夢占

水無月麻葉

文字の大きさ
8 / 10

其の八

しおりを挟む

 前九年、後三年を二度の大きな戦での武勇が認められ、白河院に昇殿まで許された先祖、源義家ゆかりの地とはいえ、頼朝にとっても、多くの武士にとっても、鎌倉は忘れ去られた草深い地である。
 それでも三方を山々に囲まれ、南面のみ相模湾に面したその地形はまさに天然の要塞であり、「武士の都」にふさわしい場所と言えた。

 新都造営のための材木を運び込む、荷車の車輪の音が重たげに響く。
  戦場から、都から、その他様々な場所からやって来る遣いの早馬の蹄の音、騎馬武者の名乗りの声。
 それらが絶えず飛び交う活気と賑わいは、突如その中心に投げ込まれたような北条家の人々を驚かせ、また困惑させた。
 幼子の夜叉王と五郎にとっては、何より一度にこんな大勢の人間が集まっているのを見るのは初めてであるし、見るものすべてが物珍しく、そのはしゃぎぶりは手がつけられないほどである。
 特に定子を困らせたのは、二人が早くも、人と銭金の匂いをかぎつけて群がり集まってきた遊び女(め)たちのけばけばしい化粧(けわい)や、どぎつい色目の小袖にひとかたならぬ興味を示し、無邪気な質問を連発することで
 「不思議なこと。あの子たちったら、あんなに兄上になついていたのに、もうすっかり忘れてしまったようだわ。子どもは気楽でいいわね」
 ほっとするやら呆れるやらという始末だった。
 「あの子たちは平気みたいだけど、私、こんな崩れそうなお屋敷では、もう一晩だって過ごせないわ。何だか、獣か物の怪に獲って食われそうな気がするのよ。本当に、ここに武士の都ができるのかしら」
 玉虫が震えながら訴えたのも道理で、当面の間にと割り当てられた北条家の仮住まいは、立地こそ頼朝の住まいに近く、条件の好い場所に違いなかったが、肝心の建物は、人の住まなくなって久しい荒屋敷である。
 どことなくそれらしい構えの面影はあるものの、以前の住人の素性も知れない年代物で、玉虫のような年頃の娘にしてみれば、気が塞ぐに違いない代物だ。
 しかし、この鎌倉の主である頼朝が、自らの屋敷を築くよりも、由比が浜に小さな社で残っていた、源氏の氏神を祀る八幡宮の移築、再建を最優先させている状況では、定子にしても、父や政子に早くまともな家に住みたいなどと、催促するわけにもいかなかった。

 そんな喧騒の中、あぜちと小弥太が夫婦(めおと)になった。
 「…お館さま小四郎さまに従って、安房に落ちる途中…俺、お前のことばっか考えとった…こんなこと人には言えんけど、源氏とか平家とかどうでもよくて…俺、お前ともう一度会うために、必死だった」
 言葉を発そうと口を開いては、やっぱり違うなと口を閉じ、また開いては…を繰り返し、ようやくこれだけ言った小弥太は、顔から、おろしたての浅葱色の水干の袖口から覗く手の先まで真っ赤で
 (まるで水揚げされたばかりの鯛みたいだげな)
 鯛が着飾っていると思うと可笑しくて、あぜちは笑いを堪えるのに必死だった。
 伊豆にいた頃は、誰かの着古したおさがりばかりだったから、新しい着物はごわごわして、さぞかし着心地が悪いだろう。
 
 ともに、子どもの頃から北条家に仕えてきた、同じ年頃の、幼なじみの二人である。
 小弥太の気持ちは、早いうちから家中の者が気づいていたが
 「あぜちの方はどうだろうね」
などと、北条家の姉妹の間でもよく話題になっていた。
 あぜちの方はと言えば、小弥太のことは嫌いではなかったし、戦に出たときは、怪我はせぬか、腹は減らぬか、お館さまらとはぐれはせぬかと気を揉んだものだが、それは、どちらかというと、きょうだいのような情に思える。
 実を言えば、「若ぎみさま」の宗時に淡い恋心を抱いたこともあったのだが、彼が生きていたとて、かなうはずもない想いである。
 (もし、小弥太が若ぎみさまのように戻って来なかったら、きっと後から悔やまれるげな)
 そう思えば、夫婦になるのは当たり前にも思え、祝言なども上げずにとりあえず一緒になろうと、二人でそそくさと時政に告げに行くと
 「それではとりあえず露顕(ところあらわし・婚姻の披露)だけでもして、いずれ邸の中にそなたらの家も建てねばの」
と、予想外に手厚く祝われることになり、なんともこそばゆい心地であった。
 政子からは、京下りの紅の綾絹で仕立てた小袖を、定子や玉虫からは、櫛やら手箱やら、新しい道具が贈られた。
 あぜちも小弥太も既に親は亡くなり、それらしい身寄りもいなかったから、北条家の人々が二人の親兄弟の代わりである。
 
 この出来事は、宗時が亡くなって以来、沈みがちだった家の中に、わずかながら明るい活気を取り戻させた。
 とりわけ喜んだのは夜叉王で、文殊や五郎、新しく雇い入れた侍女たちを誘ってどこかへ出かけ、桔梗、おばな、なでしこ、萩、おぎ、おみなえし、ふじばかまと、秋の草花をどっさりと持って帰り、夫婦に割り当てられた曹司を飾り立てた。
 それを見たあぜちは、嬉しさのあまり声をあげて泣き、小弥太はそんなあぜちを見て、これまた嬉しそうに笑っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...