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第20話
しおりを挟む本物のヒートならば1週間以上続くものだが、涼太の擬似発情はあの1日でほぼ治まり、数日体の火照りが続く程度で済んだ。
非常に稀なケースだったこと、そして涼太の体にも負荷が大き過ぎたため、安定するまでしばらくは宗一郎も面会を許されず、涼太は病室で一人過ごす事になった。
「病室も急変時にすぐ対応出来るように、以前のお部屋に戻っていただきますね。」
涼太は一人で笹森医師から説明を受け、久しぶりに宗一郎に頼ることなく動いている。
「擬似発情を起こされた時はどうなるかと思いましたが、随分と顔色が良くなりましたね。」
「……ありがとうございます……。あの、先生にお願いがあるんですが……。」
「はい?」
涼太は笹森に、もしまたヒートを起こしたとしても、宗一郎には連絡しないで欲しい、そう頼み込んだ。
「それは、一色さんが、性行為に抵抗があると、そういうことでしょうか?」
笹森は突然の申し出に戸惑っている様子だ。
「いえ……。ただ、私が入院してから彼は全て私中心に動いてくれていると思うんです。……でも河野さんは責任ある立場の方ですし、仕事が疎かになれば何か言われてしまうかもしれませんし……。」
「一色さん……。」
「これ以上、彼に迷惑をかけたくないんです。」
涼太は顔を上げ、きっぱりと言った。
「ですが、一色さん。今回体感されたと思いますが、ヒートを一人で耐えるのは本当に大変ですよ?あなたの場合、体への負担もまだまだ大きいですし、やはりパートナーの力を借りた方が……。」
「そのこと、なんですが……実は私と河野さんは、特別な関係というわけではないんです。」
「えっ?」
「多分彼は、私がオメガになるきっかけになってしまったことで、責任を…感じているだけだと……。」
笹森には今までの宗一郎の献身が責任感だけから来るものだとは到底思えなかった。
だが、二人の関係はプライベートな問題で医師が口出しする範疇を超える。
笹森は症状によっては宗一郎に連絡せざるを得ないかもしれないが、安易に呼び出すことはしないと涼太に約束した。
本棟の元いた病室に戻った涼太は、検査の時以外病室を出ることはなく部屋に閉じこもっているものの、以前より格段に顔色が良くなり、食欲も出てきていた。
理性の溶け切らない中途半端なヒート。
涼太がエフだと分かってからずっと付きまとわせている『中途半端』という痛み。
あのヒートの中、自分に欲情しなかった宗一郎を見て、涼太は彼を解放しなければと思った。
そのためには、自分が偽物から本物になることをきちんと受け入れ『中途半端』を終わらせなければと思ったのだ。
「宗一郎さんは、俺を『運命』だと思い込んでるだけだ……。優しくしてもらって、俺も甘えてた……。」
奈落の底へ落とされたと思い、一度は絶望に支配された涼太も、彼の元来の純粋さと穏やかな優しさを失ってはいなかった。
誰かのために……それが涼太をいつも動かしてきていたのだ。
食事をしっかり摂り、ぐっすりと眠る。
窓から射し込む陽の光を感じ、前を向き始めた涼太の体は、処方される薬をきちんと受け入れだした。
オメガフェロモンの安定した分泌が始まった涼太の体は、本物へと着実に変わり始める。
宗一郎が久しぶりに涼太への面会を許可されたのは、三週間経ってからだった──。
「涼太くん、会いたかったよ……!」
宗一郎は病室に入るなり真っ直ぐに涼太に歩み寄りキツく抱きしめる。
「苦しいです、宗一郎さんっ。」
「あ、ゴメンね。……顔色も良くなったし、頬も少しふっくらしだして……。安心したよ。」
「はい。」
「ずっと僕と会えなくて、寂しくなかった?」
ベッドに腰掛け肩を抱き寄せる宗一郎に、涼太はどこか誤魔化すように微笑みかける。
「あの、宗一郎さん。」
「なんだい?」
「その、俺、ずっとお礼も言えてなくて……。こんなに面倒を見てもらって、本当にありがとうございます。」
「涼太くん……。どうしたんだい?急に。」
訝しげに涼太を見る宗一郎に、涼太はどこまでの本音を話していいのか迷いつつ話し出した。
「俺、体が落ち着いてきて、宗一郎さんに迷惑かけてるだけだなって思って……。」
「何を言い出すかと思えば……。大切な恋人に会いに来てるだけだ。迷惑なわけがないだろう?」
「……恋、人……?」
