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其の八
しおりを挟む前九年、後三年を二度の大きな戦での武勇が認められ、白河院に昇殿まで許された先祖、源義家ゆかりの地とはいえ、頼朝にとっても、多くの武士にとっても、鎌倉は忘れ去られた草深い地である。
それでも三方を山々に囲まれ、南面のみ相模湾に面したその地形はまさに天然の要塞であり、「武士の都」にふさわしい場所と言えた。
新都造営のための材木を運び込む、荷車の車輪の音が重たげに響く。
戦場から、都から、その他様々な場所からやって来る遣いの早馬の蹄の音、騎馬武者の名乗りの声。
それらが絶えず飛び交う活気と賑わいは、突如その中心に投げ込まれたような北条家の人々を驚かせ、また困惑させた。
幼子の夜叉王と五郎にとっては、何より一度にこんな大勢の人間が集まっているのを見るのは初めてであるし、見るものすべてが物珍しく、そのはしゃぎぶりは手がつけられないほどである。
特に定子を困らせたのは、二人が早くも、人と銭金の匂いをかぎつけて群がり集まってきた遊び女(め)たちのけばけばしい化粧(けわい)や、どぎつい色目の小袖にひとかたならぬ興味を示し、無邪気な質問を連発することで
「不思議なこと。あの子たちったら、あんなに兄上になついていたのに、もうすっかり忘れてしまったようだわ。子どもは気楽でいいわね」
ほっとするやら呆れるやらという始末だった。
「あの子たちは平気みたいだけど、私、こんな崩れそうなお屋敷では、もう一晩だって過ごせないわ。何だか、獣か物の怪に獲って食われそうな気がするのよ。本当に、ここに武士の都ができるのかしら」
玉虫が震えながら訴えたのも道理で、当面の間にと割り当てられた北条家の仮住まいは、立地こそ頼朝の住まいに近く、条件の好い場所に違いなかったが、肝心の建物は、人の住まなくなって久しい荒屋敷である。
どことなくそれらしい構えの面影はあるものの、以前の住人の素性も知れない年代物で、玉虫のような年頃の娘にしてみれば、気が塞ぐに違いない代物だ。
しかし、この鎌倉の主である頼朝が、自らの屋敷を築くよりも、由比が浜に小さな社で残っていた、源氏の氏神を祀る八幡宮の移築、再建を最優先させている状況では、定子にしても、父や政子に早くまともな家に住みたいなどと、催促するわけにもいかなかった。
そんな喧騒の中、あぜちと小弥太が夫婦(めおと)になった。
「…お館さま小四郎さまに従って、安房に落ちる途中…俺、お前のことばっか考えとった…こんなこと人には言えんけど、源氏とか平家とかどうでもよくて…俺、お前ともう一度会うために、必死だった」
言葉を発そうと口を開いては、やっぱり違うなと口を閉じ、また開いては…を繰り返し、ようやくこれだけ言った小弥太は、顔から、おろしたての浅葱色の水干の袖口から覗く手の先まで真っ赤で
(まるで水揚げされたばかりの鯛みたいだげな)
鯛が着飾っていると思うと可笑しくて、あぜちは笑いを堪えるのに必死だった。
伊豆にいた頃は、誰かの着古したおさがりばかりだったから、新しい着物はごわごわして、さぞかし着心地が悪いだろう。
ともに、子どもの頃から北条家に仕えてきた、同じ年頃の、幼なじみの二人である。
小弥太の気持ちは、早いうちから家中の者が気づいていたが
「あぜちの方はどうだろうね」
などと、北条家の姉妹の間でもよく話題になっていた。
あぜちの方はと言えば、小弥太のことは嫌いではなかったし、戦に出たときは、怪我はせぬか、腹は減らぬか、お館さまらとはぐれはせぬかと気を揉んだものだが、それは、どちらかというと、きょうだいのような情に思える。
実を言えば、「若ぎみさま」の宗時に淡い恋心を抱いたこともあったのだが、彼が生きていたとて、かなうはずもない想いである。
(もし、小弥太が若ぎみさまのように戻って来なかったら、きっと後から悔やまれるげな)
そう思えば、夫婦になるのは当たり前にも思え、祝言なども上げずにとりあえず一緒になろうと、二人でそそくさと時政に告げに行くと
「それではとりあえず露顕(ところあらわし・婚姻の披露)だけでもして、いずれ邸の中にそなたらの家も建てねばの」
と、予想外に手厚く祝われることになり、なんともこそばゆい心地であった。
政子からは、京下りの紅の綾絹で仕立てた小袖を、定子や玉虫からは、櫛やら手箱やら、新しい道具が贈られた。
あぜちも小弥太も既に親は亡くなり、それらしい身寄りもいなかったから、北条家の人々が二人の親兄弟の代わりである。
この出来事は、宗時が亡くなって以来、沈みがちだった家の中に、わずかながら明るい活気を取り戻させた。
とりわけ喜んだのは夜叉王で、文殊や五郎、新しく雇い入れた侍女たちを誘ってどこかへ出かけ、桔梗、おばな、なでしこ、萩、おぎ、おみなえし、ふじばかまと、秋の草花をどっさりと持って帰り、夫婦に割り当てられた曹司を飾り立てた。
それを見たあぜちは、嬉しさのあまり声をあげて泣き、小弥太はそんなあぜちを見て、これまた嬉しそうに笑っていた。
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