黒豚辺境伯令息の婚約者

ツノゼミ

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訳あり令嬢の婚約者編

ここから始まる物語

俯きかけたデイビッドの耳に、シャッと軽快なペンの音が聞こえる。

「サインしました!」
「決断が早い!!」
「読みました!デイビッド様が浮気したら即座に多額の賠償金と共に事業の半分と資産の7割を譲渡するって書いてありました!」
「うわ…太っ腹…」
「あとは、私がこの婚約に不満があった場合、デイビッド様は即座に改善しなければならないと…」
「ヴィオラ様、ここは読みました?割と恐ろしい事が書かれている部分ですよ。」

エリックの指差す箇所には、婚約後について書かれている。
卒業後、ヴィオラの次の誕生日が来る前までには婚姻を果たすこと。
子の有無の選択はヴィオラに委ねられること。
ヴィオラは基本的に何をしても自由。その代わり、婚約、婚姻の破棄解消は不可とする…

「つまり?」
「そうですねぇ…例えば、ヴィオラ様がデイビッド様を嫌いになっても、離縁だけは出来ないという契約です。」
「私はそんなこと絶対にないので、大丈夫です!」
「これにサインしたら、ヴィオラ様はもうどこへも逃げられません。デュロックの手の中で生きるしかなくなります。そういう契約書ですよ?」
「それって、デイビッド様も同じですよね?この先何があっても私を捨てることはできない…そういう事ですよね?!」
「いつか恋が覚めた時、好きでもない相手の籠の鳥となる覚悟の話ですよ?」
「籠が広すぎて飛び回り切れないなら、それは自由と同じです。それに、決して嫌いになんてならない自信がありますので、ご安心ください。」
「だそうです。保証人のとこ、もう書いちゃっていいですか?」

当人のサインより先に、見届け人兼保証人の欄にエリックのサインが入る。

「こんなに重い宣言の入った婚約同意書、見たことありませんよ。」
「…デュロックは…男に難があるのが多かったから、こういう内容が必ず盛り込まれるんだ…」
「これじゃお相手が散財三昧で浮気し放題でもいいと言っているようなものですよ?」
「…ああ、そうだ。」
「そんなものが本当の愛情だとでも?貴方は他者への感情の表し方をもう少し学ばないといけませんね。」

婚約者の前で従者に諭されても、デイビッドの心は動かなかった。
人の愛し方が歪んでいるのは重々自覚している。
だからこそ、なるべく深く踏み込まないよう心がけてきた。
本当ならこうして顔を合わせることすら贅沢だ。
壁一枚隔てた向こうからその姿を思い描くだけもいい。
名前を読んでもらえるだけでこの上なく幸福だと胸を張って言える。

流石のデイビッドもそれが異常だということくらいは理解はしている。
だからこそ、そこに相手の感情は一切差し込まない。

「ごめん…あんだけ豪語しといて恥ずかしい話、婚約の破棄についての書類は、用意できなかった…」
「間に合わなかった…とかではなく…?」
「…書けなかったんだ。この紙一枚でヴィオラとの縁が切れて終わりになると思ったら、作れなかった…」
「ならもう二度と一生作らないでください。あんなもの邪魔なだけです。」
「まだしばらくはギクシャクすると思う…まともに向き合えないかも…」
「それだっていいじゃないですか。」

デイビッドは少しだけ重苦しそうに足元に落としていた視線を、ヴィオラに向けた。

「本当の事を言うとな…まだ自分のことが信用できてない。陽だまりの花には釣り合わない、所詮は薄汚い豚なんだって思ってる。」
「私が否定しても、信じてくれないんですか?」
「どうしても、いつか捨てられると思っちまう…別れの言葉を聞く勇気が無いんだよ。この世界のどこかにヴィオラがいて、幸せならそれでいい、それだけで生きていける…ずっとそう思ってた…なのに、今はヴィオラの隣に立つのは自分じゃなきゃ嫌なんだ…」
「私もです。」
「ミス・ヴィオラ・ローベル、生涯懸けて貴女を守り、幸せにすると誓います。改めて…この婚約、受けて頂けますか?」
「はいっ!喜んでお受けします!!」

ヴィオラの名前の隣にデイビッドの名前が綴られる。
これで両家の契約は成立し、貴族院の承認を以て成約となる。

(うーわ…足の先から砂糖になりそう…)
今度こそ口にした、正真正銘紛れもないプロポーズ。
勢いに流されて半ば自棄で口走った前回とは違い、冷静に言葉を選び、気持ちを伝えることができた。
見届け人としてそこに居なければならないエリックは、身体が甘くなって溶け出すのではないかという居心地の悪さに苛まれていた。
(やっとくっついた!やっと!2年かかった!!よく耐えたな僕!!)
これ以上拗れるようなら、いっそのことヴィオラの方に発破をかけ、既成事実の偽装の手助けくらいはしていたかも知れない。
まさかデイビッドも、自分の従者が婚約者をそそのかしてハニートラップを仕掛けようと企んでいるとは思わないだろう。
(良かったー!一服盛る前で!)

