【完結】フェイクオメガ

水樹風

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第29話


「涼太さん、支度出来ました?」
「うん。伊織くん、お待たせ。行こうか。」


 前日に涼太が作り上げた眩い空間。
 正午前の一番美しく陽の光が降り注ぐチャペルに入ると、二人は新郎側のゲスト席に並んで座る。


「涼太さんのスーツ姿、新鮮。」
「俺自身、新鮮だよ。」


 やがて厳かに鳴り響くオルガンの音。
 牧師の待つ祭壇の下に立った親友の姿に、涼太は胸の震えを抑えるように手を当てた。




 祐貴と咲季が入籍の報告にやって来たのは、涼太たちが番となりヒートが終わってすぐのことだった。
 祐貴が咲季に一目惚れして始まった二人の恋。
 その七年をずっと見てきた涼太には、それは何より嬉しい出来事だった。


「お二人は式のご予定はあるんですか?」


 まだヒート休暇中で涼太の部屋で過ごしていた伊織が尋ねると、咲季は静かに首を横に振る。


「もう二人で暮らし始めてますし、式まで挙げる必要ないかなぁって。」
「そうですか。ぜひ、うちのホテルで挙げて欲しかったです。」
「伊織さんてば、こんな時でも抜かりないですね。」
「もちろんです!」


 伊織の半分冗談めかした営業スマイルにニッコリと返す咲季だったが、そんな彼女を見る祐貴は複雑そうな表情かおだった。


「祐貴?どうかしたのか?」
「えっ?ううん。何でもないよ。」
「そうか?」
「うん。……それより、どう?伊織さんと番になって。」


 突然自分に話が振られ、涼太はワタワタと慌てだす。


「もう、涼ちゃん、なに赤くなってんの?俺は体調のこと聞いたの。」
「えっ!?……えっと、うん。まだあんまりわかんないけど、ヒートの時の胸の苦しさは楽、だった……。」
「そっか、よかった。……しかし、そんなに照れちゃって。いっぱい愛されたんだね、涼ちゃん。」
「ゆうきっ!」


 明らかに揶揄からかってウィンクする祐貴に、涼太は枕を投げつけた。
 いつも通り親友同士の賑やかな時間。それぞれのパートナーも加わり和やかに過ごしてその日は別れたが、翌日、祐貴が一人で涼太に会いに来た。


「ごめんな。せっかく伊織さんと過ごしてるのに二日連続で邪魔しちゃって。」
「全然。昨日なんか様子おかしかったし俺も気になってたんだよ。」
「うん……。」


 祐貴は自分から訪ねてきたものの、居心地悪そうにしてソファーに座っている。


「祐貴さん?俺は席を外しましょうか?」
「えっ?いや、伊織さん、大丈夫です。秘密にするとかそういう話じゃなくて……。ただ……。」
「ただ?」


 祐貴は歯切れの悪い会話の後、四つ折りにされた一枚の紙をバッグから取り出した。


「涼ちゃん、これ覚えてる?」
「ん?」


 差し出されたそれを受け取りカサカサと広げた涼太に、懐かしさと切なさがないまぜになって染み込んでくる。


「これな……。三年くらい前だっけ?」
「うん。涼ちゃんちでサキと三人で飲んでた時に、書いてくれたんだよね。」


 それは、涼太が咲季のために描いた、ウェディングブーケのデザイン画だった。


「サキさ、お袋さん早くに亡くして、ずっと歳の離れた妹と弟の母親代わりしてきただろ?」
「……そうだな。」
「ずっとずっと、サキ自身は我慢ばっかしてきたと思うんだ。一番下の弟が美容師になって自立して、やっと俺との結婚に頷いてくれて……。本当は、結婚式だって、ウェディングドレスだって、ずっと憧れてて……。」
「祐貴……。」
「サキ、涼ちゃんにブーケ作ってもらうの、本気で楽しみにしてたんだと思う。妹の結婚式のあと、それこっそり見てたんだ。」


