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第一章 異界からの姫君
第五話
しおりを挟む美しく流れる黒髪。同色の睫毛は扇のように広がり、頬に影を作っている。その頬は薄らと色付き……濡れた瞳は、少女のような愛らしさと、女の艶やかさを合わせ持っていた。その瞳の下にある小さなホクロもまた、彼女の魅力を引き立てている。果実のような唇を、忙しなく変化させ、小鳥のような声を響かせる姫……それが、エイサフの瞳に映る市の姿だった。三人の中で一番小柄だったこの姫は、自分の手の平に触れながら、無防備な笑顔を見せている。下心のない眼差しが、エイサフにとっては眩しかった。
ーー今まで……女とは、下心のある瞳で近寄ってくるものと思っていたが。なんと、この姫の子供のような瞳……。邪気のない、純粋な黒い瞳が、こうも美しいとは。
エイサフは、市の真っ直ぐな黒に見蕩れた。美しい姫だと興味を持っていたのは確かだが、女という生き物はみんな同じようなものだと思っていたのに。エイサフは、美しい外見のため、自国のシュッタイト帝国でも、嫌という程にモテていた。媚びるような眼差し。鼻を強く刺激する香水。無駄に押し付けてくる豊かな胸。甘えた子猫のような高い声。シュッタイトで流行っている、露出の高いドレスを見せびらかしながら、ベタベタと触れてくる柔らかな手……。物心ついた時には、エイサフにとって女は、男に媚びる鬱陶しい生き物だった。
「若君?らび。若君が、何も反応しなくなってしまったぞ」
「……王子」
見知った小さな声に、エイサフはハッとして顔を上げた。
「ラビアか」
エイサフの乳姉妹で、幼い頃から仕えてくれた女が、市の後ろに控えていた。なるほど。今回の召喚で、シュッタイト帝国のために姫付きの侍女になると息巻いていたが……。まさか、運良く自分が気になっていた姫の侍女になるとは。しかし、何故かラビアは、呆れた眼差しでエイサフを見返している。
「若君!先程から何やらぼんやりとされていますが、如何致しました?」
市の声に、エイサフはようやく自分が無意識にしていた事に気がついた。市の小さな白い手を、握り返していたのだ。
「……すまない。少し、考え事をしていた」
これには、エイサフも思わず赤面する。ラビアは、自国で〝 鉄仮面〟やら〝 氷の王子〟と呼ばれていた男の赤面に、こっそりと笑いをかみ殺した。
「私の手を大きいと言っていたが、そなたの手はとても小さいな」
市の手の感触を思い出しながら、エイサフはぽつりと呟いた。自分の手の中にすっぽりと収まってしまう小さな手。エイサフは、ムズムズとした感覚が、胸に広がるのを感じた。自然と、左胸を手で抑える。
ーーなんと、奇妙な……。胸がこそばゆい。
まさか、衣が肌に合っていないのだろうか。エイサフは、何とも見当違いな事を考えた。この男……平成風に言うならば、〝 彼女いない歴23年のチェリーボーイ 〟である。恋を知らないこの男……。女を口説く術や床術は、国で嫌という程に学んだが、それを実践した事はなかった。さらに、床術の最後の授業で、王が女を寝所に忍ばせても、影武者に相手をさせたほどの潔癖症。そんな男に、淡い恋のトキメキという感情がわかる筈もないのである。
「ここで、そなたと話せて良かった……。引き留めてしまって、すまぬ。また今度、ゆっくり茶でも飲もう」
エイサフは、氷の顔と比喩されるそれに、淡い笑みを浮かべた。青い海のような瞳は、優しいさざ波のように、市を見つめる。市もそれに答えるように、微笑んだ。
「ぜひに。私、甘味はとても大好きので、沢山用意して下さい。全て腹の中に収めて見せましょう」
ほほほと笑う市に、はしたないと叱る侍女は居ない。この場にマツが居たなら、「お市様!食い意地をはっている姫と思われますぞ!」と窘めていただろう。しかし、エイサフは気にしなかったようで、市の言葉に小さく吹き出して、肩を震わせた。
「ふっ……そなたは、子供みたいだな。わかった、きちんと沢山菓子を持ってくるから、楽しみにしているがよい」
市の頭に、エイサフの大きな手が優しく乗せられた。そのままゆっくりと撫でられて、市はぼんやりと信長のことを思い出した。
ーー兄上様に、撫でられているみたい。
市は、兄に撫でられていつもしていた表情を、初対面のエイサフの前でも見せてしまった。猫のように目を細めて、安心しきった無防備な顔。エイサフの手がピタリと止まった。その頬は、薄らと朱が差している。
ーーなんと、似合いな二人。やはり、王子にはイチ様が相応しい。
ラビアは、ひっそりと市の後ろに控えながら、二人の様子を見守っていた。乳姉妹のため、幼馴染のように育った、敬愛なる主君……エイサフ王子。仕える人物は変われど、ラビアにとっての主君は、永遠にエイサフなのだ。父に変わって、異界からの姫君を手に入れると言っていたエイサフのために、姫付きの侍女に立候補したのだ。幸いエイサフは、ラビアが仕えることになった市に、興味を示した。必ずや、市を連れて、シュッタイト帝国に帰る。それが、ラビアの使命である。そして、エイサフが王になり、市が王妃となるのを、この目で見届ける。それが、ラビアの夢だ。
