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第一話「脈動」
「脈動」(3)
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場面は戻り、現在……
日没。
美樽山は、赤務市から簡単に行くことができた。
手つかずの自然に包まれたそこは、一見するとただの山だ。シーズンともなれば登山客や昆虫採取、写真家や天体観測、山菜採りや川釣り等でそれなりににぎわう。また山頂付近から一望できる夜の街のきらめきは、若い男女の恋語りの背景としても申し分ない。
なので、人々には知るよしもないだろう。
巧妙に樹木に擬態した多機能センサーが、山中にくまなく配置されていることを。そこかしこの樹々に埋め込まれた高精度の監視カメラの存在を。それらと連動する最新鋭の見えないトラップの数々が、森林のあらゆる場所で出番を待っていることを。
そう。
美樽山は政府の闇・特殊情報捜査執行局〝組織〟のほこる超大型の秘密基地なのだ。その構造は、地上と地下をあわせて数千階層にまでおよぶ。
研究所の奥部、とある場所に彼女のひそむ部屋はあった。
室内には庶民的なOLらしい家具やパソコン類が用意され、いまは明かりは落とされて暗い。ただし一点だけ……一点だけ、通常の暮らしとは異なるものがあった。
本来はベッドが置かれているであろう場所に、それは静かに安置されている。
洋風の〝棺桶〟が。
部屋の扉がノックされたのは、そのときだった。
「エリー? エリザベート・クタート?」
廊下からの呼び声は、若い男のものだった。
室内から返事はない。
数秒待って、部屋の扉はそっと開けられた。さしこむ照明とともに、来客は入ってくる。
「失礼するぜ」
ぱちんと部屋の電気をつけたのは、組織の捜査官……褪奈英人だった。
潜入捜査の擬装である学校の帰りのため、その格好は美須賀大学付属高校の制服のままだ。見た目はまだ少年だが、その身がまとう独特の雰囲気にはかけらも油断はない。それは、驚くべき数の戦場を駆け抜けてきた兵士のオーラとも例えられる。
不吉な棺桶をながめ、ヒデトは独りごちた。
「閉まってるな、フタ。中身は?」
歩み寄った棺桶のフタを、ヒデトは軽くノックした。
「もしも~し。いるんだろ、エリー?」
やはり棺桶は無言だった。
「まいったな。ふたりっきりで会議なんてイヤだぜ、あんなサイコ野郎と」
眉根を寄せると、ヒデトは左手首の銀色の腕時計をもたげた。時計表面のパネルを手慣れた動きで操作する。選んだのは〝通信〟の機能だ。
おお。かすかな着信音は、棺桶の中から響いたではないか。
いまいましげに、ヒデトは舌打ちした。
「いるんじゃねえかよ、寝坊助が!」
重い打撃音がこだました。頭にきて、ヒデトが棺桶を蹴ったのだ。
ふつうなら怒ってなにかが飛び出してきてもおかしくないが、まだ応答はない。
「けッ」
しかたなく、ヒデトは部屋のイスに座った。
通学カバンから取り出したのは、ポテトチップスの袋だ。騒々しくそれを開封し、おもむろに食べ始める。風味は大蒜だった。部屋の静寂に、ぱりぱりいう音だけがやたらと大きく響く。
なんとついに、棺桶はしゃべった。
〈くさい……〉
たえまなく口を動かしながら、ヒデトはしてやったりと笑った。
「だろうな。吸血鬼の弱点は十字架と陽の光、そしてこのニンニクだ」
地獄から這いずりでるような声色で、棺桶はうなった。
〈なぜわらわの神聖なる憩いを邪魔するのじゃ、〝黒の手〟褪奈英人よ?〉
コードネームで呼ばれたヒデトは、ポテチの袋に手を突っ込んだままジト目になった。
「邪魔じゃねえ。手伝いにきたんだよ、あんたのお目覚めを。もう夕方だぜ?」
〈まだ夕方か。吸血鬼の活動時間は夜と決まっておる。完全に日が暮れるまで、一時間ばかり待つがよい〉
ぶぜんとヒデトは肩をすくめた。
「ヤだね。だいたいあんた、太陽を浴びても平気だろ。三分で起きな」
〈早朝から夕刻にかけては憂鬱なのじゃ。自律神経が弱くての。もう三十分寝かせろ〉
残ったポテチのかけらを、ヒデトは一気に袋から口へ流し込んだ。
「とっととタイムカードを切らないと、遅刻扱いになる。給料と血の量に響くぜ。五分だけ待つ」
〈かわりに切っといてくれ、タイムカード。あと十五分休ませい〉
