婚約破棄？私、貴方の婚約者ではありませんけれど

結

「なっ、なんと馬鹿な！」

「そんな…。」

国王とアレックスは、2人揃ってその場に膝をついた。ステージ上に唯一立っているヒメネス公爵は無表情なままである。
その場にいる誰もがヒメネス公爵家が国を見捨てた瞬間だと察した。
しかしアイリーンだけは父の考えが読めていた。彼は目の前の国王とその愚息を蔑んでいる訳ではなく、私の言葉が真実だと理解するとその興味は既に新天地でのビジネスに向いているのだと。
所詮ヒメネス公爵家にとって、この国はその程度だったのだ。

国王は自分が教育を間違えた息子のせいで、本来この婚約で得るはずだった利益を失った。そしてその息子は考えが浅いばかりに勘違いをし、隣国の国王の怒りをかった。
この国は終わりだと、その場にいるほとんどの人間は理解していた。
しかしそれでも納得のいかない者はいるようだ。

元々は自分の勘違いが原因であるにも関わらず、その原因をアイリーンへと転嫁したアレックスはその場に立ち上がる。
最早周囲の人間は見るに耐えなかった。

「し、しかし！アイリーン！貴様は私の婚約破棄を受け入れたでは無いか！」

アレックスの言葉に、アイリーンはニコリと笑みを濃くする。その笑顔はまるで蛙を睨む蛇のようで、アレックスは恐怖を感じずにはいられなかった。

「当たり前ではないですか。私はシーザー陛下に全てを捧げることを誓っています。それなのに殿下との関わりがあれば、それは不義というものでしょう？それに例え殿下の勘違いだとしても、後々王家から何かしらの理由をつけて財を盗られるのは嫌なので。」 

今までもこの国の王家は何かしらの理由をつけてヒメネス公爵家の行動を制限し、その財を手に入れようとしてきた。
その企みは王の独断ではなく、裏にはヒメネス公爵家を妬む貴族達がいることをアイリーン達は知っている。
だからこの言葉は国王やアレックスだけではなく、周囲の人間への牽制の意味もあったのだ。

「ならば婚約をしてないことを素直に言えばいいものを！私に恥をかかせるなんて！」

何を愚かなことを…。と思ったのはアイリーンやシーザーだけでは無い。
アイリーンは溜息をつきたくなるのを扇で隠し、ゆっくりと口を開いた。

「そんなことを言ったところで、殿下は信じないでしょう？」

「ｯでも…。」

アイリーンの言葉に、アレックスは言葉が出てこない。確かにあの婚約破棄の流れで勘違いだと言われても、自分が信じることは無いと感じていたのだ。

しかしそんなアレックスをおいて、アイリーンは言葉を続ける。

「それに…。とても愉快そうだったので。」

彼女の言葉に、その場にいるシーザー以外は息を飲んだ。それは彼女が浮かべる笑顔があまりにも美しいから。そして、その発言からは 彼女の狂気が垣間見えたからだ。

アイリーンは損得勘定で動く女だと言うことをシーザーは知っている。誰にでも優しく愛想を振りまくのは、その方が得になるからだ。
しかしそんな利己的な彼女が唯一損得勘定なしで動くもの。
それは好奇心。
それが己の破滅を呼ぼうとも、命の危険に晒されようとも、彼女は自分の好奇心を優先させる。
自分の知らないこと、愉快なことをとことん楽しみたい。
貴族令嬢でありながらそんな危険な考えを持つ彼女にシーザーが好意を抱くのは遅くなかった。
聡明で美しく、そして自分を退屈にさせない女。
シーザーとアイリーンが出会ったのは交易の場だったが、彼はその時既に考えが似た彼女を好ましいと思っていた。そして今では、彼女が自分の全てだと感じている。
それ程までにシーザーはアイリーンに惹かれていたのだ。

「そ、んな馬鹿な…。」

「嘘ではありませんよ？私、面白いことが大好きなので。」

そう言って笑う彼女を、アレックスは初めて年頃の乙女らしいと感じた。そして絶対に手に入らないからこそ、美しいと。

「では国王よ。我々はそろそろ帰らせてもらおう。」

「ｯどうか！此度の件は愚息の責任です！ですから援助は…！」

シーザーの言葉に、それまで顔面蒼白だった国王は飛び起きた。
そしてこれでもかと深い土下座をし、許しを乞う。
だがその程度で愛する人を傷つけられたシーザーが許すはずもなく。

「くどいぞ。そもそも私がそなたの国に援助をするのはアイリーンの祖国であったからだ。それがどうして、彼女を国外追放した後でも援助しなければならない？全てはそなたの愚息がしでかしたことだ。親ならば責任を持て。」

その言葉は、この国の終わりを告げていた。
今までこの国を支えてきた公爵家が去り、その分の隣国からの援助も受けられない。
全ては、愚かな王家のせい。
その場にいた貴族は、早々にこの国を出る算段をつけていた。

放心状態のアレックスと国王をそのままに、シーザーはアイリーンの腰を抱いてその場を後にした。ヒメネス公爵も姿を消している。

結局、アイリーンとシーザーの婚約を祝うパーティーはそのままお開きとなった。



数ヶ月後、隣国では国王夫妻の誕生を祝うパーティーが盛大に行なわれた一方で、ある中小国が隣国に吸収された。
最早存亡が危ぶまれていたその中小国の王家は取り潰し、国王とその息子の第1王子は不敬罪として国土の端にある鉱山で生涯働くこととなる。
かつての中小国の王領は元第2王子が伯爵位を貰い収めることとなった。
隣国の国王夫妻は仲睦まじい夫婦として国民に尊敬され、様々な政策を打ち出しては国民の生活水準を上げていった。
そして2人の子宝に恵まれ、アイリーンとシーザーはその幸せを確かなものとしたのである。