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~神聖ザカルデウィス帝国 旅禍篇~
~神聖ザカルデウィス帝国前編~ 悲哀
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ゼイフォゾンはクセルクセスの砂漠を車で移動していた。運転手の軍人は軽快に砂漠地帯を走破してゆく。この車はそれが可能な特殊な車であった。クセルクセスの城下町まであとどれくらいの時間がかかるかを聞くと、あと三時間ほどだそうだ。インペリウス大陸の巨大さを改めて認識したが、これでは運転手のほうが疲れないか。そう考えた。この間の時間をどう過ごそうかを考えた。ゼイフォゾンは自分の手記を取り出した。その手記にはいつもガトランの思い出ばかりが書かれていたが、今ではアルティスとの旅の記録がびっしりと書かれていた。ゼイフォゾンは手記をしまい、違う書物を取り出した。それは日記であった。そう言えば今日は日記を書いていない。なので、揺れる車の中で日記を綴る事にした。ゼイフォゾンの字は均等に整えられており、誰の目にも分かりやすいものになっていた。日記を綴る量は多く、そして長かった。その日に思った事を綴るのが日記だが、ゼイフォゾンにはそれ以上の意味を持つものとなっていた。ガトランが亡くなってからというもの、内容はネガティブなものになっているのかと思われるが、実際は実に前向きな内容で留まっている。ガトランが死んだから後ろ向きになるのではなく、ガトランがいたらきっと前向きになってもらいたいと思ったであろう事を、ゼイフォゾンは知っていた。表では泣いていたが、日記には日常の良かったところ、何気ない感謝の言葉を綴るようにしていた。それはゼイフォゾンを癒すと共に、生きる活力をくれるものになっていた。日記はゼイフォゾンにとって、自分を構成するとても重要な要素になっていた。今日はどんな事を書こうかと考えていた。移動にほとんどの時間を奪われている今、これといったイベントがあるわけではない。ゼイフォゾンは少し考え込んだ。そして、ペンを取り出した。その達筆は隣で見ていた運転手を唸らせるほどで、車の揺れを全く問題にしていないようであった。ゼイフォゾンはアルティス・ジ・オードという人間について書こうと決めた。ガトラン・ベネトナーシュという人間の次の旅の友、アルティスは自分にとってどういう人間かを書こうとしていた。帝王ゴーデリウス一世が自分の相棒に選んでくれた友である。皇国レミアムの人間は皆友であったのだが、アルティスは皇国レミアムに来てから最初に友となってくれた人間である。それについて考え、書こうとしていた。まずは日付と時間を書き、名前を書いた。素早く、丁寧に。そしてゆっくりと本文にうつった。
「アルティス・ジ・オードという人間について書こうと思う。彼は、聡明で、軍略に長け、史上最強の武と武器の錬金術を自在に操る稀有な人間である。彼は私を、皇国レミアム最初の友としてくれた。それは感謝している。ガトラン以上に自由を尊び、執政についても詳しい。仕事をしている姿は見た事はないが。それはいいとして、彼は才気煥発といった感覚が当てはまるだろう。彼の戦力は、恐らく国の一つ二つでは足りないところがある。兄である総帥、ゼウレアー・ジ・オードの戦力を上回る男なので、相棒としてはこれ以上ないが、彼は基本的に単独行動させたほうがいい。誰かにくっついて回るタイプではない。執政にもそれが出ている。副官に任せっきりで仕事はしないが、それが許されているのだ。何かあった時に全ての責任を取っているあたり、アルティス・ジ・オードという人間はかなりの器を持っていると考えていいのではないか。
