【完結】貴方の傍に幸せがないのなら

なか

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2話

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『ナディア……貴方が持っている力はね。多くの人を幸せにするのよ』

『なにいっているの? おかあさん』

 おぼろげな意識の中で見えるのは亡き母の姿。
 私が幼い頃に言ってくれた言葉が、頭に反芻していく。

『きっといつか分かる。でもそれまで普通に暮らして、幸せに生きて』

『……わかんないよ。おかあさん?』

『ちゃんと普通に暮らして、その力をどう使うのか……貴方自身で判断するのよ』

 ……なにいっているの。
 訳が……わからな––––



  ◇◇◇



「お……かあさん?」

 瞳を開けば、見慣れた部屋の天井が見える。
 どうやら寝ていて、昔の夢を見てしまっていたようだ。
 身体を起こして隣を見るが……ルーベルの姿がない事にため息を吐く。

「やっぱり、帰ってきてない」

 戦地から帰還したルーベルを迎えに行った昨日、あれからも家で待った。
 なにかの間違いであってほしいと願うように、待ち続けたのだ。

 だけど、いくら待ってもルーベルは帰ってこない。
 いつもと変わらない一人きりの寝台で過ごす孤独感が、より一層増しただけだった。

「どうして……ルーベル」

 だめだ、また泣いてしまう。
 胸が痛い、どうしてあれだけ冷たくされたのか分からない。

 身なりが綺麗ではなかったから?
 何か彼にとって、癪に障ったのだろうか?
 迷う程に答えは分からなくて、考えるほどに余計に胸が苦しくなっていく。


「お店、開かないと」


 だけど、悲しんでいる暇はなかった。
 連日もパン屋を休めないし、そうすればお客さんの皆に心配されてしまう。

 貯蓄に余裕があるわけでもない、生きていくためには働かないと。
 私はそう思い、悲しむ心に蓋をしてパン屋を開く。

「あれま、えらく浮かない顔をしてるね。ナディアちゃん」

 焼きあがったパンを店頭に並べていると、早速やって来た常連のお客さんが心配そうに声をかけてくれる。
 つられるようにして、続々とやって来たお客さん達が一様に表情を曇らせた。