 涼太は、祐貴が咲季のために自分に何を頼みに来たのか、それはわかってきていた。
 だが、涼太は苦しげに顔を歪める。


「祐貴……。ごめん、俺……俺は、もう……。」


 涼太の中に連想ゲームのように出来上がってしまっていた1つのイメージ。

 花……、自宅……、店……。
 そしてその中に立つ宗一郎と、『呪いの言葉』……。

 忘れたくて、過去にしたくて必死に蓋をしてしまい込んだものの、消えるはずもない記憶。
 偽物から本物になったこと。それは愛する伊織と番になれた今、さほどの痛みは伴っていなかった。
 けれど、宗一郎が自身の体を、肌を、心を……弄ぶことを許してしまった事実。
 涼太にとってそれは伊織への裏切りに他ならず、誰にも見えない場所でジクジクと瘡蓋になりきらず膿み続けていた。


「涼ちゃん、俺こそ、ゴメンっ!!……ただ、俺……サキの憧れ、諦めたくなくて……。」
「………。」
「これは俺の我儘なんだ。だから、聞き流してくれて全然いい。でも、いつか、もし……、もし、サキにこれ作ってくれる気になったら、教えて、欲しい……。」


 祐貴はそれを伝えると、スッと立ち上がった。


「こんな話して……涼ちゃん、辛くなるのわかってたのに……!」
「祐貴さん、それはっ。」
「伊織さんも、二人の特別な時に、本当にすみませんでした。」


 頭を下げたままの祐貴に、涼太が無機質に呟く。


「咲季ちゃん、そろそろ帰ってくるだろ?」
「うん。」


 祐貴が帰った後、涼太はずっと無言のまま……。
 伊織はそんな涼太をただ包み込んで朝を迎えたのだった。




「涼太さん、明日、涼太さんのお店に行ってみませんか?」


 結局、祐貴とのあの日の会話については触れることを避けて時間は過ぎ、涼太に退所前のリハビリも兼ねて外泊の許可が下りた。
 その前夜。泊まりに来ていた伊織の突然の提案。
 それが涼太にジクジクとした傷の場所を思い出させる。


「急に、何?」
「急じゃ、ないんですけどね……。」


 伊織には、このふいに見える涼太の瞳の濁りが恐ろしくて仕方なかった。
 オメガになり、体の不安を少しずつ取り除いて、やっと外の世界へ戻ろうとしている涼太……。
 だが、外の世界では、彼が抱え必死に隠そうとしている化膿した傷口は、きっと容易く抉られてしまう。
 伊織はその傷口が広がり涼太を蝕む前に、きちんと瘡蓋にしてやりたかったのだ。
 例えそれが、痛みを伴っても、涼太を失うよりはマシだと。


「涼太さんずっと、河野宗一郎のこと話すの避けてますよね?」
「──っ!」


 涼太には耳にするのもおぞましい名前。
 だが、伊織はあえて真っ直ぐに口にした。


「涼太さんは、擬似発情をあいつと過ごしたんでしょ?」
「伊織くん、やめて………。お願いだから……。」
「あいつに、何回イかされたんですか?」
「やめてくれ……。」


 ガタガタと震えだした体を、涼太は自分で抱きしめる。


「体中に痕を残されて……。」
「伊織、くん?……なんで?」
「いっぱい感じた?」
「やめろって……!」
「俺と、どっちがよかったですか?」
「……ッ!?」


 ──なに!?……どうしよう……、伊織くんに捨てられたら……!


 伊織は怖いくらいに落ち着いている。
 少なくとも涼太にはそう見えていた。
 今までずっと自分を気遣って、宗一郎の話題など口に出さなかった伊織……。
 涼太は目の前の伊織の姿がぼやけて見えなくなってくる。


「ごめんなさい……、ごめんなさい……ごめんなさい……。」


 壊れたようにそう繰り返し続ける涼太の頭の中で、とどめを刺すように反響しては消えない宗一郎の呪い。


 ──逃げられないんだ……。本当に、逃げられなくて……。


 涼太が必死に隠してきた傷口のあまりの惨さに、伊織の心に入っていたヒビもぎしぎしと痛む。
 宗一郎に涼太を奪われていた時間に、伊織も無傷でなどいられるわけがなかったのだ。


 ──嫌だ。あんな奴の呪縛で、涼太さんが壊れるなんて、耐えられるかっ!


