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第二章
8 兄と弟
しおりを挟む数日後──。
ルナスコラによる調査が終わったクリストの遺体は家族の元に返され、身内だけのささやかな葬儀が行われた。
エリーにクリストを普通に弔いたいと直訴したのは他ならぬレオだった。ルナスはレオの気持ちを汲み、詛の件はクリストの死をもって、エリーにより恩赦が与えられた形になったのだ。
残りの詳しい調査はルナスコラ主導のもと第二騎士団が引き継ぎ、レオは俺の護衛に戻ってきた。
あの日王宮に戻ると、ジャニス様に大神殿へと連れて行かれた俺とエリー。
初めて入る大神殿の祈りの間。多くの神官達にと共に、ただ祈りを捧げ続けるレオがそこにいた。
「もう一刻ほど、ずっとああしていて……。」
「……レオ……。」
エリーがそっと近づきレオの肩に手を置く。何も言わず立ち上がったレオを、俺たちは庭園に連れ出した。
鏡の池に映る月を見つめながら、レオが握り締めていた手をそっと開く。その中にあったのは、一つの小さな白い石だった。
「クリストがマークル家に行くときに俺があげたんだ。……俺が、兄さんに……。」
レオはその場の草の上に力が抜けたように座り込み、俺も隣に座る。エリーもジャニス様もレオの側にただ佇んでいた。
レオがぽつりぽつりとゆっくり語りだす。俺にはレオが必死に涙を堪えているように見えた。
「俺は、ガキの頃から白龍の神子だと周りの大人達に振り回されてきた。いつの間にか、家族のことも、全部悪い方へ悪い方へと思い込んでたんだ……。」
「悪い方?」
「……親父は俺の母さんもクリストも見捨てたわけじゃなかった……。俺が勝手にそう思ってただけだったんだ……。」
レオの義母にクリストの死を伝えに行き、実の息子を失い泣き崩れた彼と、レオは成人して以来初めて腹を割って話せたらしい。
元々はレオの実母の方が、ずっと以前からのレオの父の恋人だった。政略結婚で嫁いできた義母にはなかなか子供が出来ず、恋人に子供が出来たら離縁してもらって構わないと伝えていたようだ。
当時、伯爵家の領地にいた実母が妊娠に気付き王都にいる恋人に連絡を取ろうとして、彼の妻が出産直前だと知ったレオの母は、自ら身を引き姿を消した。
そして、レオが二歳のとき白龍の神子となってしまい、平民の自分では守りきれないからと伯爵家に託しに来たのだそうだ。
口数が少なく不器用だったレオの父は多くを語らず、レオは事実をきちんと聞かされてこなかったらしい。
「よくよく思い返せば、親父も義母もクリストと俺に分け隔てなく接してくれてた……。クリストだって……大好きだったんだ……。」
クリストをマークル子爵家に養子に出したのも、魔力がなかったクリストが周りからの誹謗に傷付かないようにと、我が子を思ってのことだった。
「クリストは、小さい時から頭が良かったからな……。子爵家で、クリストがずっと大事にしてたって、これを渡してくれたんだ……。こんな、綺麗だからって、それだけで渡した、ただの石を……あいつはずっと……持って……。」
「レオ……。」
逞しい彼の身体が小刻みに震えていた。俺は少しでも和らげてあげたくて、レオの手を握り締める。
「クリストは秘書官になる少し前から、少しでも俺やエルネスの力になりたいと、白龍の神子やハヤブサの神子について調べてくれてたらしい。子爵夫人が言うには、地方の神殿に調査に行ったあとしばらく寝込んで、それから時々様子がおかしくなり始めたって……。」
「レオ、地方の神殿とは?」
ずっと黙って見守っていたエリーの声に、やっとレオが視線を上げた。
「はじまりの泉の近くにある神殿らしい……。」
「そんなっ!」
「では、クリストも恐らく。」
「闇魔法を受けてたんだ……。全部、本当に全部……影の仕業だった……。」
「っ!」
俺は怒りに唇を噛み締める。なんで、こんな……。
「俺は……俺はっ!クリストを救ってやらなきゃいけなかったんだ!それなのに、ただ拒絶して……恨んで……っ!兄さんに、あんな死に方をっ!」