「どうしたの、なにかあったのかい」

 優しい言葉や心配の声に、押さえていた感情は止められなかった。
 ルーベルの冷たい態度が脳裏をよぎって、また涙がこぼれてしまうのだ。

「ど、どうしたんだい! ナディアちゃん」
「あんた、ちょっと椅子を持ってきてあげてよ」

 情けないけれど、有難かった。
 常連の皆は優しくて、ルーベルの見せた対応とまるで違う。
 皆が心配の声をかけてくれる中で、私は彼からの仕打ちを打ち明けた。

 今は少しでも、誰かに聞いて欲しかった。
 私に非があったのかどうか、尋ねたかった。
 けれど……

「なんだいそれ。ナディアちゃんに非なんてあるもんかい」
「その通りだわ……今までどれだけ支えてきたか、私達は知っているもの。感謝もなかったの?」

 常連の皆さんはルーベルへの怒りを示してくれる
 それが有難いと同時に、より昨日の彼の冷たさの意味が分からなくなってくる。

「そもそも、騎士として続けられたのもナディアちゃんの稼ぎがあったからだろうに」
「夫なら、ナディアちゃんがどれだけ尽くしてきたか分かるはずなのにね」
 
 ルーベルの行動原理を皆さんも意味が分からぬと口を揃えていた。
 なぜ、どうして、と皆の議論に熱がこもってくる中。
 一人のお爺さんが声を上げた。

「皆、落ち着きなさい。戦地から帰還したばかりで、ルーベル殿も少し混乱していたのだろう」

「混乱って、爺さん。それでも奥さんに冷たくするかねぇ?」

 別のお客さんが尋ねると、お爺さんは答える。

「儂も昔は戦地に居たから分かる。戦地では、自然と心が人を寄せ付けぬようにもなるものだ」
 
「ルーベルもそうだというのですか?」

「そうじゃ、ナディア嬢。きっと昨日のルーベル殿は戦地から帰還したばかりで、まだ心から警戒が消えていなかったのだろう。戦地とは人をそう変えてしまうものだ」

 他のお客さんも、私も……実際に戦場に出ていたというお爺さんの言葉の説得力に納得して、意味の分からなかったルーベルの行動理由に説明がついた気がした。

「一夜明けて、次に会う頃には警戒心も落ち着いているはずさ。だから今は信じて待ちんさい。それが騎士の妻としての務めでもある」

 お爺さんの言葉、騎士の妻という重みに俯く。
 しかしまだ……どこか懐疑的だからだ。
 
 昨日、ルーベルが私に向けたのは警戒というよりは……不快感といった感情だったと思う。
 だけど、それを口には出さずに今は頷く。

「確かにそうですね。今はルーベルを信じて、あと少しだけ待ってみようと思います」

「大丈夫かい、ナディアちゃん」
「なにかあればすぐに言うんだよ」

 大丈夫。
 皆さんに心配もかけてられないし、こうして頼れる人も多くいると分かったのだから。
 あと少しだけ、ルーベルを信じて待ってみよう。

 
   ◇◇◇


 その夜、太陽はすっかり落ちて街中の人気が消えていく。
 昼間には賑わっていた私のパン屋も、この時間にはパンも売れて店頭には寂しさが残る。
 とはいえまだ仕事は終わらない。

 売れたパンの売上を帳簿にまとめながら、明日の分のパンを準備していく。
 しかし疲れと寂しさもあって、いつもより時間がかかってしまった。

「まだ……帰ってこないのね」
 
 それだけ時間を過ごしたのに、ルーベルはまだ帰ってきていない。
 作っておいたスープはすっかり冷めて、寂しさをより引き立たせる。
 そんな時、扉が開く音が鳴った。

「……っ!」
 
 慌てて席を立ち、私は玄関へと向かう。
 そこには……ルーベルが立っていた。

「……」

 無言の彼に、昨日の冷たさを思い出して緊張する。
 だけど勇気を出して口を開く。

「ルーベル。おかえ––っ‼」

 おかえりと、伝えるつもりだった。
 昨日の冷たさなんて忘れて、明るく振舞って彼を迎えるつもりだった。

 でも、今の私は頬に走る痛みに頭が混乱していた。
 迎えた私の頬を……ルーベルが平手打ちしたからだ。

「え……」

「聞いたぞ、店先で俺の悪口を言っていたとは……騎士の妻としてあるまじき行いだ。気を付けろ」

「そんな、ちが」

「黙ってくれ。言い訳も、理由も聞く気はない」

 違う、違う。
 そんなつもりで常連の皆に相談したわけではない。
 伝えたいのに、ルーベルは私の返答も待たずに家の中へと入っていく。

「今日、帰ってきのはそれを伝えるためと……少し金銭が必要だからだ」

 淡々と告げたルーベルは、机に置かれていた今日の売上を手に掴み取る。
 私はあわてて、その手を止めた。

「待って、ルーベル! 一体……どうしたというの。帰ってきてからの貴方はおかしいよ」

「おかしくはない。俺は騎士として当然の振舞いを妻の君に求めているだけだ。それが出来ていない自分自身の未熟に疑問を抱いてくれ」

「な……にを言って」

「分からないのか? そういった部分が未熟だと言っている。騎士の妻という自覚をもってくれ」

 ルーベルは今日の売上金を手にして、もう外へと向かい出す。
 私の顔など一瞥もせず、冷たい表情を変えぬまま。
 その背中が……また遠ざかっていく。

「俺の評価は、今後はより一層大事になってくる。軽はずみな言動は慎み、未熟な自分を恥じて……これ以上は誰かに俺が夫だとは告げるな」

「なにを言って……」

「俺の責務の重さは直に分かる」

 意味の分からぬ言葉を告げて、ルーベルは家を出て行く。
 残された私は平手された頬の痛みに耐えきれずに、虚しく涙をこぼす。

 だけど、どれだけ悲しんでも時間は過ぎていくだけだった。

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