妄想恋愛しちゃダメですか?

橘柚葉

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第十四話

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「ちょっと待っていてくださいね。今、お茶を入れます」
「いえ。私は澤田先生と奥様にお詫びしたら帰りますので」
 ソファーに強引に座らされたあと、尚先生が穏やかな笑みを浮かべてそんなことを言い出すものだから慌ててしまう。
 腰を上げようとすると、それを尚先生に阻止された。トンと私の両肩を押されて、再び座り心地が良いソファーに座ってしまった。
「いいから座っていてください」
「っ!」
 満面の笑みを浮かべて言われてしまったら、頷くしかない。
 だけど、二人だけのこの空間は居心地が悪い。とにかく心臓に良くない。
 先ほどからドキドキと鼓動がうるさくて、下手すると尚先生の声も聞こえないほどだ。
「珠美さん?」
「は、は、はい!?」
 早速尚先生の声を聞き漏らしていたらしい。慌てて返事をすると尚先生はクスクスと楽しげに笑っている。
「緑茶でいいですか?」
「あ、はい。でも……」
 すぐに帰ります、と言おうとしたのだが、尚先生の声にかき消されてしまう。
「美味しそうな大福をお土産にもらいましたから、一緒に食べましょう」
「いえ、それはお詫びの品ですから。私はすぐに帰りますし、皆さんで食べていただけたら」
 尚先生に懇願するのだが聞いてもくれない。ニコニコとほほ笑んでいるのみ。
 今日ここに来た理由を何度も尚先生に話したが、「ですから、謝るのはこちらなのですから。おもてなしさせてください」と笑顔で言われてしまう。
 お盆にお茶を乗せて、尚先生がリビングに戻ってきた。
「さぁ、どうぞ」
「……いただきます」
 尚先生にジッと見つめられたら、ドキドキしてしまう。
 目の前の先生に動揺しているのがバレないようにするのに必死だ。
 香りにつられて、私は湯飲みを口に付けた。
「あ、美味しい」
「そうでしょう。母方の実家でお茶を作っていましてね。毎年新茶を届けてくれるんです」
「いいですね」
 香りもいいし、口に含むとほんのりと甘い。とてもおいしいお茶だ。
 頬を綻ばせていると、突然私の隣に尚先生が座った。
 その距離はとても近くて慌ててしまう。
 持っていたお湯のみをテーブルに置き、私はなるべく尚先生と離れた。
 だが、一つのソファーに大人が二人。離れるといっても距離にしてみたらたかがしれている。
「どうして離れるんですか?」
「ち、ち、近くないですか?」
「近い? いいえ、そんなことないでしょう」
「いえいえ、近いですよ」
 仰け反るように離れようとする私に、尚先生はジリジリと近づいてくる。
 もう逃げる場所がない。追い詰められたときだった。
「キャッ!」
「近いというのは、こういう状態を言うのですよ」
 ギュッと抱きしめられ、そのままソファーに押し倒されていた。
 視界には天井と、間近には尚先生の整った顔。その瞬間、今までにないほど顔が熱くなった。
「珠美さん」
「は、はい!」
「キスしてもいいですか?」
「なっ!!!」
 もう声が出なかった。驚きすぎて、恥ずかしすぎて死ねる。
 アワアワと意味不明な声しか出ず、相変わらず残念仕様だ。
 しかし、今の私は所謂貞操の危機とうヤツなのだろう。
 こんな危機に陥ることなんて私の人生において一度たりともなかった。
 だが、ここは何が何でも尚先生を止めなくてはならないだろう。
 私は震える声で叫んだ。
「尚先生、な、な、何を言い出したんですか!?」
「私は正直者ですから。欲しいものは欲しい、したいことはしたい。はっきりきっぱり言いますよ」
 正直に言われたって困るものは、困る。
 首がもげるかと思うほど横に振る私に、尚先生は「あ!」と何かを思い出したように叫んだ。
 突然叫ばれたのでビックリして身体を震わせていると、尚先生はバツが悪そうに笑う。
「スミマセン。珠美さんにキスをする前にやっておかなければならないことがありました」
「キ・キ・キ・キスって!!!」
 今日、私は澤田家に何をしに来たのか。尚先生は理解しているのだろうか。
 総おどりの日の非礼をお詫びしにきたのだ。それなのに、どうして私は尚先生にキスされようとしているのだろう。
 お詫びをしにきたということを思い出した私は、尚先生に抗議をする。
「尚先生、私は澤田先生と奥様にお会いしたいです! 呼んでいただけないでしょうか。お詫びをしたら、さっさと帰りますので!」
 尚先生を押し返したが、びくともしない。これは本気で危ないかもしれない。
 いやいや、大声を出せば大丈夫だろう。なんせ、澤田先生も奥様もこの家の中にいるはずだ。
 私の助けを求める声が聞こえれば、さすがに気が付いて飛んできてくれるだろう。
 しかし、尚先生はそんなことは気にしないといった様子で私を抱きしめ続けながら、「大事なことですので、しばらく待っていてくださいね」と真剣な顔をする。
 ギュッとキツく私を抱きしめたあと、尚先生は私から離れ、ジャケットのポケットからスマホを取り出した。
「ちょっとだけ、お待ちくださいね」