まぁ、そのあたりも含めてガトランとはまた違う。ガトランは先と後の事を考えて、愚直に行動する男だったが、アルティスは先の先を見て行動し、その中でどう自分が上手く立ち回れるかを考え、目標に近付けるか……この二人の違いはこういう所だろう。しかし不思議だ、あの二人には淀みがない。ガトランは自分の目標について淀みがなかった。アルティスは自分のやるべき事について淀みがない。これはドグマ大陸の将軍に登り詰めた者の特徴なのだろうか。私には分からないが、私もそうなれば、そうあれと思って行動している。皇国レミアムのソード・オブ・オーダーなのだから。ソード・オブ・オーダーであっても不可能な事はたくさんある。こうして移動している間、自分の身柄は神聖ザカルデウィス帝国のものだ。事を荒立てて、喧嘩を売るのは良くない。こうして車というものに揺られている間、暇なものだ。どうしていいか分からなくなってしまう。馬での移動なら慣れているのだが、このように便利な物があると、人が怠惰になってしまうのも分かる気がする。アルティスはその怠惰に耐えられるだろうか。あの男は皇国レミアムの将軍である。ドグマ大陸に身を置くのに、戦艦や車といったものに慣れてしまう事は……いや、あり得る。アルティス・ジ・オードは、タオの国とカミシニの国に渡って修行を積み、敵がいなくなった状態になってから世界各地を放浪していたという。
その中に神聖ザカルデウィス帝国も含まれている事から、すぐに居心地が良くなって、満喫しているかも知れない。そうならそうでいいのだが。余談ではあるが、私は神聖ザカルデウィス帝国に一振りの剣として迎えられている。皇国レミアムのソード・オブ・オーダーという立場は、この国に浸透していないようである。それは仕方のない事なのだが、自分にも立場がある。神聖ザカルデウィス帝国には少し考慮して欲しいのと共に、私の執筆はここで終えるとする」
一通り書き終わったゼイフォゾンは運転手に残りの時間を聞いた。あと数分もすれば、クセルクセスの砂漠の城下町に着くという。そうか、もうそんな時間が経っていたのかと思ったゼイフォゾンは、その城下町の城壁を確認すると、ここは本当に同じコル・カロリの世界かと思うほどに荒れ果てた城門が姿を現した。城門は開きっぱなしで、いつでも、誰でも城下町に入れた。車がそこを通り過ぎると、一気に視界は開け、独特な衣装に身を包んだ住人たちが忙しく動いていた。自分が乗ってきた車と同じ造りをした車が何台も停まっており、いかにも砂漠の城下町といった印象である。だが気になる事はあった。町自体も激しく荒廃しているように思える。テントで住む者もいたり、廃墟のような家屋から出てくる老人もいる。その治安の悪さは、神聖ザカルデウィス帝国、インペリウス大陸の中でも随一であると語っていた。それは何故なのかと問い質したら、その質問に対して無言を貫くばかりだった。ゼイフォゾンは、この惨状はドグマ大陸では見ていなかった部分であった。ドグマ大陸は間違いなく、満遍なく見てきたが、そういった荒廃した土地はアリアドネの広陵くらいで、他はなかった。超大国にもなると、こういった場所も存在するのかと思った。そう思うしかなかった。ここの住民の目は死んでいた。希望も、夢も、全てを諦めた目をしていた。神聖ザカルデウィス帝国は何もしなかったのかと、元帥ギルバートは何をやっていたのだろうとゼイフォゾンは憤りを感じていた。皇国レミアム領内ではこんな事は決して起こらないのに、何故こんな暴挙が許されるのだろうか。車が止まった、目的地に着いたらしい。車から降りると、そこには黄土色でくすんでいる城が目の前にあった。城の目の前には、飢餓で疲れている衛兵がやっと守っていた。衛兵でさえもこの有様である。この城に住んでいる黒竜騎士団の団長とはいったいどのような人間なのであろうか。このクセルクセスの砂漠の城下町の状況を見て私腹を肥やしているのではないかと、ゼイフォゾンは思っていた。もしその通りであれば、対応を考えなくてはいけない。決して死ぬ事がない、不死身を誇る、五大竜騎士団最強の将軍がいったい何をやっているのか、それを確かめなくてはいけないという、ある種の正義感をもって入城した。
その城の内部は廃れていた。部屋では荒くれものが暴れまわり、ある部屋では怪しい男が女を犯していた。おおよそ城の内部とは思えないものがある。ゼイフォゾンは身震いした。城がまったく機能していない、いや、そもそも城として成り立っていない。統治している将軍がある程度の治世ができていればこんな事はあり得ない。何が、この城下町で何が起こっているのか。運転手の男はいなかった。ゼイフォゾンを降ろした後にどこかへ行ってしまったようである。多分、本国である光都エリュシオンへと帰ってしまったのだろう。何ともふざけた人間である、というよりはこの城下町を嫌ったのであろう。それにしても気に入らない。ゼイフォゾンは案内人と思われる老人に促されるまま、城の上部まで上がっていった。そして、ひとつの部屋に辿り着いた。部屋の扉を開けると、そこには全てに憂いているような目をしている若者がいた。漆黒の鎧に、紫色の外套、その風貌はまさに死をばら撒くような凄まじい偉容があったが、その目には生気がなかった。改めて言えば全てに絶望したかのような目をしていた。そしてその男が、その黒竜騎士団の団長、五大竜騎士団最強の将軍カオウス・オデュッセス・オーファンであると、ゼイフォゾンは認識した。カオウスはゼイフォゾンを認めると、部屋の椅子へ腰かけるように促した。