「では、若君。失礼致しまする」
市がエイサフに小さく会釈して、ラビアも後に続いた。エイサフに最上級の礼をして、市の背中を追いかける。
「私はいつでも、王子の味方でございます。何なりと……」
そう、小さく零したラビアの言葉に、エイサフは不敵な笑みを浮かべるのだった。小さくなっていく市の背中を見つめまま、その瞳にユラユラと灯し始めた熱を宿して。
「こちらが、イチ様のお部屋でございます」
ラビアに案内され、市は真っ白な扉の前に居た。扉といえば襖を思い浮かべる市は、金色のドアノブがついた造りの扉を珍しげに見つめる。
「この金色の突起は一体……?」
不思議そうな市の前で、ラビアがドアノブを掴んで回して見せた。カチャリと開くドアに、市は大袈裟に「なんと!」と驚いた。その扉の開け方も驚きだが、さらにその奥に広がる部屋の風景に目を奪われる。
白を基調とした部屋は、中央に大きな天幕付きのベッドが置いてあった。白に金色を合わせたインテリアは、品が良く、シンプルに揃えられている。
「このように、初めは質素な部屋となってしまいますが、お許しを。すぐに王子様方の贈り物で一杯になるでしょう」
必要最低限に揃えた家具は、レイムホップからの指示だった。他に欲しいものがあれば、王子にプレゼントして貰えばいいのだ。昔から、王子は必死になって、異界からの姫君に愛を乞うのが習わしだ。好ましいと思う姫の部屋を、自分の贈り物で埋め尽くそうと躍起になるだろう。ましてや……。ラビアは、ベッドの感触にビクッと体を震わせる市に目を向けた。フカフカの手触りに驚いているのか、目を皿のように丸くさせている。その顔のなんと、愛らしいこと。あの姫ならば、王子達は必ずや贈り物合戦を開催することだろう。そこは、もちろん、自国の王子であるエイサフに頑張ってもらわねば。
「凄い……!今日から私はここで寝ることになるのだな!なんと、雲のようにふかふかな感触」
ポンポンと、ベッドを叩いて喜ぶ市。こればかりは、城で寝ていた敷布団を思うと、嬉しさが込み上げる。いくら、姫である身分のため、農民と比べたら良い布団を使っていたとはいえ、所詮は戦国時代の敷布団。平成を生きた久実や里奈よりも、市の布団は堅くて質素だと言える。想像も出来ない柔らかな感触と、ほのかに香る太陽の匂いに、市は今日寝るのが楽しみだと子供のようにはしゃいだ。
「イチ様。明日からは、王子様方との顔合わせがあります」
「え……顔合わせ?」
何だか面倒臭そうな話に、市の柳眉が八の字に垂れる。
「はい。イチ様のお部屋に、毎日交代で王子様が訪れます。どのようになされるかは、全て王子様に任せて下さいませ。談笑したり、庭を散策したり……デートプランは男性が考えるものですわ。ただし……イチ様は、嫌ならば嫌と断って下さいね。全ての王子様方に、答える必要はありません」
ラビアはそう言いながらも、エイサフ以外の王子など来なくても良いと考えている。特に、敵国である渼帝国の王子や、好色と有名なブロリンド王国の兄王子など最悪だ。弟王子の方も、なかなか自己顕示欲が強く、好き者らしいが……。まだ、同盟国であるガラシア王国の王子の方がマシである。ラビアは、頭の中で各国の王子を思い浮かべ、やはりエイサフが一番だと頷くのだった。
「面倒じゃのぅ。らび、その顔合わせとやらは、出なくてはダメか?」
「はい。こればかりは、イチ様に拒否権はございませぬ」
きっぱりと言い切ったラビアに、市はがっくりと肩を落とした。何が嬉しくて、どこの馬の骨とも知れぬ男共と会わなければならないのか。しかも、毎日だと言う。先程会ったエイサフなら、少しは気が楽だが、それでも初対面に近い。
「はぁ……」
漏れてしまう市のため息を、ラビアは心苦しく思いながらも、聞き流した。
ーーお許し下さい、イチ様。ラビアめは、エイサフ王子のために、あなた様の意に背き続けなければなりませぬ。
元の世へ帰りたいという市を、返すことは出来ないし、王子達との顔合わせもしなければならない。異界からの姫君は、召喚されてしまった時点で、各国のどこかの王子と結ばれなければならない運命なのだ。
ーーイチ様、あなた様はもはや、二度と故郷へは帰れぬのです。
だから、どうか。こちらの世界では幸せになってほしい。その相手がエイサフならば、喜ばしいが、ラビアは市に女としても幸せになって欲しいと思う。
ーーどうか……どうか。エイサフ王子を、好きになって下さいませ。美しき異界からの姫君よ。
フカフカのベッドに腰かけて、憂い顔で窓の外を眺める白い横顔を……ラビアは暫く見つめ続けた。
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