極上御曹司は仮面の怪盗令嬢の素顔を暴きたい

ささゆき細雪

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chapter,7

03. 仮面越しのキス




 その日も異常はなかった。展示室のセンサーはすべて正常値を示している。警備ルートの変更もなく、警察からの不審情報も入っていない。
 怪盗キャリコが現れるとすれば、もっと騒がしい前兆があるはずだ。
 九条はモニターから目を離し、腕時計を見る。
 金曜の夜――週末怪盗は果たして現れるのだろうか。

「……来るなら、正面からじゃないな」

 今夜は白がある。
 独り言のように呟き、彼は警備責任者席を立った。
 館内を一巡する予定だったが、足は自然と“レインヴェール”の展示室へ向かっている。
 歩きながら考えるのは更紗のこと。昨日も今日も、見送るときに更紗を「ひとりにしないから」と言ったものの、約束というほど強い言葉ではなかった。

 ――連絡は、来ていない。未読も、着信も。

 それがおかしいとは、まだ言えなかった。彼女は「大丈夫です」と言って笑っていたのだから。
 展示室前で立ち止まった九条は、警備員へ挨拶する。通常配置。閉館して三時間、すでに来館者の姿もない。
 ガラスケースも無傷――だったが、九条は強い違和感を覚える。

「――?」

 床に、何かが落ちている。
 展示室の照明に反射して、白く光った。紙片だ。名刺のような白いカードだった。
 九条が拾い上げ、印刷された文字を読む。警告文でも、挑発状でもない短い一文に、喉がひくりと鳴る。

 ――回収は完了しました。

「……キャリコ?」

 その名を呼んだ瞬間、背後で風を切る音がした。振り向いたときには姿がない。
 天井の換気口が、わずかに揺れている。警報は鳴らなず、センサーも反応しない。
 侵入として記録されることのない、完璧な侵入。
 九条は無線に手を伸ばしかけたが、その前に白のケースを確認した。展示品は――そこにある。乳白色のオパールが光を受けて、無害に輝いている。

「……そういうことか」

 これは“白”ではない。怪盗キャリコは盗んでいない、あのときのようにすり替えたのだ。
 そこで九条は、時計を見る。

 ――更紗は、今どこにいる?

 午後九時。業務を終えた彼女は家に帰っているはずだ。本来なら。
 連絡を取ろうとして、手が止まる。彼女をひとりにしないと言ったが、それは、隣にいることではなかった。
 守るつもりで、距離を与え、信じるつもりで、目を離した結果が、これだというのか。

「……捕まえるべき相手は石じゃない」

 九条は、カードを握りしめる。向かうは階段――屋上だ。
 換気口から抜け出すとなると、構造上屋上を通るのは必須である。怪盗キャリコが空を飛ばない限り遭遇できるはずだ。
 そう考えた九条だったが、屋上は思ったよりも静かだった。非常灯が一定の間隔で並び、夜風が低く流れている。逃走経路としては悪くない。
 だが九条は、そこに“逃げ”の気配を感じなかった。

「止まれ!」

 自分の声が、少し遅れて届く。
 黒い影は、命令に従ったわけではない。
 ただ、そこで立ち止まっている。フェンス際に立っている女怪盗は背を向けたままだ。
 逃走用ロープを手にしているにも関わらず、それを使って逃げようとしていない。

「逃げないのか?」

 距離は五メートル。踏み込めば届く距離だ。
 だが九条は、すぐに動けなかった。

「今夜は、回収だけだから」

 声が返ってくる。軽く、乾いた声が。
 キャリコは振り向かない。
 仮面越しの視線は見えないはずなのに、九条には“見られている”感覚があった。
 月明かりが、彼女の肩口を照らす。その立ち姿に――九条は思わず見とれてしまう。

「……キャリコ」
「九条さん」

 名前を呼ばれた瞬間、確信が走る。彼女は声色を変えていなかった。演じているわけでもなかった。
 ただ九条の名前を黎ではなく、他人行儀に口にした。

「更紗……なのか」

 返事はなかった。その沈黙が、答えのように思える。
 九条は一歩、距離を詰めた。

「だとしたら、どうする?」

 九条が動いたのは、その直後だ。ぐいっと彼女の手首を掴んで、己の懐へ抱き寄せる。
 強くはないが、離さない意志を持った、強い力で彼女を引っ張る。抵抗はない。むしろ軽すぎる。

「……捕まえる」

 そう言った九条の声のほうが、震えていた。
 キャリコは、小声で囁く。

「捕まえたところで、すべては解決しません」

 その言葉の意味を考える前に九条は仮面に手をかけていた。
 月光の下、仮面越しに視線が交わる。

「それでも――君を捕まえる」

 九条は掴んだ手を離さなかった。仮面越しにキスをする。彼女を捕まえて離さないために、濃厚な口づけをして、身を封じる。
 キャリコ――更紗は、逃げなかった。ただ、九条にされるがまま、身体をあずけて、甘く啼く……。
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