【完結】貴方の傍に幸せがないのなら

なか

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彼女が変えたもの・② ルーベルside

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 ナディアが王都を去ってから、すでに五日が経った。
 騎士団からの助力は期待できず、渋々とデムガル大臣の人員に助力を頼んだが捜索は難航している状況だ。
 不可解な事に馬の蹄を辿っていたが、休息をした跡が無いという。

 まるで馬が無尽蔵の体力を持っていたような……いや、あり得ぬ事だ。

「ナディア……どこまで俺の手を煩わせる気だ」

 幸いにも、大臣の言っていた通りにナディアが流した噂は少しずつ収束を始めた。
 しかし未だ俺は結果を出せておらず、今日も大臣に苦言を呈された。
 城内を歩く、帰りの足取りは重い。

「待って、ルーベル!」

 ふと、俺を引きとめる声に振り返る。

「リナリア姫……」

「貴方が王城に来たと聞いて、急いで参りました」

 走ってきたリナリアと熱い抱擁を交わして、燃えるような情愛に駆られて唇を重ねる。
 彼女の透き通った赤髪をなでれば、くすぐったそうに身をくねらせた。

「ルーベルに会えて、嬉しい」

「俺もです」

 今日も愛らしい。
 ナディアによって荒んでいた心が洗われる。

「リナリア姫、貴方には感謝しかありません。俺は本当に救われてる」

「ふふ、大げさよ、ルーベル」

 大げさな訳がない、俺にはリナリアが救いの光だった。
 かつての戦地で俺は多くの人を殺して、憎くもない人々に剣を突きつけていた。
 あの血みどろの戦地では常に恐怖に満たされていた。

 このままではいつか俺が死ぬ。
 いや……例え生きたとしても、こんなに大勢を殺めた俺が人間と言えるのか?
 返り血を浴びた髪、泥に濡れた手、爪の間には乾いた血が張り付いて、罪悪感が溢れる。
 そんな俺の元へ、彼女の声が響いた。

『ルーベル殿、絶え間ない戦地での活躍を感謝します』

 あの日、リナリアは戦地訪問で訪れ……血に濡れた俺の手を握って感謝を述べた。
 俺だけじゃなく、汚れるのも厭わずに騎士一人一人に感謝を述べていた。
 その行為と優しさに、人を殺めた罪悪感を払拭してもらえた気がした。
 心が洗われた、本当に救われたんだ。

 だから今度は、俺がリナリアを幸せにしたいと心から思っている。

「……」

「ルーベル、奥さんの事は大丈夫?」

 昔を思い出していた俺に、リナリアが問いかける。
 心配をかけてしまったようだ。

「問題ありません。あと少しだけ待っていてください」

「ルーベル、辛い事だけれど必ず奥様を見つけてね」

「分かってます。俺はリナリア姫と運命を共にするため……絶対に憂いを残しません」

「お願いね……から」

「……? リナリア姫。なにか言いましたか?」

「いえ」

 リナリアは一瞬、いつもの頬笑みを失くしていたように見えた。
 しかしそれは見間違いか、瞬きをすればまた笑っている。

「それではリナリア姫、これから予定があるので失礼します」

「確か今日は、奥さんが営んでいた店を見に行くのよね?」

「はい、あのパン屋は王都の一等地に建っている事もあってそれなりの資金源になります。だから手伝いを雇って、これまで通りに店を続ける予定です」

 あのパン屋の土地名義は大臣が書き換えてくれた。
 加えてナディアの存在を消すようにと、人手を使って彼女の物的痕跡を全て押収もしている。
 今はあのパン屋はもぬけの殻のはずだ。

 常連客がなにか言ってきても……土地の権利書はこちらにあり、法的な所有権を保持する俺に文句など言えないだろう。


「それではリナリア姫、今日はパン屋を営むにあたり衛生管理局の監査が入るので、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

 土地は手に入れたが、食品を扱う店を開く場合は衛生管理局の監査が必要らしい。
 面倒ではあるが、仕方ない事だとリナリアと別れた。


   ◇◇◇


「まさか英雄ルーベル殿が、パン屋を開くとは驚きですね」

 パン屋まで来れば、衛生管理局の職員が嬉しそうに話してくる。
 彼らに微笑むと、声援が上がって自尊心が満たされた。

「この土地は俺の知り合いから購入したもので、空いた店を友好活用したくてな。民とも交流の場にしたいんだ」

「流石は英雄殿、ご立派です。しかしここは以前まで、パン屋を営んでいた人が居たと聞いたのですが、その方はどこに……」

「その話はいい。監査はどれぐらいかかる」

「規定通りの衛生確認をいたしますので、半日を頂きます」
 
 そんなにかかるのかと、嫌気がしながら店前で待つ。
 ふと刺さるような視線を感じた。
 周囲を見れば、ナディアがパン屋を営んでいた時に常連だった客達が店前に集まっていた。
 