「君が、一振りの剣かな。僕はカオウス、黒竜騎士団の団長だ。この城下町の惨状を見たと思う、心を痛めたろう。すまないね、僕には老いもなければ空腹になる事もないんだ。こういう体になったのには状況があったからなんだけどね」
「そういう事なら仕方ない。だが納得いかない事がある。何故この城下町はこういった事になっているのか?私はこう思う、元帥ギルバートは何もやっていないのではないかと」
「逆なんだ。何かをしてしまったから、こうなってしまったんだ。それは過ぎた事になって、仕方ないものとして解釈されてしまったんだけどね。僕はそうは思わないけど」
「というと?」
「ここのクセルクセスの砂漠の町はね、税が払えなかったんだ。それはもう重い税の取り立てが続いてね……厳しかったんだ。それまではこの町は平和で、均衡の取れたいい町だったんだ。でも税が払えずにとうとうその日が来てしまったんだ。それは町を焼き払い、反抗してきた男たちを皆殺しにして、女たちを凌辱する事だった。その非人道的な行いを指揮したのは、紛れもなく元帥ギルバートだった。僕はそれに参加しなかったけど、最後まで反対したんだ。こんな事は何の生産性もないって……でも元帥ギルバートは光都エリュシオンの隆盛しか考えていなかった。その結果が、これだよ。見てみて、高い所からこの町の現状を。僕はこういう町を任された、それも任されただけで、元帥ギルバートは統治はするなって言ったんだ。自分の汚点を表に出されたくないんだろう。僕は将軍の立場だから、元帥であるギルバートには逆らえないんだ。どうしてもね、そうなれば一族郎党皆殺しに遭ってしまうから。僕にも光都エリュシオンに家族がいるから……」
「こんな町を創り上げるのが治世なら間違っているな、それもお前に何もするなという脅しまでかけて。おおよそ人間のする事ではない」
「全ては僕が持ってしまった力のせいだよ。この僕の得物、テトラグラマトンは僕だけを不死身にして、力を与えてくれるけど、それは元帥ギルバートにとって不都合なものだった。元帥ギルバートが唯一制圧できなかった将軍は、僕だ。僕の力の前では、彼は拮抗状態に持ち込むしかない。そして僕の相棒は邪竜王グラム、死をばら撒く最悪の竜王さ……僕はその死を克服した最初の人間なんだ。僕だけは神聖ザカルデウィス帝国で最強の将軍になれたけど、僕は神聖ザカルデウィス帝国にとって一番不都合な人間なんだ。悲しいけど、僕はここに縛られて、恨まれるしかない。僕はもう諦めている、こうしていてもう四年経つからね」
「四年もそうしているのか!何故行動しなかった?その間にもギルバートにクーデターを起こす事もできるであろうに。私ならそうするが……」
「僕がクーデターを起こしたら、この神聖ザカルデウィス帝国はどうなるかな。光都エリュシオンは元帥ギルバートの威光で成り立っているからね、それだけじゃない。戦火はインペリウス大陸全土に広がるだろうね。そうなったら止める人間はほとんどいない。五大竜騎士団は分裂するし、国が荒れて、このクセルクセスの砂漠の町は本当に人が住めなくなる場所になる。元帥ギルバートが掲げる理想もきっと正義の範疇なんだよ。僕はそれを否定できないでいる。僕は怖いのさ、僕が蜂起する事で、僕のせいで神聖ザカルデウィス帝国が混乱する事を、僕は望まないんだ。分かってくれ」
「それほどの力をむやみやたらに振るわないその姿勢、民を想う気持ち、その絶望、失望、諦め、怒り、称賛に値する。その力、私に貸してくれないか。私の相棒であるアルティス・ジ・オードがゲンドラシル・ジェノーバとソーン・ロックハンスを口説いている。私はこの神聖ザカルデウィス帝国を旅の途中で変えたいと願っている。ギルバートとアイゼンは私の住むドグマ大陸の侵攻を計画した張本人だ。コル・カロリの世界を統一させるなど、私は許さない。そんな身勝手は世界の大逆者のやる事だ。それで世界が和平に向かうとは思えない」
