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海亀姫と竜宮の魔女 2
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「深海の魔女、深海の魔女……」
竜宮を飛び出した遊亀は、真っ暗な海の底目がけて身体を動かす。捕食者につかまらないよう海藻に隠れながら。自分でも苛立つほどにゆったりとした速度で。
底へ潜れば潜るほど、視界は塗りつぶされていく。竜宮では見たことのない透き通った体躯を持つ魚の群れや巨大なイカ、うねるように蠢く海蛇……同じ海のなかとはいえ、浅瀬に隠れるように存在する龍宮と比べてここはなんとおどろおどろしい場所なのだろう。こんなところに、本当に魔女が棲んでいるのだろうか? 遊亀はその考えを即座に否定し、泳ぎつづける。乙姫さまが教えてくれたことだ、なんでも願いを叶えてくれる魔女が、この深い海の底にいるはず……
何も食べず、どのくらい泳いだだろう。遊亀は食べられそうな海藻も生えていない領域をひたすら彷徨いつづける。どこまでもつづく暗い闇。それは自分が生まれた月のない夜にそっくりで……
「誰かな? そこにいるのは」
声をかけられてハッとする。ここは自分が生まれた砂の上ではない、海の底だ。そして自分の前に立つのは人間ではなく……
「深海の、魔女……?」
乙姫と同じ、人間の姿をした、異質な存在が遊亀の前で笑っている。
ただ、乙姫が好んで着ている桃色や橙色の装束と異なり、深海の魔女らしき人物は頭から足首にかけて真っ黒な長い衣を纏っているだけだ。
「魔女、か。ボクのことをそう呼ぶってことは乙姫の差し金だね」
そう言って、魔女は頭に被せていた布を外して遊亀を見つめる。乙姫のように長い髪を天高く結いあげているのかと思えば、魔女の髪は短く、肩にも届いていない。
――魔女って、男のひと?
ぽかんとした遊亀を一瞥し、魔女はつまらなそうに呟く。
「なんだ、ウミガメの子か」
「あたしはもう七つよ! 求婚だってされるお年頃よ」
まるで頬を膨らませるように首を伸ばして反論する遊亀に、魔女は言い返す。
「けれど、それがイヤだからここに来た。そうだろう?」
「……知って、るの?」
言い当てられて言葉を濁す遊亀に、魔女は応える。
「ボクを訪ねてくるのはたいていそういうワケありだからね。海で生きるキミたちが陸に出たいとか人間になりたいとかあれこれ無理難題ふっかけてくるから、こっちも無理難題を言い返して追っ払ってるわけだけど……そういうウミガメの子は何がお望み? 内容によっては叶えてあげなくもないよ」
「ウミガメの子、ウミガメの子ってうるさいわね! あたしには遊亀っていう乙姫さまがつけてくださった名前があるのよ!」
「遊亀」
名を呼ばれただけで、身体に震えが走る。なぜだろう、乙姫に呼ばれた時とは違って、自分が自分ではないような気になってしまう。
そんな遊亀の反応を面白がるように魔女は告げる。
「ふーん。名前があるなんてすばらしいじゃないか。乙姫も酔狂なことをするね、たかがウミガメの子に名を与えて使役するなんて」
そう、遊亀は乙姫に名を与えられたから、他の生物と違ってさまざまな言葉を理解することができる。生まれたときに人間が口にしていた言葉も、乙姫が教えてくれたから、遊亀は何度でも思い出せるのだ。
「あんたさっきから失礼よ! 乙姫さまが深海の魔女ならきっと願いを叶えてくれるって言ってたからあたしは龍宮を抜け出してここまでやってきたのに……」
「そんな泣きそうにならないで。わかったよ、きいてあげるから……人間になりたいんだろう?」
人間になって、恩返しをしたいんだろう?