涼太は当たり前にその言葉を口にした宗一郎を不安げに見つめる。
「本当に、そう……思ってるんですか?」
「涼太くん?何を、言って……。」
「宗一郎さん、無理してませんか!?俺をオメガにしたから……それで、責任、感じて……。だって、宗一郎さん……、っ!?」
宗一郎の肩口を掴み辛そうに問う涼太を、宗一郎が身動きひとつ出来ないほどに抱き寄せた。
「それ以上言ったら、僕は本気で怒るよ。」
「……宗一郎さん……。」
「君は、僕の気持ちが嘘だって言いたいの?」
「……ッ!?それはっ……!」
──そうだ、宗一郎さんの気持ちは宗一郎さんのものだ……。俺が否定するのは、きっと違う……。でも、受け入れるのも、きっと……。
涼太は宗一郎の腕の中、身を預けきれずにいる。
しかし傲り始めた宗一郎がその些細な変化に気付くことはなかった。
「ごめんなさい、変なこと聞いて……。」
自身の胸で謝罪を口にした涼太に満足して、彼を解放した宗一郎の手に涼太が僅かに触れる。
「でも、本当に、俺だけに時間を使ったりしないで下さい。仕事だって、大変でしょ?」
「そんなことまで気にしてたのかい?……はぁ、涼太くんらしいね。この際だ、気にしてること、全部言ってごらん。」
「………、お金……入院費も生活費も、全部出してもらって……。」
「うん。多分、そんなことだろうと思った。」
宗一郎が涼太の手を自身の両手で挟み、呆れながら顔を覗き込んだ。
「僕が気にするなっていくら言っても、君は考えちゃうんだろ?僕は、どうしたらいいの?」
「宗一郎さん……。あの、じゃあ、一つお願いが……。」
おずおずと口にした涼太の言葉に、宗一郎が目を見開く。
「そんなっ!本気なのかい!?」
「はい。いいんです、宗一郎さん。もう、過去は……ベータの自分は手放そうって決めたんです。……中途半端をやめるためにも……。」
「涼太くん……。本当に、いいんだね?」
「はいっ。お願いします。」
それから三十分ほど他愛もない話をして、宗一郎は病室を後にした。
──お人好しも、ここまでくると才能だよ、涼太くん。
宗一郎は涼太に、自身の店を売却し、その金を入院費などに充てて欲しいと頼まれたのだ。
自宅から光廣と友明の写真だけ取ってきて欲しい。後は全て処分してもらって構わないと……。
「まぁ、多少面倒だが、金も入るし。誰か適当な奴にやらせるか……。」
涼太が自分を信頼しきっていると思っている宗一郎の慢心が、彼の隙を広げていた。
「あら?河野さんはもう帰られたんですか?」
「はい、仕事もあるので……。」
涼太の血液検査のために採血に訪れた看護師は、いつもは面会の終了時間ギリギリまでいる宗一郎が帰ったことに意外そうな顔をする。
「もう、だいぶ体も落ち着いたので、仕事優先にしてもらったんですよ。」
明るく言う涼太に、看護師はホッとした様子だ。
「でも、お一人の時間が増えちゃいますね。そうだ、外来の待合室に置いてあった雑誌でも、いくつかお持ちしましょうか?」
「いいんですか?」
「はい、どうせ新しい物と交換して処分しますし。時々、ご希望の入院患者さんにお渡ししてるんですよ。」
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
看護師は笑顔で、「後でお持ちしますね」と言って出ていった。
それからしばらく眠ってしまっていた涼太が気付くと、ベッドのテーブルに何冊かの雑誌や新聞が置かれていた。
「もう持ってきてくれたのか。」
夕食までの暇つぶしにと手に取った数日前の新聞。片隅の小さなインタビュー記事が、涼太の心を揺らす。それは礼奈が一人の経営者として受けたものだった。
『最近、番と結婚したんですが、大切な人が出来たことで、また視野が広がりました。』
「……やっぱり、伊織くんは……愛人なんて作るような人じゃなかった……。」
涼太は伊織を疑い、不安に飲まれた自分が恥ずかしくて堪らなくなる。それと同時に、自分の大切な人が、自分の思った通りの人でいてくれた喜びに、心が満たされていくのも感じていた。
「伊織くんに会いたい……。会って、ちゃんと……謝りたいな……。」
希望が混ざる涼太の呟き。また前を向き始めた彼の目には、窓から見える中庭の景色が色鮮やかに見えていた……。
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