「君の理想は分かるつもりだよ。でも、もうこの件に関わらないほうがいいと思う」
「お前の気持ちに変化が生じたら、いつでも言って欲しい」
「わかった……」
ゼイフォゾンは部屋を出た。このカオウスの抱える問題、業は深いと考えた。この問題を解消するには、自分が立ってやってみせないとダメだと考えた。しかし、具体的にどうやって立ってやったらいいのか分からない。頼れるのはアルティスくらいで、後はバックについてくれる人間が分からない。どうやって自分が先頭に立つべきかを考えたが、いつまでも答えが出ない。それをするには、カオウスの心に変化を訪れさせるにはどうすればよいか。その時を待っていては、アルティスが飽き飽きするであろう。これは永遠のテーマにも思えた。カオウスの絶望、諦め、怒りは、その相反する想いを力に変えて行動させる事はきっと可能なのではないか。それを導くにはどうすればよいか。それを考えた時、答えは一つしかなかった。一度、刃を交えるしかあるまい。五大竜騎士団最強の将軍、黒竜騎士団の団長、不死身の男カオウス・オデュッセス・オーファンと戦い、本音を引き出すしかない。そうするには、自分が必要悪になる必要があるであろう。その必要悪となるための行動、それはこの城下町の荒くれものを統率する必要があった。悪党になって、カオウスの目に留まらなければいけない。必要とあれば、カオウスの一番嫌う事も嫌な顔ひとつせずにやらなければいけない。そんな事をすればきっと神聖ザカルデウィス帝国に反旗を翻す者になってしまうのかも知れないが、それも含めて考えなくてはいけない。ゼイフォゾンは覚悟を決めなければいけなかった。自分が今からやろうとしている事は、きっと自分の想いに反する事である。それを亡くなったガトランが許すかどうかは、自分が天界に旅立った時に問うてみよう。まずはこの大切な事を終わらせ、カオウスを目覚めさせるしか方法はない。具体的にどうするのかを考え、ゼイフォゾンはすぐさま行動に移した。このクセルクセスの砂漠の城下町の荒くれものと怪しい男に声をかけ、片っ端から嘘を吹聴した。
「私についてくれば、この町はやろう。どうだ、来る気はないか?」
「本当かぁ?本当だったらいいけどよぉ、嘘吐いたら許さないぜ」
「その代わり、私の頼みを聞いて欲しいのだ。良いか……」
この頼みの正体は未だ明かされる事はないが、そうやって集団を作っていった。その集団は烏合の衆に見えたが、ゼイフォゾンが見事に統率していたので、そう見える事はなかった。しかし、ゼイフォゾンは間違えていなかった。確かにカオウスへの反攻作戦を立てたが、そこにはちゃんとした思惑があった。ある時は暴力で人を従わせる事もあったが、そうやって他人を支配していく事にきちんと心を痛めていた。ゼイフォゾンは自分の間違いを正してくれるのはきっとカオウスだけであろうと考えた。ここまでしてカオウスが動かなければ、あの男はただの絶望に浸っているだけの自己満足で成り立っている人間である。きっとそうはならないはずである。そう信じていた。ゼイフォゾンは、自分の日記を見返した。アルティスとガトランの事を書いてある。そこには嘘偽りはない、自分のやっている事に疑問はあれど、これは任務なのだ。自分で課した大切な芝居である。カオウスはどう動くであろうか、ゼイフォゾンはそこに賭けた。五大竜騎士団最強の将軍がどう動くかでこの状況はどのようにでも動く。その頃、カオウスは城から、自分の城に攻めてくる集団の先頭に立ったゼイフォゾンを見て、ため息を吐いた。
「君は、ゼイフォゾン……この神聖ザカルデウィス帝国で何がしたいんだい。こんな事をしても僕には通用しない事をよく知っているはずだ。これくらいなら僕一人で制圧できる。争いを嫌うのが君の矜持じゃなかったのかい?それは僕の買い被りかい?どうなんだ……答えろ!ゼイフォゾン!」
「カオウス様、反攻勢力がすぐそこまで来ています。それを率いるのは、皇国レミアムのソード・オブ・オーダーという立場の者だとか……」
「ゼイフォゾンの事だろう?僕には分かるよ。彼はおかしいんだ、こんな事をしても無駄なのに、ゼイフォゾンでも僕には勝てない、それは分かっているはずだよ。どうするんだろうね、きっと窮地なのは彼らなのに。残念だよ、ゼイフォゾン」
「いかようにして制圧いたしましょうか」
