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chapter,6
03. 白の展示
森鍵第一美術館のエントランスは、開館前とは思えないほど人の気配に満ちていた。
とはいえ、それは一般公開前の高揚とは異なっている。招待客だけが集められたプレオープンは、どこか式典のような、祝祭に近い空気を纏っていた。低く抑えられた話し声に、慎重に交わされる名刺。来賓を迎える控室ではシャンパンのグラスがふれ合う澄んだ音が響いており、すべてにおいて不足がない。
九条はその整えられた空間の警備責任者として展示室全体を見渡していた。
現時点で異常はない。来場者の導線、警備員の配置、非常口の施錠状況――どれを取っても問題はなかった。
――問題はない、が。
それでも、視線が吸い寄せられる一角があった。
展示室中央、黒い台座の上に据えられたガラスケース。
更紗が関わっていない森鍵本社の私設倉庫から運び出され、そこに収められているのが、今回の特別展示の目玉――”虹の輝き”と呼ばれる連城鉱石、通称”白”である。
黒い布で隠された鉱石をその目で見た者は関係者のなかでもごくわずかで、謎めいた雰囲気を醸し出していた。世に出してはいけないと、森鍵錠太郎が鍵小野宮の遺志を継いで隠していた連城鉱石を、息子の新蔵が無視して展示に出したのは、金儲けのためだと言われているが、本当のところはどうなのだろう。
「本日はご来場いただき誠にありがとうございます……」
九条の視線の向こうには、森鍵新蔵の息がかかっているであろう館長が招待客へ簡潔な挨拶を行っている。人畜無害そうな顔をしているが、怪盗キャリコによる被害を新蔵同様に黙認していることから一筋縄ではいかない人間だと思われた。
森鍵新蔵の姿を探す。ガラスケースの後ろに立っている。彼の手には黒い布――……
「お待たせしました、森鍵秘蔵の連城鉱石、“虹の輝き”です!」
照明が落とされ、その場が静まり返る。
司会進行役の合図とともに、ケースを覆っていた布が新蔵によって静かに引かれた。観衆のざわめきが波のように拡がっていく。
――これが“虹の輝き”? 想像していたものより地味、だな。
そこに現れたのは、派手さとは無縁の鉱石だった。
乳白色で半透明。内側に淡く光を溜め込んでいるようにも見えるが、角度を変えればただの石のようでもある。見る者の視線を強引に奪うほどの主張はない。
九条自身を苛んだ“雌黄”とは違う。
――これが“虹”の留め石? 安全じゃないか。
展示説明文からも、危険性を感じられない。
毒性はほとんど認められず、人体への直接的な影響も確認されていないらしい。過去には岩絵の具として用いられた記録もあり、連城鉱石の中では比較的扱いやすい部類に分類されている。ちなみに世に出回らなかった理由は岩絵の具として加工するのに手間がかかったからだという。
過去に使用されたことで身体を蝕まれるようなことはなく、現代の技術を使えば再現も可能だと説明された。
周囲からもほっと息をつく気配が伝わってくる。
危険なものではない。少なくとも、そう信じる材料は揃っていた――が。
「更紗?」
九条は、視界の端で更紗の動きがわずかに変わったのを見逃さなかった。
彼女は展示室の外縁に立ち、来場者の流れを見守っていたはずだった。だが、白が公開された瞬間、ほんの一拍だけ動きを止めたのだ……。
* * *
呼吸が、浅くなる。
更紗自身に自覚はなかった。それでもあの“白”を見た瞬間、胸の奥に空気がうまく入らない感覚が走った。
咳き込むこともないし、眩暈もないが、床がわずかに沈んだような錯覚が彼女を襲う。
ぐらり、足裏の感覚が揺らいだ。
――なにこの石。近い。
数メートル離れているにもかかわらず、更紗は威圧感を受けていた。距離を無視して存在を主張してくる“虹の輝き”の魔力に、周囲の人間は気づいていない。
――怖いのに、目が離せない。
更紗は無意識に一歩、前に出かけて、はっと我に却る。
自分の手が、微かに震えていることに気づいて慌てて指を組む。
「……大丈夫か?」
更紗の異変に気づいたのか、すぐそばまで九条が来ていた。低く声をかけられた更紗は、一瞬だけ言葉に詰まったものの、首を横に振る。
「ちょっと、空気が……」
自分でも理由がはっきりしない言い訳だった。
九条はそれ以上追及しなかったが、視線は白から離さない。
とりわけ異常はない。
警報も鳴らないし、展示ケースにも変化はない。予告状の主は現れない。
それなのに――更紗だけが、この展示に含まれているように見えた九条は、息を吞む。
「まさか、選ばれたのか――作用対象に」
* * *
かつて地下書庫で読んだ調査書の一節がよみがえる。
――〈虹〉は無差別に作用しているのではない。
――作用対象を選別している。
ぞくりと、背筋に冷たいものが走る。
更紗は白を「見て」いるのではない。
白に「見られている」のだ。
展示室の外、石造りの回廊で、森鍵剣人は静かにその様子を見ていた。
表情は変わらない。ただ、桜がわずかに息を詰めたのを、彼は聞き逃さなかった。
「……更紗ちゃんに反応してる」
囁くような桜の言葉に、剣人は短く応じる。
「目視しただけで、よくわかるな」
「あれは過去のあたしだから」
剣人の視線は、更紗の背中に向けられていた。
彼女は平静を装っている。だが、身体だけが嘘をつけていない。
――やはりこれはただの留め石じゃない。“虹”よりも厄介なものだ。
剣人は確信する。祖父は“虹”である八鉱石を封じるための最後の石だと言っていたが――怪盗キャリコが最後に回収すべき“虹”ではない。
これは、呼ぶ石だ――剣人は静かに覚悟を決める。
「“白”についての調査書は、東金家か?」
「森鍵へ渡しているのは朝重が遺したものだけよ。最新のものが必要なら――KUJO本社に問い合わせて」
「……親父はこのことを知っていて、展示を強行したのか?」
「それはわからないわ。ただ……」
ぽつりと、桜が呟く。
「“虹の輝き”を彼女ひとりに盗ませることは無理よ。あたしたちが共犯にならないと」
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