魔女はわかりきっていたかのように言葉を紡ぎ、遊亀の甲羅に手をかざす。
その優しい声音に、遊亀はゾクリとする。
「だけど、そのかわり……」
竜宮を飛び出した遊亀は、真っ暗な海の底目がけて身体を動かす。捕食者につかまらないよう海藻に隠れながら。自分でも苛立つほどにゆったりとした速度で。
底へ潜れば潜るほど、視界は塗りつぶされていく。竜宮では見たことのない透き通った体躯を持つ魚の群れや巨大なイカ、うねるように蠢く海蛇……同じ海のなかとはいえ、浅瀬に隠れるように存在する龍宮と比べてここはなんとおどろおどろしい場所なのだろう。こんなところに、本当に魔女が棲んでいるのだろうか? 遊亀はその考えを即座に否定し、泳ぎつづける。乙姫さまが教えてくれたことだ、なんでも願いを叶えてくれる魔女が、この深い海の底にいるはず……
何も食べず、どのくらい泳いだだろう。遊亀は食べられそうな海藻も生えていない領域をひたすら彷徨いつづける。どこまでもつづく暗い闇。それは自分が生まれた月のない夜にそっくりで……
「誰かな? そこにいるのは」
声をかけられてハッとする。ここは自分が生まれた砂の上ではない、海の底だ。そして自分の前に立つのは人間ではなく……
「深海の、魔女……?」
乙姫と同じ、人間の姿をした、異質な存在が遊亀の前で笑っている。
ただ、乙姫が好んで着ている桃色や橙色の装束と異なり、深海の魔女らしき人物は頭から足首にかけて真っ黒な長い衣を纏っているだけだ。
「魔女、か。ボクのことをそう呼ぶってことは乙姫の差し金だね」
そう言って、魔女は頭に被せていた布を外して遊亀を見つめる。乙姫のように長い髪を天高く結いあげているのかと思えば、魔女の髪は短く、肩にも届いていない。
――魔女って、男のひと?
ぽかんとした遊亀を一瞥し、魔女はつまらなそうに呟く。
「なんだ、ウミガメの子か」
「あたしはもう七つよ! 求婚だってされるお年頃よ」
まるで頬を膨らませるように首を伸ばして反論する遊亀に、魔女は言い返す。
「けれど、それがイヤだからここに来た。そうだろう?」
「……知って、るの?」
言い当てられて言葉を濁す遊亀に、魔女は応える。
「ボクを訪ねてくるのはたいていそういうワケありだからね。海で生きるキミたちが陸に出たいとか人間になりたいとかあれこれ無理難題ふっかけてくるから、こっちも無理難題を言い返して追っ払ってるわけだけど……そういうウミガメの子は何がお望み? 内容によっては叶えてあげなくもないよ」
「ウミガメの子、ウミガメの子ってうるさいわね! あたしには遊亀っていう乙姫さまがつけてくださった名前があるのよ!」
「遊亀」
名を呼ばれただけで、身体に震えが走る。なぜだろう、乙姫に呼ばれた時とは違って、自分が自分ではないような気になってしまう。
そんな遊亀の反応を面白がるように魔女は告げる。
「ふーん。名前があるなんてすばらしいじゃないか。乙姫も酔狂なことをするね、たかがウミガメの子に名を与えて使役するなんて」
そう、遊亀は乙姫に名を与えられたから、他の生物と違ってさまざまな言葉を理解することができる。生まれたときに人間が口にしていた言葉も、乙姫が教えてくれたから、遊亀は何度でも思い出せるのだ。
「あんたさっきから失礼よ! 乙姫さまが深海の魔女ならきっと願いを叶えてくれるって言ってたからあたしは龍宮を抜け出してここまでやってきたのに……」
「そんな泣きそうにならないで。わかったよ、きいてあげるから……人間になりたいんだろう?」
人間になって、恩返しをしたいんだろう?
魔女はわかりきっていたかのように言葉を紡ぎ、遊亀の甲羅に手をかざす。
その優しい声音に、遊亀はゾクリとする。
「だけど、そのかわり……」
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