「この城に入れてもいい。僕は裏手から出てクセルクセスの砂漠のオアシスまで行く。そこでゼイフォゾンと戦おう」
「分かりました」
ゼイフォゾンの決意とカオウスの意地がぶつかろうとしていた。それは止められないものとなっていた。ゼイフォゾンが率いる男たちが城へなだれ込んできた。その勢いは雑であったが、ゼイフォゾンの統率のもと、均整の取れた暴力であった。それを止められる兵はいなかった。しかし、男たちは誰一人殺さなかった。カオウスはオアシスへと向かい、儚げな表情を崩さなかった。ゼイフォゾンはきっと自分には、どうせ勝てないだろうと考えていた。不死身である自分には。そして地下から邪竜王グラムが出てきた。その姿は骨が剥き出しになっており、内部にわずかな肉体が残留しているだけの禍々しい姿をした巨竜であった。それは瘴気を放っており、それに触れた動植物はゴミになっていく。それが死をばら撒くと言われる黒竜騎士団の団長の正体であった。カオウスはその背に乗ると、万全の状態でゼイフォゾンを迎えうつ準備が整ったことを確認した。この自分の与える絶対の死を前にして、ゼイフォゾンは逃げる事も拒絶する事も能わぬであろう。それはそうなのかも知れないが、間違っている事が一つあった。ゼイフォゾンは、人外という存在から遠く離れた存在である事に。
「アルティス・ジ・オードという人間について書こうと思う。彼は、聡明で、軍略に長け、史上最強の武と武器の錬金術を自在に操る稀有な人間である。彼は私を、皇国レミアム最初の友としてくれた。それは感謝している。ガトラン以上に自由を尊び、執政についても詳しい。仕事をしている姿は見た事はないが。それはいいとして、彼は才気煥発といった感覚が当てはまるだろう。彼の戦力は、恐らく国の一つ二つでは足りないところがある。兄である総帥、ゼウレアー・ジ・オードの戦力を上回る男なので、相棒としてはこれ以上ないが、彼は基本的に単独行動させたほうがいい。誰かにくっついて回るタイプではない。執政にもそれが出ている。副官に任せっきりで仕事はしないが、それが許されているのだ。何かあった時に全ての責任を取っているあたり、アルティス・ジ・オードという人間はかなりの器を持っていると考えていいのではないか。
まぁ、そのあたりも含めてガトランとはまた違う。ガトランは先と後の事を考えて、愚直に行動する男だったが、アルティスは先の先を見て行動し、その中でどう自分が上手く立ち回れるかを考え、目標に近付けるか……この二人の違いはこういう所だろう。しかし不思議だ、あの二人には淀みがない。ガトランは自分の目標について淀みがなかった。アルティスは自分のやるべき事について淀みがない。これはドグマ大陸の将軍に登り詰めた者の特徴なのだろうか。私には分からないが、私もそうなれば、そうあれと思って行動している。皇国レミアムのソード・オブ・オーダーなのだから。ソード・オブ・オーダーであっても不可能な事はたくさんある。こうして移動している間、自分の身柄は神聖ザカルデウィス帝国のものだ。事を荒立てて、喧嘩を売るのは良くない。こうして車というものに揺られている間、暇なものだ。どうしていいか分からなくなってしまう。馬での移動なら慣れているのだが、このように便利な物があると、人が怠惰になってしまうのも分かる気がする。アルティスはその怠惰に耐えられるだろうか。あの男は皇国レミアムの将軍である。ドグマ大陸に身を置くのに、戦艦や車といったものに慣れてしまう事は……いや、あり得る。アルティス・ジ・オードは、タオの国とカミシニの国に渡って修行を積み、敵がいなくなった状態になってから世界各地を放浪していたという。
その中に神聖ザカルデウィス帝国も含まれている事から、すぐに居心地が良くなって、満喫しているかも知れない。そうならそうでいいのだが。余談ではあるが、私は神聖ザカルデウィス帝国に一振りの剣として迎えられている。皇国レミアムのソード・オブ・オーダーという立場は、この国に浸透していないようである。それは仕方のない事なのだが、自分にも立場がある。神聖ザカルデウィス帝国には少し考慮して欲しいのと共に、私の執筆はここで終えるとする」
