夢占

水無月麻葉

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其の四

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 佐殿(すけどの)。
 坂東武者たちがこう呼ぶ、流人がいる。
 彼が幽閉されているのは、この韮山館から程近い、蛭が小島という中州である。
 今から遡ること十八年前、都で、天下を二分する戦があった。
 時政たち東国武士たちが頭領と仰いでいた源義朝は、その戦いで平清盛に惨敗した。
 東へと落ち延びる途中に身を寄せた尾張の国で、義朝は家人の鎌田正清の舅、長田忠致という者の寝返りにあい、壮絶な最期を遂げたのである。
 佐殿こと源頼朝は、その義朝の遺児である。
 「播磨守(義朝)どのが戦に負けてからというもの、わしらの暮し向きは悪くなる一方じゃ」
  「あれは、元はといえば公家の争いよ。いらぬ首を突っ込むから、一族郎党首をさらす羽目になるのじゃ」
 時政やその従兄弟の時定など、酒が入るとこんな愚痴が出るのが常であり、それは他の東国の武士たちも同じであった。
 
 俗に平治の乱と言われるその戦は、そのまま後白河院の寵を競った院臣、藤原通憲と藤原信頼の争いでもあった。
 殿上人の中でも低い家柄の出自ながら、抜きん出た博学と、後白河法皇の乳母の夫という立場を武器に朝廷内での立場を強めた藤原通憲は、出家後もなお信西入道と称し権力をふるい続けていた。
 自らの子息と平清盛の娘と縁組させ、平家一門との結びつきを強めた一方で、後白河の院政の強化をはかり、朝政から有力貴族の排除をはかる様は、当然他の反感を買った。
 長らく政の場で圧倒的な力を誇ってきた摂関家の血を引き、院別当という要職に取り立てられた藤原信頼と通憲の衝突は、早くから必定のものとなっていた。
 清和源氏の総帥源義朝は、早い時期から平清盛の好敵手と目され、摂関家の警護、洛中の治安維持を請け負い、有力貴族との結びつきによってその勢力を伸ばしてきた。
 通憲、清盛らの思惑とは相容れない存在であり、信頼と手を組むことになったのは必然である。

 平治元年の冬、時の権大納言藤原経宗と、検非違使別当藤原来惟方という権力者の後ろ盾も得て、藤原信頼、源義朝は挙兵した。
 清盛の熊野詣の留守をついた軍勢は、信西入道こと藤原通憲を自害に追いやり、そのまま後白河法皇と二条天皇の御所を襲い、二人の身柄を拘束した。
 天皇と上皇という大きな旗印が義朝らの手の内にある限り、平家は「反乱軍追討」の宣旨の下に友軍を募ることは不可能である。企みは、一見成功したかに見えた。
 「それがどうよ。清盛が京にとって返すなり、帝の側近から平家に通じるものが次々現れ、後白河の院にはいつの間にやら六波羅(清盛の館のある場所)に逃げられ、あっという間に謀反人として都を追われてしもうた。『武勇の輩(ともがら)』などと言うて播磨守どのをちやほやしておった都の公卿どもは、尾を振って六波羅にはせ参じたというではないか」
 
 義朝の不幸は、藤原信頼と組まざるを得なかった必然にあった。
 同じ後白河院の近臣でも、信西と信頼の出世の背景な大きく違っている。
 信頼は公卿の子息にしては珍しく、学問や武芸を好み、こちらも自らの嫡男と清盛の娘の縁組を成立させるなど、朝廷における実力者ではあったが、もとは、その家柄と美貌が後白河院の目に留まった、寵童にすぎない。
 不意を突かれて哀れな最期を遂げることにはなったものの、己の知恵と才覚のみでのし上がってきた信西と比べ、どちらが政の手腕に優れていたかは、明々白々である。

 加えて清盛は当時四十を過ぎた壮年、一族の結束は固く、巧みに蓄えた兵力・財力を背景に如才なく朝廷で立ち回 り、義理の妹が後白河院の寵姫におさまるという幸運まで手にしていた。
 四年前の保元の乱で父や兄弟と対峙し、一族の多くを失っていた義朝では、端から勝ち目の薄い戦だったとしか言いようがないのだ。
 こうして、坂東武者とも呼ばれる東国の武士の多くは、敗者の辛酸をなめることとなった。
 「都の公家どもときたら、爪の垢ほどの信頼も置けぬからのう…なのにわしらは、その公卿どもにこき使われて、三年ごとに都に行かねばならぬのだから…」
「わしらが耕したこの土地だってやつらのものだ。それでも、播磨守どのがおられた時は、まだよかった。都の公卿どもの息の吹きかかった者が、この土地を、むやみやたら地主面して歩き回るような真似は、許さなんだからの」
「ほんに、平家の世では、いつ何時、やつらの都合で土地を追われるかわからん…よほどうまく立ち回らねばの…家族郎党路頭に迷う」
 
 源氏か平家かという問題は、日々の生活に追われる貧乏子だくさんの時政のような小豪族には、天下国家を論じると言うよりむしろ、死活問題であった。
 血気盛んな、という言葉で括られることの多い坂東武者たちだが、決して進んで戦ばかりしていたわけではない。
 彼らの多くは、下向した都の貴族の端くれが、荒れ地を開墾して根づいた、いわば開拓者の子孫である。
 武装しているのは、律令制の秩序がおよんでいるとは言い難い田舎で、家族と土地を護るためだ。
 源義朝のもとに、坂東武者が集まったのは、武家の名門とされる家柄に生まれ、戦の才にそこそこ恵まれていただけでなく、後白河院の近臣や、摂関家との強い結びつきを持つことにより、坂東武者たちの武力と引き換えに、彼らの住んでいる土地の権益が、よそ者に脅かされることのないよう、朝廷に交渉する仲介役を担っていたからである。
 
 一方の平家一門は、東国の家々とのつながりが薄く、歌を詠み、花を愛で、騎馬ではなく牛車を仕立て、都大路を練り歩いた。
 かつて『伊勢のすがめ』と都の貴族に蔑まれた清盛の父、忠盛は、西国の海賊追捕に手柄を立て、白河、鳥羽の両 院の信頼厚く、武家の中では初めて内昇殿を許される栄誉に与かった。
 遠くは天皇家につながる桓武平氏の出身でも、地方の一豪族、もっと言えば武装農民に過ぎなかった武士という存在を、使いでのある番犬ほどにしか考えていなかった都の貴族に、小気味よい衝撃を与えた人物である。
 反面忠盛は、歌を好み、白河上皇の女房を始め、修理大夫藤原宗兼の娘など貴族女性を次々と娶ったことからも分かるように、権力への同化の意識が強かった忠盛にとって、栄華とは納言・大臣の仲間入りを果たすことに外ならなかった。
 その古代権力への帰属意識の強さは、清盛以下の平家一門に脈々と受け継がれており、それはそのまま、同じ階層に属する武士たちへの無関心な圧政につながっていた。
 
 いつかは、源家の再興を。という思いは東国の武士であるならば、誰もが抱えていた。しかし平治の乱の折に、義朝以下長男悪源太義平、次男朝長も討ち死にし、残ったのは清盛の継母池禅尼に命を助けられた弱冠十三歳の頼朝と弟の希義、側室腹の今若、乙若、牛若の幼い兄弟だけとあれば、
 「わしらの暮らしも、一向によくはならぬわなあ」
という諦めが、彼らの中には広がっていた。
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