夢占

水無月麻葉

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其の九

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 鎌倉中に新しい材木の香りが漂い、今日はどこそこのお社、明日は誰それ様のお屋敷と、人足たちの掛け声と威勢の良い槌音が絶え間なく響いている。
 米、麦、大豆、漬け菜、栗、あけび、柿、干し魚、生魚、絽や綾、練絹などの生地、玉や扇などの装身具、武具、馬具、筆、紙、硯…ありとあらゆるものを持ち寄った、国中の物売りたちの、様々な訛りの売り声が混ざり合い、それを求める人々がひしめき合う様は、毎日が、さながら神社の祭礼、寺院の縁日の参道のようである。
京の都以外では見られなかったそんな光景を目前にした人々は、間違いなく、この地から新しい世が始まるのだという確信をもち、鎌倉の街には、得も言われぬ興奮と陶酔が漂っていた。
 
 平家との戦は苦戦が続いていた。
 輝くばかりの白さの真新しいさらしに、各々の紋所をくっきりと染めぬいた旗指物をはためかせ、蹄の音も慌ただしく男たちは戦に明け暮れた。
 苦戦を強いられながらも、鎌倉方の勝ち名乗りは続いていたが、その度に誰かの夫が、息子が、兄弟が帰らぬ人となっていた。
 あぜちの夫、小弥太もその中の一人である。
 二人が夫婦になってから、わずか数ヶ月の後のことであった。
 北条家の人々はあぜちを気遣ったが、不思議とあぜちは口をつぐんだまま、小弥太の死を知らされたその日から、夫のことは何一つ話そうとしなくなっただけであった。
 まるで、小弥太など初めからいなかったかのように、である。

 その年の晦日、正月はそれらしいことは何もせず、ただ慌ただしく過ぎていった。
 やがて鎌倉の北条家の荒屋敷もそれらしく整ってきた頃。
 庭にぽつんと生えた梅の老木の枝についた、うす桃色の無数の蕾は次々と綻び、愛らしい五弁の花びらをいっぱいに開いて見せ、芳しい香気を漂わせていた。
 「まあ、ここに来た頃には草ぼうけ、あちこちに蔦葛が生い茂っている中に、あのように古い木があって、花がつくものかと思っていたけれど…見事なこと」
 「こちらのお館には、お美しい姫君さま方が大勢おられますゆえ、梅の木も花実をつけぬわけには参りますまいのう」
 新しく雇い入れた侍女の中には、京下りの者も多く、定子と口八丁手八丁の会話を交わす横で、夜叉王はぼんやりと、庭を眺めていた。
 伊豆の韮山館と比べると、ずいぶんと立派な庭である。
 同じ梅の木でも、あちらに生えていた老木は、節くれだった幹や四方八方にうねるように伸びた枝がなんとも野趣あふれる、不格好なものであったが、夜叉王はあの梅の木に触れたくて、たまらない気持ちだった。
 あの庭を、五郎や安達の弥九郎と共に駆け回り、木に登ろうとしては
 「これ!落ちたらえらいことになるげなに…早く下りなされ!」
叱るあぜちの声までが懐かしい。
 父の時政の怒鳴り声。
 宗時と家人たちが笑いあう声。
 定子が義時を探す声。
 侍女たちの伊豆なまりの話し声。
 厩の馬のいななきと、足踏みの音。
 ついこの間まで、そんな雑多な音に包まれた狭い屋敷の中と、その周辺だけが夜叉王の全世界であった。
 (鎌倉のお屋敷は、広すぎて誰がどこで何をしているのかもわからない)
 (毎日、誰かが死んだと、しらせが来る)
 (大兄上も小弥太も、もう帰ってこない)
 毎日が祭りのような街の喧騒に、少しは気が紛れてはいるものの、夜叉王にとってこの鎌倉は、変わらず家族一緒に暮らしてはいても、どこか冷たくて不吉な場所だった。
 