一通り書き終わったゼイフォゾンは運転手に残りの時間を聞いた。あと数分もすれば、クセルクセスの砂漠の城下町に着くという。そうか、もうそんな時間が経っていたのかと思ったゼイフォゾンは、その城下町の城壁を確認すると、ここは本当に同じコル・カロリの世界かと思うほどに荒れ果てた城門が姿を現した。城門は開きっぱなしで、いつでも、誰でも城下町に入れた。車がそこを通り過ぎると、一気に視界は開け、独特な衣装に身を包んだ住人たちが忙しく動いていた。自分が乗ってきた車と同じ造りをした車が何台も停まっており、いかにも砂漠の城下町といった印象である。だが気になる事はあった。町自体も激しく荒廃しているように思える。テントで住む者もいたり、廃墟のような家屋から出てくる老人もいる。その治安の悪さは、神聖ザカルデウィス帝国、インペリウス大陸の中でも随一であると語っていた。それは何故なのかと問い質したら、その質問に対して無言を貫くばかりだった。ゼイフォゾンは、この惨状はドグマ大陸では見ていなかった部分であった。ドグマ大陸は間違いなく、満遍なく見てきたが、そういった荒廃した土地はアリアドネの広陵くらいで、他はなかった。超大国にもなると、こういった場所も存在するのかと思った。そう思うしかなかった。ここの住民の目は死んでいた。希望も、夢も、全てを諦めた目をしていた。神聖ザカルデウィス帝国は何もしなかったのかと、元帥ギルバートは何をやっていたのだろうとゼイフォゾンは憤りを感じていた。皇国レミアム領内ではこんな事は決して起こらないのに、何故こんな暴挙が許されるのだろうか。車が止まった、目的地に着いたらしい。車から降りると、そこには黄土色でくすんでいる城が目の前にあった。城の目の前には、飢餓で疲れている衛兵がやっと守っていた。衛兵でさえもこの有様である。この城に住んでいる黒竜騎士団の団長とはいったいどのような人間なのであろうか。このクセルクセスの砂漠の城下町の状況を見て私腹を肥やしているのではないかと、ゼイフォゾンは思っていた。もしその通りであれば、対応を考えなくてはいけない。決して死ぬ事がない、不死身を誇る、五大竜騎士団最強の将軍がいったい何をやっているのか、それを確かめなくてはいけないという、ある種の正義感をもって入城した。
その城の内部は廃れていた。部屋では荒くれものが暴れまわり、ある部屋では怪しい男が女を犯していた。おおよそ城の内部とは思えないものがある。ゼイフォゾンは身震いした。城がまったく機能していない、いや、そもそも城として成り立っていない。統治している将軍がある程度の治世ができていればこんな事はあり得ない。何が、この城下町で何が起こっているのか。運転手の男はいなかった。ゼイフォゾンを降ろした後にどこかへ行ってしまったようである。多分、本国である光都エリュシオンへと帰ってしまったのだろう。何ともふざけた人間である、というよりはこの城下町を嫌ったのであろう。それにしても気に入らない。ゼイフォゾンは案内人と思われる老人に促されるまま、城の上部まで上がっていった。そして、ひとつの部屋に辿り着いた。部屋の扉を開けると、そこには全てに憂いているような目をしている若者がいた。漆黒の鎧に、紫色の外套、その風貌はまさに死をばら撒くような凄まじい偉容があったが、その目には生気がなかった。改めて言えば全てに絶望したかのような目をしていた。そしてその男が、その黒竜騎士団の団長、五大竜騎士団最強の将軍カオウス・オデュッセス・オーファンであると、ゼイフォゾンは認識した。カオウスはゼイフォゾンを認めると、部屋の椅子へ腰かけるように促した。
「君が、一振りの剣かな。僕はカオウス、黒竜騎士団の団長だ。この城下町の惨状を見たと思う、心を痛めたろう。すまないね、僕には老いもなければ空腹になる事もないんだ。こういう体になったのには状況があったからなんだけどね」
「そういう事なら仕方ない。だが納得いかない事がある。何故この城下町はこういった事になっているのか?私はこう思う、元帥ギルバートは何もやっていないのではないかと」
「逆なんだ。何かをしてしまったから、こうなってしまったんだ。それは過ぎた事になって、仕方ないものとして解釈されてしまったんだけどね。僕はそうは思わないけど」
「というと?」