「ナディアちゃんは、どこに行ったの」

「……訳が分からない。そんな女性は知らない」

 突然の質問に驚いたが、白を切って話す。
 さらに鋭い視線になった、面倒だな……
 しかし彼らに俺とナディアとの関係を示す証拠などないはずだ。
 なにせ彼女が残した物は全て王家が押収しているのだから。

 騒ぐようなら、侮辱罪として罪に問うか。
 そう思っていた時、衛生管理局の職員が店内から出て来た。

「ルーベル殿、排水設備も調べますね」

「そんな所まで?」

「規定ですから」

 馬鹿馬鹿しい規定だ。
 排水設備を見たって、食品に影響などないだろうに……

「……ん? ルーベル殿、これはなんですか?」

「どうした」

 呟いた職員が排水設備から、紐で括られた木箱を取り出す。
 それが何か分からず困惑していると、店内から別の声があがった。

「排煙設備を見ましたが、こんな物がありました」

 店内を見ていた職員も同じ木箱を持っていた。
 その瞬間、急に嫌な予感がした。

「その木箱はこちらの物だ。渡してくれ」

「申し訳ありません。衛生監査中に発見した不審物は検査する規定ですから」

「待て。空けるな!」

 制止した声も届かずに、木箱が開かれる。
 それぞれに入っていたのは、書類だった。

「これは、この土地の権利書ですね。ん……? 名義はルーベル殿ではないようですが」
「こっちは結婚申請書だ。ルーベル殿と……ナディアという女性の名が。それに指輪まで」

 書類の詳細を聞いて、背筋に冷や汗が流れた。
 建物内のナディアの所有物は全て押収していたはずだった……
 しかし彼女はそれを予見し、排水設備などに重要な物を置いたのか?
 
 パン屋を営んでいた知識で、衛生管理局の職員が監査でそこを調べると分かっていたのだ。
 俺達王家は確認しないが、職員は監査確認する場所を狙って……重要な物を。
 嫌な予感が的中し、職員が疑惑の瞳を向けてくる。

「それを渡せ」

「できません。衛生管理局としては、この土地の所有権が不確定である以上。調査する規定です」

「黙れ! 先程から規定などとくだらない! 王家に仕える俺ではなく、規定を重視する気か?」

「くだらない規定? この規定にて王国の食事の安全を守ってきたのです。貴方が誰であろうと、規定に沿わぬ判断をする気はありません!」

 埒が明かない。
 こんな書類が広まってはならない、こうなれば強引にも……

「皆、来ておくれよ!」
「英雄ルーベル殿の土地で、結婚申請書があったらしいわ!」
「他の人の権利書もあるのよ!」

 最悪だ。
 こんな時に限って、事態を見ていたナディアの常連客達が騒ぎ出したのだ。
 忌々しい、どうする、どうすれば……!?

「何事だ」

 運悪くも巡回中の騎士さえ来てしまう。
 騒ぎは広がり、多くの観衆が野次馬のように集まっていた。

「衛生職員殿。これは?」

 巡回騎士が件の書類を見つめる。
 即座に騎士の瞳に警戒心が宿った。

「ルーベル殿、貴方か、この名義書に書かれた女性。どちらかがこの土地を不正利用した疑いがあります」

「黙れ、それは王家の大臣管轄で調査する」

「いえこれは騎士団管轄の事案です。正式にこの土地の権利関係について調査を始めます」

 やられた……これもナディアは狙ったのか?
 騎士団には箝口令が出されたが、土地の不正利用という罪に対しての調査は別。
 正式に騎士団がナディアについてを調査する口実が生まれてしまった。

「待て、それは俺が調べる。だから渡せ」

「できません」

「上官に逆らう気か?」

「俺の上官はセトアさんです。貴方ではない」

 まさかセトアの部隊員だなんて……今の状況は最悪だ。
 ナディアが隠していた物的証拠が、騎士団と衛生管理局の職員の手に渡ってしまったのだ。

「ルーベル殿は分かっているのですか? 土地を不正利用している疑いは、貴方にもかけられていると」

 嫌でも気付く、俺は……ナディアの謀略に嵌められた。
 あの女は一手先を読み、王国機関を上手く此度の事態に絡めた。

 大臣が恐れていた、噂を平民や貴族まで巻き込み始めている……ただの平民だったあの女に、してやられた。


『ナディア嬢こそが、現時点で最大の脅威ですよ』


 大臣の言う通りだ。
 ナディアが残した物のせいで、せっかく収まり始めていたあの忌まわしき噂が、集まった観衆によって再び騒がれ始めている。

 周囲の疑いの視線が刺さり、焦りが押し寄せ、動悸が止まらない。
 俺は情けなくも何も言えずに、その場を去るしかできなかった。
 
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