 平家との戦は異母弟たち(範頼、義経)に任せ、政所、侍所、問注所を設け、新しい国の仕組みを立てている頼朝にとって、妻の政子、義父の時政や義弟の義時は、鎌倉での足固めのために、必要不可欠な存在となっていた。
 北条親子はほぼ毎日、頼朝の御所に詰めきりで、政から奥向き(私事)に至るまでの、雑多な用務をこなした。
 一介の流人の妻から、天下の御台所となった政子は、鎌倉入りの直後から不思議とそれらしい風格を身にまとい始め、京から取り寄せた紅白粉や色とりどりの小袖打掛で身を飾り、奥向きを見事取り仕切っている。
 頼朝のもとに新たにはせ参じた武士たちの、妻や娘を招いて歌や管弦などの催しを開いたり、その中から侍女を選んだりするのも政子の役目であった。
 慣れぬ上に気の抜けない諸事の忙しさの中、長女の大姫の身に起きた事件のこともあり、政子とて幼い弟妹のことは気にかけてはいたけれども、手が回らないというのが本音であった。
 
 そんな中、頼朝と北条家の地位を確固たるものにする手駒として、定子が頼朝の異母弟である阿野全成に、時子、高子と名乗るようになった玉虫と文殊が、頼朝の従兄弟の足利義兼、武蔵の豪族稲毛重成に、次々と嫁いでいった。

 「北条殿の先妻腹のちい姫さま」という、なにかと忘れられがちな存在の夜叉王は、父も兄も姉もいない北条家の館で、継母と腹違いの弟妹たちに囲まれて、ひっそりと成長した。
 そして、源義経が、西海の壇ノ浦で平家を滅ぼし、五年に渡る長い戦が終わった寿永元(1185)年の秋。
 鎌倉入りの先陣を務めたあの若武者、畠山重忠の妻となることが決まった。

 世間から半ば忘れられている間に、夜叉王の上背はすらりと伸び、透き通るような白い肌、煙るような眉に大きな切れ長の瞳、筋の通った小さな鼻、熟れた果実のような赤い唇を持つ、美しい少女になっていた。
 「御台所さまもお美しい方じゃが、これはまた格別な…」
 良家の女子の慣習にのっとって行われた、成人の儀である裳着の式で聡子と名前を改め、碁盤の上に乗った夜叉王の美しさに、人々は息を吞んだ。
 「聡子どの。これから、よろしく頼むぞ」
 許嫁である重忠に髪の鬢を削ぎ整えてもらうとき、その屈託のない微笑みを向けられた聡子は、恥じらいのあまり思わず目を伏せた
 (この人は少し、大兄上と似ているかも…)
 黒々と長い睫毛が、紅潮した頬に濃い影を落とした。

 嫁いでからの聡子は、何かと気鬱な北条家の暮らしから解放されたせいか、幼い頃のような明るく、無邪気で屈託のない、伸びやかな性分がいくぶんか戻ってきたようだった。
 始めは夫の本領の武蔵の秩父と、鎌倉とをを行き来する暮らしだったが、徐々に武蔵国に戻ったまま、兄や姉たちに姿をみせることがなくなっていた。
 それでも、夫の重忠と頼朝、時政、義時との仲は良好で、聡子は与えられた役割を十分果たしていたと言ってよかった。
 
 その美しさゆえか、天真爛漫な質ゆえか、はたまた御台所の妹という立場ゆえか、重忠は聡子を愛し、慈しんだ。
 いつしか聡子も、心から夫を愛するようになっていた。
 ただひとつ不安だったのは、どこか亡くなった宗時に似ている重忠が、あの日の兄のように、突然帰って来なくなることであった。

 平家との戦は終わっていたが、鎌倉では、共に戦った東国武士同士の争いが始まっていた。
 つい昨日まで頼朝のそば近く仕えていた者が、次の日には謀反人として無残に誅殺されるという事件も珍しくなかった。
 その影には、常に頼朝と北条親子の姿が見え隠れしており、御所や北条館には、いつも血なまぐささが漂っていたのである。
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