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chapter,7
01. まだ見ぬ静寂の果て
目を覚ました瞬間、更紗は自分がどこにいるのか、すぐには判断できなかった。
天井は白い。病室でも、自室でもある色だ。それなのに、その白さがどこか展示室の照明と重なって見える。
美術展のプレオープンで”虹の記憶”を目にして体調を崩したのは覚えている。その後、医務室に連れていかれて半ば強制的に家へ帰されたことも。
――黎さんは、あのあとどうしたのだろう。
今日から一般公開が始まる。美術館のスタッフは体調が戻らないなら休んでも構わないと言っていたが、休んでいても落ち着く気配はない。
むしろ、”白”が他のひとの目に留まるとどうなるのかが気になる。九条にも伝えないといけない。あの鉱石は”虹”とは何かが違う、と。
「だいじょうぶ」
布団から出て息を吸う。
浅くも深くもない。問題はない。
昨晩医務室で測った数値も、すべて正常だったはずだ。
――正常?
その言葉を思い浮かべた瞬間、わずかな違和感が走る。
正常だと判断できるのは、誰の基準だろう。
いつものようにコーヒーを淹れながら考える。白はそこにいないのに視界の奥で眠っているようだ。残っているのは昨日からの“距離”だけ。
近づいた記憶とは異なるそれを奇妙だとは思えなかった。だって戻れる位置を、身体が覚えているのだから。
「そうよ。怪盗キャリコが、“虹”を回収するのだから、好都合だわ」
コーヒーを飲んで立ち上がる。床に素足がふれるひんやりとした感覚が気持ちよい。
その一方で――踏み外す感覚が失われていることに、更紗はぎくりとする。
放っておいたら転ぶ。それなのに危険だと思えない。
どこかアンバランスな思考と身体の反応に違和感を感じながらも更紗は美術館へ向かった。
「おはようございます、昨日はご心配おかけしました」
美術館へ入ったときにはすでに九条が来ていた。心配そうな表情をする彼の前で、更紗はすっと背筋を伸ばす。
「更紗……身体は大丈夫なのか? 休んでも良かったのに」
「わたしは大丈夫です」
息苦しさも、一時的に身体を苛んだ変調もない。更紗がそう伝えると、彼は「そうか」とぽつりと呟く。どこか納得はしていなそうな九条を見て、更紗は焦りを覚えた。彼は森鍵新蔵からの依頼で”虹の輝き”を守る立場にいる。彼を出し抜かない限り、更紗は白に近づけない。
――そうか、わたしは白に近づきたいんだ。
あの鉱石にもなんらかの作用があるのは間違いない。そして更紗は確実に白の影響を受けたと思われる。ただ、なぜ自分がそうまでして確かめたいと意固地になっているのかは理解できなかった。
* * *
何事もなかったかのように美術館へ現れた更紗を見て、九条は何とも言えない表情を浮かべる。昨日の彼女の反応は一時的なものだったのだろうか。だが、KUJO本社で見た調査書の内容があたまの中から離れない。
夜遅かったため、すべてを読むことは叶わなかったが、同じ場所には『連城鉱石〈白〉曝露例における生体反応の臨床的検討』という似たような書類が積まれていた。書類は持ち出せないため、今夜、更紗を送ってから再訪するつもりである。
「あ、いたいた九条さん! すみません第二ブースの確認をお願いします」
更紗の体調を心配している九条のもとへスタッフの声がかかる。更紗は今日一日学芸員として美術館内で来館者の相手をするらしく、すでにメイン会場から姿を消していた。一日中目を光らせたい気持ちはあれど、彼女の仕事に支障を来すわけにもいかない。幸い”白”が展示されているブースは別の学芸員が担当している。そう簡単に彼女が”白”に接する機会もないだろうとひとまず納得して、彼は第二ブースへ向かう。
第二ブースには森金連城が愛した金魚の絵をモチーフにした弟子たちの絵画が並んでいる。資料で確認済だが、一番弟子の猫沢釣魚が更紗の父方の祖父になる。また、同時期に活動した西金砂椰子が東金朝重の妻で桜の祖母にあたる人物らしい。日本画史に疎い九条は当初ぼんやり読んでいたが、更紗や桜が関係していることに気づいてからは熱心に読み返すようになっていた。
素赤、出目金、更紗、桜琉金、そしてキャリコ……森鍵錠太郎は森金連城が愛した金魚の絵だけでなく、弟子が描いた金魚の絵も蒐集し、世界へ発信した立役者だ。
だが、それらの絵を見世物に複製を売りつけ、あわよくば本物も高額で取引させようとしている彼――森鍵新蔵は、何を考えているのだろう。
「すまないね、九条くん」
「――いえ、任務ですから」
九条を呼び出した相手は朗らかな顔をしていた。黒いスーツを着込んだ壮齢の男。KUJOへ美術館内のセキュリティを一任している株式会社森鍵の現社長である。オープン初日に顔を出すのは別段おかしなことではないが、警備の責任者である自分をわざわざ呼び出すということは、何か気がかりでもあるのだろうか。
――それとも、俺が警察と手を組んでいることに気づいたか?
だとしたら厄介だ。彼は”虹の輝き”を含んだ今夏の展示会が無事に終わることを願っている。一方で森鍵剣人は“白”の展示に最後まで反対していた。偽キャリコ騒動を起こしたのも十中八九彼だろう。だが、森鍵新蔵自身は彼を責めるでもなくそのままにしている。警察と関わることを極力避けている彼らしい対応とも言えるが、九条に声がけをしたのはどのような意図があるのだろう。
「此度の展示の目玉となっている“レインヴェール”だが、展示会終了後にオークションを行うつもりだ。琉金などに奪わせるなよ」
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