「いえ、えっと……そのぉ」
 待っている間に逃げてしまおうか。そんな考えが頭を過ぎる。
 本当は澤田先生と奥様にお礼とお詫びをする予定だった。しかし、この状況は大変危うい。
 早く逃げて、と脳内の私がオロオロして叫んでいる。
 ソファーから腰を上げて逃げようとしたのだが、尚先生が電話をし出した。
 動きを止めた私を見て、尚先生は唇に人差し指を付ける。静かにしていて、と言う意味だろう。
「敵にしっかりと意思表明をしなくてはね」
「?」
 相変わらず尚先生の言動は不可解なものばかりだ。
 逃げるタイミングを失った私は、結局尚先生と同じソファーに座って静かにするしかなかった。
「ああ、翔か。今、大丈夫か?」
 どうやら尚先生の甥っ子である翔くんに電話をかけたようだ。
 しかし、どうして今、翔くんに電話をする必要があったのだろう。
 不思議に思って聞き耳を立てていると、尚先生は翔くんに向かってとんでもないことを言い出した。
「実は、翔も薄々気が付いていて警戒していると思うが。木佐珠美さん、口説くから」
「!」
 尚先生、自分の甥っ子に何を言い出したのか。
 とんでもない出来事ばかり起きてしまい、目眩がしそうだ。
 クラクラする頭を支えながら、私は尚先生を見つめた。
 私と視線が合うと、尚先生はこれでもかというほど甘くほほ笑む。イケメンがする甘い笑顔の効力は、凄まじいということを身をもって体験した。
「と、言うか。口説いている最中だから」
 以上、と言い、尚先生は電話を切ってしまう。
 呆気にとられている私に再び手を伸ばし、尚先生は私を抱きしめてきた。
「これで、抜け駆けしたなどと言われないでしょう?」
「っ!」
「と、いうことで、珠美さん。これから全力で貴女を口説きますから」
 覚悟してくださいね、と私の耳元で甘く囁く。その瞬間、ゾクゾクと身体中が痺れた。
 いまだに私を抱きしめ続ける尚先生に抵抗しながら、私は先生を諭した。
「あのですね、尚先生。自分の甥っ子に宣戦布告してどうするんですか? それに翔くんにしてみたら、なんのことだかわかっていないと思いますけど」
 突然叔父さんに訳が分からない宣戦布告をされた翔くんは、今スマホを片手に頭を悩ませていることだろう。
 翔くんと私では歳が離れすぎているし、なにより翔くんが私のことを恋愛の対象などには考えていないことだろう。
 翔くんはああみえて世話好きだ。私のことを『手間のかかる姉』ぐらいに思っていると思う。
 尚先生にそう言うと、眉間に皺を寄せてこめかみをグリグリと指で押している。
 何か悩ましいことでもあったのかと、尚先生を覗き込む。すると、尚先生は真摯な表情で私の顔を見つめていた。
「ど、どうしました? 尚先生」
 急に顔を硬直させた尚先生に問いかけると、大きくため息をつかれてしまった。
「……珠美さん」
「は、はい?」
「これは本気でリハビリが必要ですね」
「リハビリ、ですか?」
 つい最近同じようなことをフジコに言われたが、尚先生まで何を言い出したのだろう。
 小首を傾げる私に、尚先生は再び大きくため息をつく。
「翔は貴女のことが好きなんですよ」
「……は?」
「ですから、翔はかなり前から貴女のことが好きだったんです。珠美さんのこと、翔からも色々聞いていましたし」
 翔くんが私のことを尚先生に話すからといって、イコール好きだとは考えにくい。
「あのですね、尚先生。翔くんは手の掛かる私を見て見ぬ振りが出来ないだけなんですよ。翔くん、世話好きですから」
「……」
「それに私、見たことがありますよ。翔くんの彼女。だから尚先生の勘違いですよ」
 翔くんはよく一緒にいる女の子がいるのだ。たぶん同じ大学の子だろう。
 そんな子がいるのに、私なんて眼中になんてないはずだ。
 尚先生に力説したが、大きくため息をつかれてしまった。これで何回目だろう。
 困ったように、呆れたように。尚先生は苦渋の表情を浮かべたまま私の頭をゆっくりと撫でた。
「翔の詰めの甘さは自業自得だとしても……。珠美さんは、ゆっくりペースで恋愛のリハビリをしていきましょう」
「恋愛のリハビリ……ですか?」
「そうです。リアル恋愛を私と一緒にしていきましょう」
「え……?」
 リアル恋愛ってことは、私の脳内妄想恋愛機は必要がなくなるということでしょうか。
 これはマズイ展開になっていきそうだ。私が長年連れ添ってきた脳内妄想恋愛機を早急に稼働させた方がいい。
 そう誓った矢先だった。
「なっ……尚先生?」
「はい?」
「今、何を……」
「何をって、キスですよ。ごちそうさまでした」
 ごちそうさまって爽やかに言われて「はい、お粗末様でした」なんて言えるわけがない。
 唇を両手で隠し、真っ赤になって慌てる私に、尚先生は少女漫画真っ青なキラキラの笑みを浮かべた。
「とりあえずはキスの気持ちよさを貴女に教えるつもりですから」
「っ!!」
 目をこれでもかと見開くと、尚先生はクスッと艶っぽく笑う。
「もう一度、レッスンをしましょうか」
「な、尚先生!?」
 私の唇は再び柔らかい感覚を植え付けられたのだった。
 


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