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彼氏彼女のはじまりは。

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 鮮やかな極彩色が脳裡を染め上げていく。一瞬でモノクロの世界からカラフルな世界へ高速移動したような感覚。それは仁嗣の絵を見た奈桐が、最初に抱いた感想だ。
 無心になって眺めた。それ以外考えられなくなった。どこまでも続く原色の回廊を、奈桐は空想の中で歩く。ちいさな足で歩く。
 母親に付き合わされてやってきたアトリエの展示会。自分で作品を買えるほどお金を持っているわけでもないし、母親の趣味と自分の趣味が合っているとも思えない。だけど。
 ……この絵、欲しい。
 そう思った。だから。

「この絵が、どうかした?」

 背後で声をかけられたとき、素直に応えられたんだろう。奈桐は振り向いて、頷いた。

「すきです」

 まるで告白をするかのように、一気に口にした。だから、返されるとは思ってもいなかった。
 そんな奈桐を見て、仁嗣も応える。自分自身の描いた作品に対する自信を、確かめるように。

「俺も」
 顔をあげる。眼鏡をかけた、細面の男の人が立っている。奈桐の驚いた顔を見て、仁嗣は呟く。

「すきだ」


   * * *


 個展で知り合った奈桐に名刺を渡し、また会いたいと告げたのは仁嗣の方だった。
 身長が低いことをコンプレックスにしていた奈桐はどうして自分に会いたいなんて言ったんだと不思議そうにしていたが、自分が描く作品のなかの少女ーーアリスが目の前に現れたからだよと応えたら更に宇宙人を見るような顔をされてしまった。
 それでも奈桐は仁嗣の絵が気に入ったから、いつか自分が彼方の絵のモデルになるねと笑ってくれた。
 そのときは夏で、奈桐は素足にサンダルを履いていた。平べったいビーチサンダルをペタペタ音立てて、爽やかに笑う彼女に、仁嗣はいつしか夢中になっていた。

「そのちいさな足に踏まれたい」
「指の爪にペデュキアを塗りたい」
「なんて可愛い足なんだ」

 奈桐と一緒にいる時間が増えるにつれて、彼女の前で足について語ることも多くなった。相変わらず宇宙人を見るような瞳で軽くあしらわれてしまうが、それでも彼女は笑って傍にいてくれる。
 自分たちの関係が恋人同士と呼べるのかは微妙なところだったが、彼女がいると仁嗣は自分の作品世界に没頭できるし、奈桐も仁嗣が絵を描く姿がすきだと改めて告白してきたから、そのまま男女のお付き合いがはじまった。
 とはいえ十五歳の女子中学生ともうすぐ二十歳になる大学生男子という組み合わせは兄妹のように見られることが多いし、路上でイチャイチャなどしたら通報されかねない。処女膜処女膜騒ぐ奈桐には悪いが仁嗣はまだ犯罪者になりたくないのだ。足には猛烈にふれたいが。

 そんなこんなで結局、手を繋いだり隠れたところで唇にふれるだけのキスをしたり、という健全なお付き合いに落ち着いており、仁嗣はそれなりに満足していたのである。
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