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第十一章
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真実の代償
数日後。文政庁の朝は、ざわめきと緊張に包まれていた。
「見たか? 新しい記録書……」
「都西部の鎮圧、実はあんなひどい状況だったなんて……筆録官補が、独断で追加記録したと聞いたぞ」
庁内に広がる噂。その中心には、杜若の書いた一文があった。
《鎮圧は、報告された「小規模の暴徒排除」ではなく、飢饉による民衆の訴えを、武で封じたものであった。》
その記録は景融の監修を得て、密かに月例報として回覧されたが――
内容の重さに、庁内は騒然となった。
そして、すぐに上層部の命が下る。
「筆録官補・杜若、出仕を禁じる。監査のため、即刻執務を停止せよ」
執務室の前で、告げられた冷たい命令。
「……分かりました」
杜若は表情を変えず、筆を静かに置いた。
柳采琳がその場に駆け寄ってくる。
「杜若、これはあんまりよ……正しいことを書いたのに、罰だなんて!」
杜若は小さく首を振った。
「筆をとった時から、これは覚悟していたことです。……でも、本当に怖いのは、“書かないこと”だと思うから」
そこへ、景融が現れた。
「監査官の処分命令には、私が異議を申し立てた。彼女の記録は私の承認下にあり、筆録官としての義務を果たしただけだと」
「……それでも、私が書いたものには変わりありません」
景融はしばらく黙ったのち、ぽつりと呟いた。
「君は、誰かの声を救った。それだけで、十分すぎるほど、尊い」
*
翌日。
景融は朝早く、ひとりで内閣府へ向かった。
手には、杜若が書いた記録と、彼自身が過去に書けなかった文案を添えた上申書があった。
「……これは、私が記すべきだった文です。筆録官として、そして“見てしまった者”として」
上申書を読み終えた官吏たちは黙り込んだ。
沈黙ののち、ひとりが言った。
「君は、彼女を庇っているのか?」
「そうではありません。彼女の筆は、私よりも正しく真実を見つめた。その記録が罰されるなら、筆録官とは何のためにあるのか、私は問いたい」
静かな、しかし揺るぎない言葉だった。
*
一週間後。
文政庁に通達が届いた。
《筆録官補・杜若の出仕を再認可する。記録内容に不備なし。景融の意見をもとに、再評価とする》
庁内が再びざわめく中、杜若は静かに席に戻った。
采琳が駆け寄る。
「おかえり。……あんた、本当に、強いわ」
杜若は微笑んだ。
「強くなりたいと思いました。……筆をとる者として、恥じぬように」
*
その夜。
庁外の長廊で、景融が杜若に声をかける。
「……出仕が認められて、よかった」
「いえ、あなたが背を押してくださらなければ、私は――」
「違う。私はただ、君の背中に見とれていたんだ」
杜若は驚いて彼を見た。
景融の瞳は、いつになくまっすぐだった。
「君の筆は、私の筆を救った。……私は、ずっと筆に縛られていた。でも、君を見て、もう一度“書こう”と思えたんだ」
杜若はそっと目を伏せ、震える声で答えた。
「私も……あなたに見てほしくて、書いたのかもしれません」
長い沈黙。
ふたりの間を、風がやわらかく通り抜けていった。
(第十一章 了)
数日後。文政庁の朝は、ざわめきと緊張に包まれていた。
「見たか? 新しい記録書……」
「都西部の鎮圧、実はあんなひどい状況だったなんて……筆録官補が、独断で追加記録したと聞いたぞ」
庁内に広がる噂。その中心には、杜若の書いた一文があった。
《鎮圧は、報告された「小規模の暴徒排除」ではなく、飢饉による民衆の訴えを、武で封じたものであった。》
その記録は景融の監修を得て、密かに月例報として回覧されたが――
内容の重さに、庁内は騒然となった。
そして、すぐに上層部の命が下る。
「筆録官補・杜若、出仕を禁じる。監査のため、即刻執務を停止せよ」
執務室の前で、告げられた冷たい命令。
「……分かりました」
杜若は表情を変えず、筆を静かに置いた。
柳采琳がその場に駆け寄ってくる。
「杜若、これはあんまりよ……正しいことを書いたのに、罰だなんて!」
杜若は小さく首を振った。
「筆をとった時から、これは覚悟していたことです。……でも、本当に怖いのは、“書かないこと”だと思うから」
そこへ、景融が現れた。
「監査官の処分命令には、私が異議を申し立てた。彼女の記録は私の承認下にあり、筆録官としての義務を果たしただけだと」
「……それでも、私が書いたものには変わりありません」
景融はしばらく黙ったのち、ぽつりと呟いた。
「君は、誰かの声を救った。それだけで、十分すぎるほど、尊い」
*
翌日。
景融は朝早く、ひとりで内閣府へ向かった。
手には、杜若が書いた記録と、彼自身が過去に書けなかった文案を添えた上申書があった。
「……これは、私が記すべきだった文です。筆録官として、そして“見てしまった者”として」
上申書を読み終えた官吏たちは黙り込んだ。
沈黙ののち、ひとりが言った。
「君は、彼女を庇っているのか?」
「そうではありません。彼女の筆は、私よりも正しく真実を見つめた。その記録が罰されるなら、筆録官とは何のためにあるのか、私は問いたい」
静かな、しかし揺るぎない言葉だった。
*
一週間後。
文政庁に通達が届いた。
《筆録官補・杜若の出仕を再認可する。記録内容に不備なし。景融の意見をもとに、再評価とする》
庁内が再びざわめく中、杜若は静かに席に戻った。
采琳が駆け寄る。
「おかえり。……あんた、本当に、強いわ」
杜若は微笑んだ。
「強くなりたいと思いました。……筆をとる者として、恥じぬように」
*
その夜。
庁外の長廊で、景融が杜若に声をかける。
「……出仕が認められて、よかった」
「いえ、あなたが背を押してくださらなければ、私は――」
「違う。私はただ、君の背中に見とれていたんだ」
杜若は驚いて彼を見た。
景融の瞳は、いつになくまっすぐだった。
「君の筆は、私の筆を救った。……私は、ずっと筆に縛られていた。でも、君を見て、もう一度“書こう”と思えたんだ」
杜若はそっと目を伏せ、震える声で答えた。
「私も……あなたに見てほしくて、書いたのかもしれません」
長い沈黙。
ふたりの間を、風がやわらかく通り抜けていった。
(第十一章 了)
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