極上御曹司は仮面の怪盗令嬢の素顔を暴きたい

ささゆき細雪

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chapter,4

01. 物理的に近づく距離




 更紗はゆっくりと企画室の空調の音に耳をすませた。何でもないはずのこの空間が、今は絶え間なく胸の奥をざわつかせている――九条黎の手が触れたあの瞬間から、ずっと。

 ――どうして呼吸が乱れたの。どうして彼の指の熱が、いつまでも消えないの。

 このままではいけない――距離を取らなくては。そう思うたびになぜか足がすくむ。ここで逃げてしまったら、彼は自分を完全に“黒”だと思うだろう。そして追いかけてくる。恋愛感情そっちのけで。

『九条さんのこと、もっと知りたい』

 更紗は昨夜の自分の言動を省みて、はぁとため息をつく。軽率だった。
 九条の指先が、肩越しにそっと触れたあの瞬間――音もなく距離を詰められたことが信じられなかった。けれどもその実感は、今になって脈を打つように更紗を苛んでいる。

 ――KUJOはあくまで森鍵を顧客にしてセキュリティの業務に携わっているだけ。展示展が無事に終われば九条さんとの接点もなくなるのだから、深入りしちゃダメ。

 自分自身に言い聞かせながら、更紗は自分の頬を軽くつまむ。何度も何度も深呼吸をしても、乱れた鼓動は落ち着かない。
 おまけに今朝のオフィスはいつもよりも静かに感じられて、余計に更紗を焦らせる。
 九条に意識を向けている場合じゃない――怪盗キャリコを名乗る何者かによる予告状について、対策を練らなくてはいけないのに。

 机の上には、森鍵新蔵が関ったであろう美術品売買の資料がいくつかと、森金連城が遺した“連城鉱石”関連の資料、昨夜藤堂から受けた連絡のメモまで無造作に積まれている。展示会が近づいているため、美術館で仕事をすることが増えた更紗はトートバッグにそれらの資料を詰め込んで常に持ち歩いているのであった。
 そこに小さく書かれたある人物の名前に、視線が吸い寄せられる。
 それは三年前の、忘れられない失敗の影。
 藤堂と久々に顔を合わせたせいで、蓋をしたはずの記憶がまた形を取り戻していた。

 ――怪盗キャリコは人殺しなどしていないわ。

 そう思っても、九条の姿が脳裏にちらつく。彼は三年前の事件を知らない。藤堂が伝えた可能性もあるが……昨夜、帰り際に軽く視線を交わした際には何もおかしな点はなかったと思いたい――だとすると、あれはどういう意味だったのだろう。

『わざと近づいているのですよ。あなたのことが気になるから』

 ただの気遣いにしては含みがあった。それとも何かもっと別のものなのか。ぐるぐる考え始めてハッとして自分で慌てて頭を振る。
 そこへ、軽いノック音が響く。

「霧島さん、少しよろしいですか」

 九条の声だ。
 胸が跳ねたのを、どうにか顔に出さないように背筋を伸ばして更紗は声をあげる。

「ど、どうぞ!」

 声が揺れたのに気づき、更紗は唇を結ぶ。
 逃げたい気持ちと、顔を合わせたくないわけじゃない感情がせめぎ合う。昨夜の余韻を抱えたまま、彼と普通に話せる自信はない。
 それでもこの場から逃げる選択をするほうが、彼に怪しまれる。逡巡したのは一瞬だった。
 更紗の躊躇いをよそに展示室の扉が開き、足音を立てずに九条が入ってくる。
 スマートな動きを見せる彼の気配が部屋に満ちるだけで、さっきまで必死に整えていた呼吸が、また乱れた。


   * * *


 扉を閉めた九条は更紗のふだんと変わらない様子を見て苦笑する。
 浮かれているのは自分だけだったのだろうか。それとも緊張しているのだろうか、よくよく見てみると心拍数が上昇しているように思える。まるで九条を警戒しているかのような彼女の態度だが、意識してしまったからか、そのしぐさすら可愛らしく思えてしまう。もはやただの仕事仲間でも監視対象でもなく、九条はミステリアスな更紗に夢中になっていた。
 もっと近づきたい。垣間見える下心を制しながら九条は義務的に口をひらく。

「藤堂から受け取った資料、霧島さんも読みました?」
「あ。はい」

 そこには先日この美術館に投函された怪盗キャリコからの予告状についての調査報告も含まれていた。そもそも怪盗キャリコはいままで予告状を出さずに人目のない場所で素早く犯行に及んでいる。今回に限って美術館のバックヤードへ事前に投げ込まれた点で、警察はこのキャリコが別人である可能性を示唆していた。
 鑑識による予告状の筆跡鑑定から、霧島更紗のものではないことはすでに判明しているのだが、なぜか彼女はひどく怯えているように見える。

「怪盗キャリコ……明治後期に活躍した日本画家で鉱石研究家でもあった森金連城が持っていた”連城鉱石”ばかりを狙う美術品専門の怪盗だ。森鍵で学芸員として働いている霧島さんなら、そのことは知っているよね」
「ええ。わたしの大伯父である森鍵錠太郎が戦後に散らばった”連城鉱石”の多くを蒐集したことは有名なはなしですから」

 森鍵の創業者が彼女の大伯父だということは調査済みだったが、実際に本人の口から語られると真実味が増す。九条は更紗の怯えの正体を見極めようと立ち入った質問をする。

「このあいだ”呪われた鉱石”について言ってましたよね。霧島さんはどこまで知っているんですか?」

 その瞬間、更紗の瞳に影が差した気がした。

「どこまで、って……そっちこそ、どこまで知ってるんですか」

 そして、能面のように表情を殺して凍りついた視線で九条を睨み返す。鋭い刃物のような切り返しに、九条は歓喜する。初めて怪盗キャリコと対峙した夜を彷彿させる彼女の怒りは、静かでありながら凛としていて美しかった。
 九条は彼女を挑発するように言葉を続ける。

「――そういえば、知りたいって言ってましたよね」

 ふと思い出したように更紗に近づいて、狙った獲物は逃さないとでも言いたそうに彼は彼女の顎に手をかけた。驚きで目をまるくする更紗を見て、九条は勝ち誇った笑みを浮かべる。完全に魔が差したと後になって思うが、それでも手に入れたいと心の奥底から渇望する自分が囁いていた。

「! 九条さ」
「俺が知っていること、教えてもいいよ? ただ――秘密には代償が必要だ。その覚悟はある?」
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