デイビッドは感動のあまり泣き出してしまったヴィオラを慰めていた。
その手はきちんとヴィオラの肩を支え、もう離すまいと言うようにしっかりと抱き寄せている。
以前の様な迷いやためらいはもう感じられない。
(今夜は祝杯かな…?)
年下の弟の様な主人の成長と、ようやく結ばれた2人の硬い約束に、エリックはひとり祝いたい気分だった。

「嬉しいです!私、ずーっとこの日を待ってました!」
「それは…本当にごめん…」
「こんなに遅くなったんですから、たっぷり甘やかしてくださいね!?」
「もうすぐ冬山が解禁するから、久々に採取でも行ってみようか?」
「ホントですか!?嬉しい!」

相変わらず女性の誘い方がなっていない上に、誘ったのが冒険者活動とは…頭が痛くなりそうな話だが、当のヴィオラは大喜びしている。
(お似合いですよ、本当に…)
幸せそうに寄り添う二人を、空気になって眺めていたエリックは、シェルリアーナに良い報告ができそうだと喜んでいた。


ひとしきり喜びを噛み締めた後、3人は商会を後にすると、祭りで賑わう街中を抜け、まずは貴族院に書類を出した。
淡々と処理され、あとは通知を待つだけ。
外に出るとそこは王都の貴族街のド真ん中。
昨年までは顔を出すことすら憚られた道を白昼堂々歩き、借家の並びを目指す。
借家といっても貴族専用の豪邸が並び、ここを借りるのは郊外の領地から王都に用があってやって来る高位貴族ばかりだ。
その奥の一角に、背の高い垣根と魔法防壁で囲まれた家が一軒建っている。
エリックが手をかざすと、門がひとりでに開き中へ通された。

「ここは…?」
「グロッグマン商会で借りてる屋敷だよ。ここに親父達がいる…悪い、一応報告だけさせてくれ。」
「分かりました!気合を入れてご挨拶させて頂きます!!」
「ガッツリガッツポーズ…」

庭を覆う芝生の小路を進むと、テラスで優雅にお茶をしているカトレアの姿が見えた。

「来たわねデイビッド。待ちくたびれたわ。」
「母上…婚約の手続きに関する書類の用意、ありがとうございました。」
「やっと観念したのね。随分長かったじゃない?お久しぶりね、ヴィオラさん。もうすぐ貴女が私の娘になるなんて、とても嬉しいわ!」
「お久しぶりでございます、カトレア様。婚約を認めて頂き、誠にありがとうございます。」
「2人ともおめでとう。年明けの後に披露宴をするから、会場は任せるわね。招待客のリストを作って挨拶状を用意しておきなさい。」
「は?」
「規模はそちらで決めていいわ。その代わり参加者は私の方からも選定するから、30枚は余分に作ってね?私の誕生日に合わせて合同のパーティーを開きましょう!!」
「母上、その様な話、初耳ですが?」
「ええ、今初めて言ったもの。でもね、私は貴方が生まれた時から楽しみにしていたのよ!?きっと成功させてちょうだいね?!」

上機嫌のカトレアには何を言っても通らない。
仕方なく、デイビッドは屋敷の中に入り父ジェイムスを探した。

「おおデイビッド!ミス・ヴィオラも、婚約おめでとう。これからは2人で人生を切り開いてゆくといい。」
「ありがとうございます、ジェイムス様。」
「親父、それはいいとして、あの話はなんだ?!」
「すまんね。あれはカトレアの長年の夢なんだよ。叶えてやってはくれんか?」
「夢ぇ?」
「成人した息子に誕生日を祝わってもらいたがっていたんだ。頼むよ。」
「だからって、ヴィオラを巻き込むのは違うだろ!?」
「王都に住まう貴族なら、披露宴はせにゃなるまい?」
「こっちは勝手も事情も違う!これ以上ヴィオラを悪意のある目に晒す気は無い!そもそも俺はこの王都の厄介者だ。敵が増えるだけだろ。」
「それならせめて、カトレアの誕生日だけは祝ってやれないか?来年は40の節目だ。盛大に喜ばせてやりたいんだよ。」
「チッ…傍迷惑な…」
「そう言うな。お前の母親じゃないか。」

カトレアの事となると、言いなりのこの男も当てにはならない。
デイビッドはひとまず平穏に引き下がるため、一旦は両親の希望を飲むことにした。
ヴィオラが渾身のカーテシーをカトレアに褒められ、先に下がる。
残ったデイビッドは、父と母、それぞれに渡す書類を執事に預け、自分も帰ろうとした。
その間際、気になっていたことをひとつ、ジェイムスに聞いてみた。

「なぁ、親父…」
「なんだ?デイビッド。」
「アンタは…俺が早死にする可能性が高い事、知ってたんだろ?」
「まぁ、そうだな。」
「だったら…なんで婚約者なんて見つけようとしたんだ?」

短命と知れていたならば、相手を見繕う必要は無い。
持病を隠して婚約などすれば、相手にどれほど申し訳ないか、それが分からないまで愚かではないだろう。
女性と上手くいかずとも、成人できるかも怪しいなら無理に誰かと添う必要も無い。
しかしデイビッドにはヴィオラと会う以前より、50に届く見合い話が用意されていた。
それがずっと疑問だった。
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