『春よ、君を守りたし ―中華恋絵巻―』前日譚

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第三十九章

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書き換えられた現実

――その日から、杜若の帳には“奇妙な変化”が起こり始めた。

筆録庁で記された記録が、時間が経つにつれて“書き換わる”のだ。
たとえば、景融の行動記録。

『景融、寅の刻に南門を警備。』

と記された文が、数刻後には、

『景融、寅の刻に北門で反乱者を捕縛。』

と変化していた。

「……これは、記録じゃない。未来の“選択肢”が、帳に浮かんでいる……?」

自分の筆で記した文字が、まるで生き物のように形を変えていく。
その異変に最初に気づいたのは、杜若だったが、やがて筆録庁内でも騒ぎになりはじめた。

「帳が、勝手に変わる? そんな馬鹿な……!」

「これは呪いか? いや、誰かが細工を……」

「まさか、杜若の“筆”の影響か……?」

そう、彼女の手にあるのは“再覚醒した筆”――
操筆の一族の血を継ぐ者にだけ許された、“未来を書き換える筆”。

その事実を知っていたのは、老筆録官と、かつて封印を決めた者たちだけだった。
だが今、その“記憶”さえ帳の中から改竄され始めていた。

まるで誰かが――いや、“何かが”、意図を持って帳を操りはじめているように。

そして、その“何か”は、杜若の前に人の姿を取って現れた。

「やはり君だったか。“筆を目覚めさせた者”は」

その声に振り向いた杜若の前にいたのは、若い男だった。
墨色の長衣をまとい、手には小さな筆箱を携えている。

「……あなたは……?」

「名乗るまでもない。君と同じ、“筆を操る者”だ。いや……君以上かもしれないな」

彼は微笑みながら帳を一冊取り出し、それを開く。
すると、空白だったはずの帳に、彼の筆が触れる前に文字が浮かび上がっていく。

『この者、名を魏燕(ぎえん)という。操筆の正統を継ぐ者。
杜若を迎え入れ、帳を一つに統べる野を目指す。』

「……魏燕……。あなたが、この帳を書いたの?」

「帳は、自ら書かれる。われらはその“意志”を汲む者にすぎぬ。
だが、君の筆が覚醒したことで、帳は騒ぎ始めた。
もはや、誰かの未来だけを記す筆ではいられぬ。
帳は、すべてを統べ、“歴史そのもの”を創る道具となるのだ」

「そんなこと、わたしは望んでいない……!
わたしは、ただ……誰かを守るために筆を執っているだけ!」

「守る? 君はまだ分かっていない。
守るとは、奪うことだ。ある未来を守るには、別の未来を塗りつぶさねばならぬ。
君が“記す”たびに、君の筆は誰かの生を変えているのだよ」

杜若は息を呑み、立ち尽くす。

確かに、今の筆は“ただの記録”ではない。
“現実に影響する筆”となっていた。

「……わたしは、それでも書く。たとえ帳がすべてを記してしまうとしても。
それでも、いま目の前の人を、未来を信じて書く。
書くことで“守る”ことができるなら、わたしは書き続ける」

「……ならば、その筆を試させてもらおう」

魏燕の筆が、宙を走る。

そして現実が、揺れた――
外から、筆録庁の壁が崩れ落ちる轟音が響いたのだ。

「これは……?」

「君の書く力が現実に届くなら、私の筆もまた、抗う。
さあ、“どちらの筆が真実か”――証明してみせろ」

次の瞬間、魏燕の帳から一筋の光が走り、杜若の帳と激突する。

帳の頁が激しくめくれ、ふたりの“意志”が筆を通して交差する。

杜若は静かに筆を取り直した。

「……ならば、書いてみせる。
わたしが望む未来を――わたしの手で、記してみせる」

その瞬間、彼女の帳に書かれた一文が光を放った。

『杜若、初めて“選び取った未来”に抗う。
それは、新たな歴史の始まり。』

(第三十九章 了)
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