「涼太さん!」


 伊織は涼太の淀む瞳に必死に自分を映す。


「ごめ、んなさい……。許して……。」
「──ッ、涼太!!」


 大きく体を揺さぶられ、涼太はやっと、今誰を見ているのかを理解した。


「なんで謝るんですか?涼太さんは、何を謝ってるの?」
「えっ……?」
「なんで、俺に謝るんですか?」
「……なんで……って……。俺は、伊織くん……裏切って……あの人に、逃してもらえなくて……。あの人、俺を運命だって、言ったから……俺……、俺、でも、伊織くんが……忘れられなくて……。」


 ──あいつ、涼太さんになんて卑怯な嘘をっ!


「俺、バカで……全部、信じて……。」
「涼太さん……。」
「でも、最後、あの人が怖くて……本当に……こわっ……、……俺、怖いんだ。怖いんだよ、伊織くん。」


 口にしてやっとわかった、傷口を化膿させていた毒の正体。
 逆らえなかった宗一郎アルファの言葉。
 支配され逃れられないと思ったあの時の恐怖が、深く根を張っていたのだ。


「涼太さん、あいつは自分がアルファであることを悪用してたんです。あいつが支配したのは、涼太さんの中のオメガだけだ。」
「そんなの、綺麗事だろ!」
「……そうですね。そうかもしれない。でも、涼太さん、ずっと俺を忘れないでくれたんでしょ?」
「伊織くん、俺はっ!」
「だから、あいつに触れられたことで苦しんでるんでしょ?」
「………っ。」


 嗚咽を飲み込み頷く涼太を見て、伊織はやっとその怯える体を安らぎで包んだ。


「俺にも、あるんです。あの時間に出来た傷が。多分、俺のも、涼太さんのも、この傷は消えないですよ。」
「………。」
「でも、このまま二人で瘡蓋にして、痛みをなくして、痕だけにしましょうよ。」


 涼太の腕が伊織の背中にまわる。


「これだけは言っときます。俺は裏切られたなんて、これっぽっちも思ってないです。……あいつが涼太さんに触れたこと、嫉妬しないって言ったら嘘になる……。けど、涼太さんは俺を消さないでいてくれたから。」


 伊織の肩口で、涼太の震える嗚咽が漏れた。


「明日、あの店に行きましょう。辛くなっても、俺が隣にいます。お父さんたちの想い出、自分でちゃんと取りに行きましょう。ね?」
「……怖いんだ。俺、父さんやトモさんじゃなく、あの人を思い出しそうで……。怖い……。」
「うん。」
「でも、俺……、咲季ちゃんに作ってあげたい……。すぐには、無理でも……祐貴にあんな顔させたまま……。」


 ──本当に……。いつもこの人を動かすのは、優しさなんだな。


「どうしますか?涼太さん?」


 伊織のその声色はいつも以上に甘く優しく、涼太の中の優しさという強さを引き出していく。


「行って、みる。」
「はい。」



 翌日、空っぽの店の前に立った涼太はそのまま祐貴に電話をかけた。


「祐貴、ずっと、ごめんな……。二人が結婚式をするときには、手伝わせて欲しい。」


 それを聞いた祐貴の電話越しの泣き声が、店に微かに残っていた宗一郎の呪縛を消し去って行ったのだった──。

 それから慌ただしく始まった結婚式の準備。
 伊織が全面的に協力してくれ、祐貴と咲季はアマミヤホテルで家族だけのささやかな式を挙げることになった。


 そして──。
 父親と共にチャペルの入口に立った咲季は、母親の形見だというクラシックなウェディングドレスに身を包み、涼太が作った約束のブーケを手にしてヴァージンロードを進んでいく。


「咲季ちゃん、綺麗だ。」


 涼太の小さな呟きに、伊織は涼太と繋いだ手に柔らかな力を込めた。


 ──ありがとう、俺を解放してくれて……。


 癒やしと赦しと始まりの、美しい白──。
 それを自らの手で得た涼太は、やっと本当に、自分を取り戻せた気がしていた……。












 
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