いてあり、そこに若い女性が腰掛けていた。
黒髪に灰色の瞳、白い肌――ノルデン人だ。
黒髪ではあるが、その身なりや佇まいから貴族であることがうかがえる。
年の頃はレイチェルと同じか、それより年下か――女性というよりは、少女に近い外見だ。
『だめよ。ここへ来ちゃだめ。帰ってね』
そう言って女性はにこりと微笑む。
俺は俺の記憶を歩いているはずだが、この女性は記憶にない。
ブランコにも見覚えがない。俺の記憶に残っていて、かつ実際に遊んだことがあるのは、リューベ村の孤児院にあったブランコだけだ。
「……どこかでお目にかかったことがありましたでしょうか」
『ふふ、ないしょ』
「…………」
女性はブランコをゆるやかに動かしながら、指先で口元を隠していたずらっぽく笑う。
――気のせいだろうか。さっき引き止められたときもそうだったが、何か子供扱いをされているような……。
「……貴女は、なぜここにいるのですか。何をしているのですか」
『大切な人が来るのを待っているの』
「大切な人……?」
この人の大切な人とやらも、俺はたぶん知らない。なぜ、俺の記憶の世界で知らない人が知らない人を待っているのだろう。
『……あの方はかわいそうな方。どうしようもない悲しみと怒りを胸の内にとどめておけず、ご自分の魂を魔器にして呪いへと昇華してしまった。死んでしまったけれど、魂は闇に縛られたまま……』
「呪い……」
『そうよ。だから私は、あの方が来るのをずっと待っているの』
「……貴女からは、捜しに行かないのですか」
『私は闇へ行くことはできないの。あの方が、私に気づいてくれないと』
「…………」
『あなたはどう?』
「え?」
『あなたは、ちゃんと気がついている? あなたを大切に思う人のこと。……何も気がつかずに、誰にも気づかれずに、終わってしまっていい?』
女性が寂しげに微笑む。
何を返していいか分からず棒立ちになっていると、左手の甲が薄ぼんやりと赤い光を放ち始めた。
「……紋章が」
『よかった。誰か、あなたを呼んでくれる人がいるのね』
「誰か……?」
『さあ、誰でしょう』
「…………」
『もう、お別れね。……ねえ、こっちへ来て。顔をよく見せて』
女性が目を細め、今にも泣き出しそうな顔で言う。
逆らう理由もないので素直に従うと、女性はパチパチと大きな拍手をした。
壁のない空間に、拍手の音が反響する――。
「な……なんですか?」
『すごい。すごいわ、あなた。歩けるのね!』
「え……? あたりま……」
……「当たり前」ということもないか、と思い口をつぐむ。
女性は近づいてきた俺の頬を両手で持ち、またにっこり笑う。
「な……何を」
『あなたはまだ、こんなところに来ちゃだめ。だってあなたは、幸せになるために生まれてきたのよ。100年先まで生きなきゃ』
「100年、……それは、さすがに――」
『ね、がんばるのよ、レオくん』
「え……?」
問い返す暇もなく、俺はその空間から弾き飛ばされた。
女性の正体と、あの呼称の意味が分かったのはそのすぐあとのこと……。
◇
「100年先……か」
あの時は、そんなのは無理に決まっていると思った。
だがあの人にとっては決して無理なことではなかった。あの人の中の俺は、生まれたばかりの赤子だったのだから。
『大切な人が来るのを待っているの』――。
「…………」
ブランコには誰も乗っていない。
"大切な人"は、彼女の存在に気がついただろうか。
"父"と"母"は、ちゃんと巡り会えたのだろうか……?
応援ありがとうございます!
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