「ここのクセルクセスの砂漠の町はね、税が払えなかったんだ。それはもう重い税の取り立てが続いてね……厳しかったんだ。それまではこの町は平和で、均衡の取れたいい町だったんだ。でも税が払えずにとうとうその日が来てしまったんだ。それは町を焼き払い、反抗してきた男たちを皆殺しにして、女たちを凌辱する事だった。その非人道的な行いを指揮したのは、紛れもなく元帥ギルバートだった。僕はそれに参加しなかったけど、最後まで反対したんだ。こんな事は何の生産性もないって……でも元帥ギルバートは光都エリュシオンの隆盛しか考えていなかった。その結果が、これだよ。見てみて、高い所からこの町の現状を。僕はこういう町を任された、それも任されただけで、元帥ギルバートは統治はするなって言ったんだ。自分の汚点を表に出されたくないんだろう。僕は将軍の立場だから、元帥であるギルバートには逆らえないんだ。どうしてもね、そうなれば一族郎党皆殺しに遭ってしまうから。僕にも光都エリュシオンに家族がいるから……」
「こんな町を創り上げるのが治世なら間違っているな、それもお前に何もするなという脅しまでかけて。おおよそ人間のする事ではない」
「全ては僕が持ってしまった力のせいだよ。この僕の得物、テトラグラマトンは僕だけを不死身にして、力を与えてくれるけど、それは元帥ギルバートにとって不都合なものだった。元帥ギルバートが唯一制圧できなかった将軍は、僕だ。僕の力の前では、彼は拮抗状態に持ち込むしかない。そして僕の相棒は邪竜王グラム、死をばら撒く最悪の竜王さ……僕はその死を克服した最初の人間なんだ。僕だけは神聖ザカルデウィス帝国で最強の将軍になれたけど、僕は神聖ザカルデウィス帝国にとって一番不都合な人間なんだ。悲しいけど、僕はここに縛られて、恨まれるしかない。僕はもう諦めている、こうしていてもう四年経つからね」
「四年もそうしているのか!何故行動しなかった?その間にもギルバートにクーデターを起こす事もできるであろうに。私ならそうするが……」
「僕がクーデターを起こしたら、この神聖ザカルデウィス帝国はどうなるかな。光都エリュシオンは元帥ギルバートの威光で成り立っているからね、それだけじゃない。戦火はインペリウス大陸全土に広がるだろうね。そうなったら止める人間はほとんどいない。五大竜騎士団は分裂するし、国が荒れて、このクセルクセスの砂漠の町は本当に人が住めなくなる場所になる。元帥ギルバートが掲げる理想もきっと正義の範疇なんだよ。僕はそれを否定できないでいる。僕は怖いのさ、僕が蜂起する事で、僕のせいで神聖ザカルデウィス帝国が混乱する事を、僕は望まないんだ。分かってくれ」
「それほどの力をむやみやたらに振るわないその姿勢、民を想う気持ち、その絶望、失望、諦め、怒り、称賛に値する。その力、私に貸してくれないか。私の相棒であるアルティス・ジ・オードがゲンドラシル・ジェノーバとソーン・ロックハンスを口説いている。私はこの神聖ザカルデウィス帝国を旅の途中で変えたいと願っている。ギルバートとアイゼンは私の住むドグマ大陸の侵攻を計画した張本人だ。コル・カロリの世界を統一させるなど、私は許さない。そんな身勝手は世界の大逆者のやる事だ。それで世界が和平に向かうとは思えない」
「君の理想は分かるつもりだよ。でも、もうこの件に関わらないほうがいいと思う」
「お前の気持ちに変化が生じたら、いつでも言って欲しい」
「わかった……」
ゼイフォゾンは部屋を出た。このカオウスの抱える問題、業は深いと考えた。この問題を解消するには、自分が立ってやってみせないとダメだと考えた。しかし、具体的にどうやって立ってやったらいいのか分からない。頼れるのはアルティスくらいで、後はバックについてくれる人間が分からない。どうやって自分が先頭に立つべきかを考えたが、いつまでも答えが出ない。それをするには、カオウスの心に変化を訪れさせるにはどうすればよいか。その時を待っていては、アルティスが飽き飽きするであろう。これは永遠のテーマにも思えた。カオウスの絶望、諦め、怒りは、その相反する想いを力に変えて行動させる事はきっと可能なのではないか。それを導くにはどうすればよいか。それを考えた時、答えは一つしかなかった。一度、刃を交えるしかあるまい。五大竜騎士団最強の将軍、黒竜騎士団の団長、不死身の男カオウス・オデュッセス・オーファンと戦い、本音を引き出すしかない。そうするには、自分が必要悪になる必要があるであろう。その必要悪となるための行動、それはこの城下町の荒くれものを統率する必要があった。悪党になって、カオウスの目に留まらなければいけない。