地面に頭を擦り付け、握り締めた拳でそこを叩きつけながら悲痛に叫ぶレオに、俺もエリーも言葉を失ってしまった。
そんな中、拳を振り上げたレオの腕を掴み、引き寄せて抱きしめたのはジャニス様だった。
「お前のせいじゃない。お前は何も悪くないよ。レオ?」
「……っ!」
「悲しんでいい、泣いていいから……。後悔に飲まれちゃ駄目だ。」
ジャニス様が愛しんでレオの額に口づける。
「お前の兄ならここにもいる。私がいる。一人で苦しむな、レオ……。」
「ジャ、ニ………。」
俺の大切な人をこんなにも苦しめてるあいつへの怒りが止め処なくわき上がる。悔しくて、情けなくて想いが爆発しそうになる俺を、エリーの温かい腕が後ろから引き寄せ包み込んだ。
「焦るな、ハヤト。怒りに染まったらきっと、奴の思う壺だ。」
「エリー……。」
「怒りの大元は悲しみだ。だからまずは、皆んなでそれを癒やそう。」
「…………うん。」
俺たちは、レオを抱きしめ続けるジャニス様をそっと見守る。
「ジャニスがいてくれて、よかった……。」
エリーの呟きに目を閉じ、俺は彼に寄り添い続けていた──。
◇◇◇
「レオ、あの血文字のこと何かわかったのかな?」
レオが護衛に戻って数日──。
まだ硬い表情が残りながらも、彼は落ち着きを取り戻しつつあった。
「わからないが、アントンが大至急と言ってきたってことは、何かしらあったんだろう。」
今日は診療所で治療の手伝いをする予定で、ヴァロフォーラの北門に向かっていたんだけど、急いで宰相府に行って欲しいとアントンが伝えに来たんだ。
黒き影の目論見を阻んだあの血文字。
今はまだ誰の血なのか、誰が書いたものなのか謎のまま……。
俺たちが宰相府に着きエリーの執務室に入ると、やっぱりただならぬ雰囲気でピンと空気が張り詰めている。
中にはジャニス様とルナスの他にもう一人、まだ十代の少年がいた。
「エリー、一体何があったの?」
俺はエリーに手招きされ、執務机に座る彼の横に立つ。机の前に立っている少年の目は、泣き腫らしたようで真っ赤だった。
「ハヤト。この者はパーシヴァル・サーグイス。ジークベルトの長男だ。」
「えっ……。」
パーシヴァルは公爵令息として、しっかりと俺にフィシアをしてくれる。でもその体は震え、立っているのがやっとの様子だった。
「あの、殿下。よろしいですか?」
見るに見かねたルナスがエリーに許可を取り彼の肩を抱き寄せ支える。
「そんな、ルナス様……申し訳ございませんっ……。」
「いいのですよ、パーシー。」
きっと公爵家の人間としてしっかりしようと必死なのだろう。その姿は本当に痛々しかった。
「エリー?」
俺はどうしょうもない不吉な予感に苦しくなりながらエリーの言葉を待つ。
「……ジークベルトが、死んだ。」
「──っ!?」
「ジークベルトもまた、黒き屍となったようだ。」
「そんなっ!なんで!?」
レオの表情が一気に強張り、彼は額に青筋が浮かぶほど歯を食いしばっていた。
「パーシヴァル、話を出来そうか?」
「はい、殿下。」
パーシヴァルは掠れる声で懸命に喋り始める。
「六日ほど前、父が急に領地に行くと言い出しました。理由を聞いてもはぐらかされてしまったのですが、私にだけ付いて来いと。馬車で三日かかる距離を、今回は急ぐからと馬をとばし二日で領地に着きました。」
そう話しながら、彼の顔色は真っ青になっていった。見かねたエリーはパーシヴァルをソファーに座らせ、俺の手を引いて向かいに腰を下ろす。
「パーシヴァル。ジークベルトは領地で何か目的があったのか?」
「わかりません、殿下。ただ、屋敷に着いてしばらくすると、久しぶりに思い出の場所に行きたいから出掛けてくると……。」
「思い出の場所?」
「はい。……思えばあの時父は、珍しく出かける前に私をハグしてくれて……。」
そこまで言うとパーシヴァルはハッとなり、みるみるうちに目に一杯の涙を溜めていく……。
「これが、最後だから……と……。」