カラになったポテチの袋を丸めながら、いよいよヒデトは行動にでた。
きれいに拭いた手で、机上のインターネット無線機の電源を切ったのだ。
およそ三十秒後、棺桶のフタは乱暴に蹴り開けられた。予想どおりである。
怒りの表情で身を起こしたのは、片目を眼帯でおおう少女だった。思わず息を飲むほどに、その相貌は青白くて美しい。透けるぐらい薄手の寝間着に包まれた肢体にもまた、よくメリハリがきいて異性、いや同性すらが蠱惑されることだろう。
そんな吸血鬼のお手本そのものの彼女が、目覚めるなり放った第一声はこうだ。
「くそ! 動画の通信が切れた! どうなっておる!?」
形の整ったその両耳から、勢いよく抜け飛んだのはイヤホンだ。いきなり室内の電波を断たれ、棺桶の中で観賞していたテレビが見れなくなったらしい。
にこやかにヒデトは出迎えた。
「おはようさん、エリー。どんないい夢見てたんだい?」
動画のフリーズしたタブレット端末をぶんぶん振りながら、エリーことエリザベート・クタートは怒鳴った。
「決まっておろう! 大相撲の生中継じゃ! 注目の大一番じゃったのに!」
机に片肘をつき、ヒデトは落胆したため息をもらした。
「角界ときたか。西欧生まれのオシャレな吸血鬼さまが、汗臭い力士と力士の突っ張りあいだって? 崩れるぜ、イメージが……」
「あ! その電源!」
かんかんになって、エリーはヒデトに詰め寄った。八重歯というにはあまりに尖りすぎた輝きを狂暴に剥き、ヒデトの胸を人差し指で小突く。
「うぬのしわざか〝黒の手〟!」
「怒るな怒るな。あとで録画を見りゃいいじゃんよ」
両手で温度を下げるお願いをするヒデトを前に、エリーは憤然と腕組みした。
「わかっとらんな。血と動画は生が一番なんじゃ。どけ、機械室からドリルを借りてくる」
「ど、ドリル? なにするつもりだ?」
「工事じゃ。棺桶に穴をあけ、寝床まで有線ケーブルを引き込む。これで電波切れに悩まされずにすむわい」
「穴、って……」
軽くお手上げして、ヒデトは困ったように首を振った。
「穴があいてて良いものなのかよ、吸血鬼の棺桶って? さっき神聖とかなんとか言ってなかったか?」
「多少は我慢する。ネットのほうが優先じゃ」
眼帯がない側の独眼で、エリーは通せんぼするヒデトをにらんだ。
「邪魔するなら、うぬのカボチャ頭に風穴をぶち開けるぞ?」
日没。
美樽山は、赤務市から簡単に行くことができた。
手つかずの自然に包まれたそこは、一見するとただの山だ。シーズンともなれば登山客や昆虫採取、写真家や天体観測、山菜採りや川釣り等でそれなりににぎわう。また山頂付近から一望できる夜の街のきらめきは、若い男女の恋語りの背景としても申し分ない。
なので、人々には知るよしもないだろう。
巧妙に樹木に擬態した多機能センサーが、山中にくまなく配置されていることを。そこかしこの樹々に埋め込まれた高精度の監視カメラの存在を。それらと連動する最新鋭の見えないトラップの数々が、森林のあらゆる場所で出番を待っていることを。
そう。
美樽山は政府の闇・特殊情報捜査執行局〝組織〟のほこる超大型の秘密基地なのだ。その構造は、地上と地下をあわせて数千階層にまでおよぶ。
研究所の奥部、とある場所に彼女のひそむ部屋はあった。
室内には庶民的なOLらしい家具やパソコン類が用意され、いまは明かりは落とされて暗い。ただし一点だけ……一点だけ、通常の暮らしとは異なるものがあった。
本来はベッドが置かれているであろう場所に、それは静かに安置されている。
洋風の〝棺桶〟が。
部屋の扉がノックされたのは、そのときだった。
「エリー? エリザベート・クタート?」
廊下からの呼び声は、若い男のものだった。
室内から返事はない。
数秒待って、部屋の扉はそっと開けられた。さしこむ照明とともに、来客は入ってくる。
「失礼するぜ」
ぱちんと部屋の電気をつけたのは、組織の捜査官……褪奈英人だった。
潜入捜査の擬装である学校の帰りのため、その格好は美須賀大学付属高校の制服のままだ。見た目はまだ少年だが、その身がまとう独特の雰囲気にはかけらも油断はない。それは、驚くべき数の戦場を駆け抜けてきた兵士のオーラとも例えられる。
不吉な棺桶をながめ、ヒデトは独りごちた。
