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第五章 渼帝国のお市
第六十六話
しおりを挟むラビアの死は、秘密裏に処理された。
彼女の部屋を捜索したところ、ベッドの下からエイサフの死体が発見されたという。棺桶のようなものに入れられた死体の左胸には、ポッカリと穴が空いており、血が注ぎ込まれていた。その血は、きっと市の血だろう。異界からの姫君の血を注げば、生き返ると信じたラビアの狂気が窺える。
晧月は、窓際で佇む市にそっと声を掛けた。
「君が……手を汚すことなんて、なかったのに」
市は、口元に笑みを乗せて答えた。
「私なりの、けじめです」
漆黒の瞳に宿る、強い意志。彼女のそんな芯の強さが、好きだった。お淑やかなだけで、面白みのない姫とは違う。凛とした美しさに、酷く惹かれた。
「でも、君が危険な事に首を突っ込むのは、これっきりにしてくれ」
銀色の眉が、八の字に下がる。ただでさえ童顔な晧月が、そんな表情をすれば、まるで迷子の子供のようで……市は思わず笑みを零した。
「……何で笑うの」
ムッとした顔で市を睨む晧月。その頬は、少し赤みが差している。
「申し訳ございませぬ……ただ、あなた様があまりに、可愛らしくて」
「可愛い?俺が?」
男に言う言葉じゃない。全く嬉しくない。晧月は、唇をへの字に曲げると、思い付いたように眉根を上げた。
市の細い顎を指ですくい上げ、その愛らしい顔を覗き込む。花弁のような唇が、薄らと開き、真っ白な歯がちらりと見えた。衝動に身を任せ、唇を奪ってしまおうと考えた時、晧月は市の瞳に潜む影に気付く。
そうだ、この子は強くても……人を殺す事に慣れていないのだ。親しかった者を殺めるという辛さを、初めて味わったのだ。そのことに気付けなかった自分の不甲斐なさに、唇を噛み締める。
芽を出しかけた、男の下心など、あっという間に萎んでいった。
晧月は、市の小さな背中にそっと手を回す。すると、市は晧月の胸元に顔を擦り付けた。彼女の頭が小さく震えているのを見つめ、晧月は小さく息を吐き出す。優しく背を撫でてやれば、か細い嗚咽が聞こえた。
ザァブリオは、ルンルンと鼻歌を歌っていた。上機嫌に両手を振り、何故か瞳からは涙が零れ落ちている。だが、その表情は心底幸せそうに緩んでいた。そんな異様な彼の存在に気付いた晧月は、回れ右をしようと身を翻す。
「ややっ!晧月じゃあないかぁ!」
でかい声で名前を呼ばれ、晧月は仕方なしに振り向いた。
「……やあ」
晧月の気のない挨拶に、ザァブリオはニッコリと笑う。そわそわと体を動かし、うきうきと晧月の所まで近付いた。そして、何かあったのか聞いて欲しいとばかりに、チラチラと晧月を見てくるものだから、参る。
「……で?何かあったの?」
仕方なしに聞いてみれば、ザァブリオはわざとらしく咳払いをした後に首を傾げた。
「どうしてそう思うんだ?」
彼の瞳は、しつこい程にキラキラと輝いていた。ザァブリオのわざとらしい態度を疎ましく思いながら、晧月はため息混じりに答える。
「見ていて反吐が出そうなくらい、幸せそうだから」
「そうだとも!オレは今最高に幸せなんだ!」
「あっそ」
相変わらず、耳の穴に粘土でも詰まっているらしいザァブリオは、馴れ馴れしく晧月の肩を抱いた。
「ちょ、離せ……」
「聞いてくれ晧月!ついにクーミンが、オレのプロポーズを受け入れてくれたのだ!!」
「へぇ」
あの久実も、ついに諦めたか。晧月はザァブリオの腕を押し退けながら、久実に同情した。毎日付き纏われていただけでも気の毒だったのに、まさか結婚を承諾するとは……。
チラとザァブリオの顔を見上げる。この男は、脳内お花畑の馬鹿だが、ここまで幸せそうな顔は初めて見た。久実と結婚出来ることが本当に嬉しいのだろう。
「良かったね」
素直にそう言えば、ザァブリオは嬉しそに破顔した。
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