必要とあれば、カオウスの一番嫌う事も嫌な顔ひとつせずにやらなければいけない。そんな事をすればきっと神聖ザカルデウィス帝国に反旗を翻す者になってしまうのかも知れないが、それも含めて考えなくてはいけない。ゼイフォゾンは覚悟を決めなければいけなかった。自分が今からやろうとしている事は、きっと自分の想いに反する事である。それを亡くなったガトランが許すかどうかは、自分が天界に旅立った時に問うてみよう。まずはこの大切な事を終わらせ、カオウスを目覚めさせるしか方法はない。具体的にどうするのかを考え、ゼイフォゾンはすぐさま行動に移した。このクセルクセスの砂漠の城下町の荒くれものと怪しい男に声をかけ、片っ端から嘘を吹聴した。
「私についてくれば、この町はやろう。どうだ、来る気はないか?」
「本当かぁ?本当だったらいいけどよぉ、嘘吐いたら許さないぜ」
「その代わり、私の頼みを聞いて欲しいのだ。良いか……」
この頼みの正体は未だ明かされる事はないが、そうやって集団を作っていった。その集団は烏合の衆に見えたが、ゼイフォゾンが見事に統率していたので、そう見える事はなかった。しかし、ゼイフォゾンは間違えていなかった。確かにカオウスへの反攻作戦を立てたが、そこにはちゃんとした思惑があった。ある時は暴力で人を従わせる事もあったが、そうやって他人を支配していく事にきちんと心を痛めていた。ゼイフォゾンは自分の間違いを正してくれるのはきっとカオウスだけであろうと考えた。ここまでしてカオウスが動かなければ、あの男はただの絶望に浸っているだけの自己満足で成り立っている人間である。きっとそうはならないはずである。そう信じていた。ゼイフォゾンは、自分の日記を見返した。アルティスとガトランの事を書いてある。そこには嘘偽りはない、自分のやっている事に疑問はあれど、これは任務なのだ。自分で課した大切な芝居である。カオウスはどう動くであろうか、ゼイフォゾンはそこに賭けた。五大竜騎士団最強の将軍がどう動くかでこの状況はどのようにでも動く。その頃、カオウスは城から、自分の城に攻めてくる集団の先頭に立ったゼイフォゾンを見て、ため息を吐いた。
「君は、ゼイフォゾン……この神聖ザカルデウィス帝国で何がしたいんだい。こんな事をしても僕には通用しない事をよく知っているはずだ。これくらいなら僕一人で制圧できる。争いを嫌うのが君の矜持じゃなかったのかい?それは僕の買い被りかい?どうなんだ……答えろ!ゼイフォゾン!」
「カオウス様、反攻勢力がすぐそこまで来ています。それを率いるのは、皇国レミアムのソード・オブ・オーダーという立場の者だとか……」
「ゼイフォゾンの事だろう?僕には分かるよ。彼はおかしいんだ、こんな事をしても無駄なのに、ゼイフォゾンでも僕には勝てない、それは分かっているはずだよ。どうするんだろうね、きっと窮地なのは彼らなのに。残念だよ、ゼイフォゾン」
「いかようにして制圧いたしましょうか」
「この城に入れてもいい。僕は裏手から出てクセルクセスの砂漠のオアシスまで行く。そこでゼイフォゾンと戦おう」
「分かりました」
ゼイフォゾンの決意とカオウスの意地がぶつかろうとしていた。それは止められないものとなっていた。ゼイフォゾンが率いる男たちが城へなだれ込んできた。その勢いは雑であったが、ゼイフォゾンの統率のもと、均整の取れた暴力であった。それを止められる兵はいなかった。しかし、男たちは誰一人殺さなかった。カオウスはオアシスへと向かい、儚げな表情を崩さなかった。ゼイフォゾンはきっと自分には、どうせ勝てないだろうと考えていた。不死身である自分には。そして地下から邪竜王グラムが出てきた。その姿は骨が剥き出しになっており、内部にわずかな肉体が残留しているだけの禍々しい姿をした巨竜であった。それは瘴気を放っており、それに触れた動植物はゴミになっていく。それが死をばら撒くと言われる黒竜騎士団の団長の正体であった。カオウスはその背に乗ると、万全の状態でゼイフォゾンを迎えうつ準備が整ったことを確認した。この自分の与える絶対の死を前にして、ゼイフォゾンは逃げる事も拒絶する事も能わぬであろう。それはそうなのかも知れないが、間違っている事が一つあった。ゼイフォゾンは、人外という存在から遠く離れた存在である事に。
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