「閉まってるな、フタ。中身は?」
歩み寄った棺桶のフタを、ヒデトは軽くノックした。
「もしも~し。いるんだろ、エリー?」
やはり棺桶は無言だった。
「まいったな。ふたりっきりで会議なんてイヤだぜ、あんなサイコ野郎と」
眉根を寄せると、ヒデトは左手首の銀色の腕時計をもたげた。時計表面のパネルを手慣れた動きで操作する。選んだのは〝通信〟の機能だ。
おお。かすかな着信音は、棺桶の中から響いたではないか。
いまいましげに、ヒデトは舌打ちした。
「いるんじゃねえかよ、寝坊助が!」
重い打撃音がこだました。頭にきて、ヒデトが棺桶を蹴ったのだ。
ふつうなら怒ってなにかが飛び出してきてもおかしくないが、まだ応答はない。
「けッ」
しかたなく、ヒデトは部屋のイスに座った。
通学カバンから取り出したのは、ポテトチップスの袋だ。騒々しくそれを開封し、おもむろに食べ始める。風味は大蒜だった。部屋の静寂に、ぱりぱりいう音だけがやたらと大きく響く。
なんとついに、棺桶はしゃべった。
〈くさい……〉
たえまなく口を動かしながら、ヒデトはしてやったりと笑った。
「だろうな。吸血鬼の弱点は十字架と陽の光、そしてこのニンニクだ」
地獄から這いずりでるような声色で、棺桶はうなった。
〈なぜわらわの神聖なる憩いを邪魔するのじゃ、〝黒の手〟褪奈英人よ?〉
コードネームで呼ばれたヒデトは、ポテチの袋に手を突っ込んだままジト目になった。
「邪魔じゃねえ。手伝いにきたんだよ、あんたのお目覚めを。もう夕方だぜ?」
〈まだ夕方か。吸血鬼の活動時間は夜と決まっておる。完全に日が暮れるまで、一時間ばかり待つがよい〉
ぶぜんとヒデトは肩をすくめた。
「ヤだね。だいたいあんた、太陽を浴びても平気だろ。三分で起きな」
〈早朝から夕刻にかけては憂鬱なのじゃ。自律神経が弱くての。もう三十分寝かせろ〉
残ったポテチのかけらを、ヒデトは一気に袋から口へ流し込んだ。
「とっととタイムカードを切らないと、遅刻扱いになる。給料と血の量に響くぜ。五分だけ待つ」
〈かわりに切っといてくれ、タイムカード。あと十五分休ませい〉
カラになったポテチの袋を丸めながら、いよいよヒデトは行動にでた。
きれいに拭いた手で、机上のインターネット無線機の電源を切ったのだ。
およそ三十秒後、棺桶のフタは乱暴に蹴り開けられた。予想どおりである。
怒りの表情で身を起こしたのは、片目を眼帯でおおう少女だった。思わず息を飲むほどに、その相貌は青白くて美しい。透けるぐらい薄手の寝間着に包まれた肢体にもまた、よくメリハリがきいて異性、いや同性すらが蠱惑されることだろう。
そんな吸血鬼のお手本そのものの彼女が、目覚めるなり放った第一声はこうだ。
「くそ! 動画の通信が切れた! どうなっておる!?」
形の整ったその両耳から、勢いよく抜け飛んだのはイヤホンだ。いきなり室内の電波を断たれ、棺桶の中で観賞していたテレビが見れなくなったらしい。
にこやかにヒデトは出迎えた。
「おはようさん、エリー。どんないい夢見てたんだい?」
動画のフリーズしたタブレット端末をぶんぶん振りながら、エリーことエリザベート・クタートは怒鳴った。
「決まっておろう! 大相撲の生中継じゃ! 注目の大一番じゃったのに!」
机に片肘をつき、ヒデトは落胆したため息をもらした。
「角界ときたか。西欧生まれのオシャレな吸血鬼さまが、汗臭い力士と力士の突っ張りあいだって? 崩れるぜ、イメージが……」
「あ! その電源!」
かんかんになって、エリーはヒデトに詰め寄った。八重歯というにはあまりに尖りすぎた輝きを狂暴に剥き、ヒデトの胸を人差し指で小突く。
「うぬのしわざか〝黒の手〟!」
「怒るな怒るな。あとで録画を見りゃいいじゃんよ」
両手で温度を下げるお願いをするヒデトを前に、エリーは憤然と腕組みした。
「わかっとらんな。血と動画は生が一番なんじゃ。どけ、機械室からドリルを借りてくる」
「ど、ドリル? なにするつもりだ?」
「工事じゃ。棺桶に穴をあけ、寝床まで有線ケーブルを引き込む。これで電波切れに悩まされずにすむわい」
「穴、って……」
軽くお手上げして、ヒデトは困ったように首を振った。
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