俺がエリーと顔を見合わせていると、レオが真っ直ぐにパーシヴァルに歩み寄り、その大きな身体で華奢な彼を包み込んだ。
「いい、パーシー。我慢なんかするな!お前はまだ十六だ。この部屋に父親を亡くして泣くお前を誹る奴なんかいない!」
「レオ……。」
レオの温もりは、まだ少年から抜け出しきれていない彼から素直な涙を引き出す。それでもパーシヴァルは言葉を続けた。
「うっ、うぅ……。父が、父が、朝になっても戻らず、屋敷の者たちと探しに、出たのです。……泉の近くで倒れているのを見つけて、駆け寄ろうとしたら、急に……急に真っ黒な光が、襲う……みたいに……!」
パーシヴァルを抱き締めるレオの腕に力が入る。あどけない少年はついに嗚咽を我慢出来なくなり、レオの腕にしがみついた。
そんな時だ。執務室のドアがノックもなく勢い良く開く。
「パーシーッ!」
駆け込んできたのはルートヴェート殿下だった。室内の全員が立ち上がり礼をする中、甥であるパーシヴァルを掻き抱く。
「殿下……。」
「愛する甥が、こんな報告のためにパレフォーラに初めて一人で来るなど……なんてこと……。」
殿下は再びパーシヴァルをソファーに座らせ、エリーにも目で合図をされた。
腰を落ち着けた俺たちを確認して、パーシヴァルはおずおずとポケットから小さな革の巾着袋を取り出す。
「あの、これは……父の寝室のサイドテーブルに置いてあった物です。『ジギーからルルへ』と一緒にメモがあって……。殿下のことではないかと……。」
その瞬間、ルートヴェート殿下が小さく息を呑んだ。
「……私をまだ、ルルと……呼んで……。」
殿下が巾着を受け取ろうした時、ルナスが手がそれを止める。
「恐れ入ります、殿下。念の為、安全の確認を。」
「ああ、そうか。そうだね、ルナス。」
ルナスは巾着を白光で包むと、パーシヴァルからそれを受け取った。
「殿下、開ける許可を頂けますか?」
「ああ、構わないよ。」
そしてルナス袋から、ポトリとテーブルに中身を落とす。
「こ、れは!?」
「これ、どういうことっ?」
驚くことに、そこにあったのは、クリストの遺体から落ちてきたのとそっくりな組紐だったんだ。
まさか、あの血文字……あれは……!?
「パーシー、お父様はどこか怪我をしたりしていませんでしたか!?」
突然変わった場の空気に戸惑いながら、パーシヴァルは問いかけるルナスを見上げた。
「どうして、それを?父は……右の中指に包帯を巻いていました。封蝋で火傷したと言って……。」
そして俺たちの様子から、ルートヴェート殿下は何か察したんだろう。不安げな甥の肩を抱きながら口を開いた。
「エルネス?もしかしてどこかで、これの片割れを見つけたのかい?」
「殿下、何故?」
「今、それはあるのかな?」
殿下にそう言われ、持っていたルナスがクリストから見つかったものを取り出す。
テーブルに並べて置かれた二つの組紐。
「ルナス、これは私が触っても大丈夫そうかな?」
「はい、殿下。」
ルナスの返事を聞いて組紐を手にしたルートヴェート殿下は、俺達の目の前で迷わずその紐をほどき始めた。
「殿下っ!」
驚いて止めようとしたエリーに、殿下は静かに微笑む。
「私達がジギーとルルなんて呼び合っていたのは子供時分のことでね……。よくイタズラをしたものだ。イタズラ坊主が二人で、秘密のやり取りを考えたんだよ……。」
殿下はそう言いながら器用に手を動かし、二本の組紐を一つに編み直していったんだ。
そうして出来上がった紐を見た殿下は、静かに一筋の涙を落とす……。
「……当たっていたね、ジギー……。」
皆んなに見えるよう、そっとテーブルに置かれた組紐。
そこには模様が言葉となって現れていた……。
『家族を守って ごめん 愛してた ルル』
何か……何か違う結末への道はなかったのかな?
パーシヴァルの悲鳴みたいな慟哭が、俺の記憶に深く鋭く刻まれていった……。
応援ありがとうございます!
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