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Ⅲ 隠蔽されし神話に生きる斎たち * 1 *
しおりを挟む昔、この地にまだ名前がなかった頃のこと。
雪と氷に覆われた大地に緑を芽吹かせ太陽を導いた男がいた。男に名はなかった。男は少年のようでもあり青年のようでもあり老人のようでもあった。
あるとき彼はこの地に人間を呼び寄せ、ちいさいながらも活気ある集落を生み出した。集落は村と呼ばれ、やがてその村はアイヌの民族からも一目置かれるようになった。
ひとは彼を土地神と呼び、崇めるようになった。ひとり不思議なちからで荒地を開拓し、繁栄への道標を示した彼は、神と呼ばれるようになってから老いることをやめてしまった。それでも彼はこの地に生きる人間を見守るため、天候を左右したり奇跡を起こしたりする合間にひとと同じように姿を現し、喜怒哀楽を見せたり、村人の生と死に向きあったりしたという。
あるとき、彼は恋をした。
なんのちからもない人間の少女だった。月のように美しい少女だったことから、彼は少女に唯一の月という名を授けた。
少女は神嫁として村人によって土地神のもとへ迎えられることになった。だが、少女には想いを寄せているひとがいた――……
+ + + + +
由為は、警戒心を露わにしている優夜の隣で、景臣が話す夢物語のような神話に耳を傾ける。
「それから、どうなったの?」
「少女は神の元へ送られた」
諦めたような景臣の声と、それに反論したそうな優夜のしかめっ面。
神様。
それはどういう存在なのか。神社で拝んだりクリスマスを祝ったりすることしかしていない由為にとって、神という言葉はどこか曖昧で、釈然としない。
「でもそれは、別の少女だったんだ」
あっさり言い捨てて、景臣は続ける。
+ + + + +
唯一の月と名付けられた人間の少女は、神に見初められたにも関わらず、彼の元へ嫁ぐことを拒んだ。そのときにはすでに将来を誓い合っているひとがいたから。
だが、神は少女を求めている。刃向えばこの村に災厄を落とすことくらい容易いことだろう。どうすれば神は見逃してくれるか。
なんのちからもないはずの少女は、聡明だった。彼が見初めた少女を別の少女に仕立て上げ、彼女を神嫁として献上させることにしたのだ。
少女は唆した。あたしよりあなたの方がきっと神様を喜ばすことができると。少女に唆された少女は、もともと信心深いこともあり、素直に頷いた。
このような小細工で神が黙るとは思えなかったが、少女は賭けにでた。
――賭けは、成功した。
神は少女の必死な想いを知り、身代わりとなった少女を受け入れたのだ。
+ + + + +
「それじゃあ、神様は恋したひとと結ばれなかったってこと?」
「そうなるね」
由為は納得できないと言いたそうに首を傾げる。
「……それで、神様は納得したの?」
「それは神様じゃないとわからないなあ」
くすくす笑いながら、景臣は由為を見つめる。優夜は相変わらずぶすっとした表情のままだ。
「……『月』の影が何を言う」
ぼそっと口にする優夜を軽く無視して、景臣はさきほどの説明に補足をする。
「研究者のあいだでは、神様が見初めた少女のことを唯月姫と呼んでいて、実際に嫁入りした少女のことを為小夜姫と呼んでいる……っていっても椎斎の歴史を研究している人間はほんの一握りだから知られていないって言った方が正しいんだろうな。それにどうせ正式な名前はわかりっこないんだから『月』と『夜』って呼べばいいよオレ達みたいに」
な、と景臣が優夜に顔を向けると、優夜は渋々といった表情で首肯する。
たしかに地域史の冊子には土地神の存在や唯月姫と為小夜姫の伝承についての記述がなかった。信憑性がないから省かれていたのだろうか?
由為はふたりの顔を見比べて、思いついたことを口にする。
「もしかして『夜』の騎士って、それに関係があるってこと?」
「そのとおり。賢い子はすきだよ」
優夜が景臣に『夜』の騎士と呼ばれている理由。それがこの神話の続きにあるのだとしたら……
子ども扱いされて由為は自分も少年のくせにと景臣に呆れながらも、話のつづきから更に目が離せなくなっていく。
+ + + + +
土地神に見初められた唯月姫は、為小夜姫を神の元へ送りだし、以前より将来を誓い合っていた男と添い遂げることができた。
神はそのことを知り心底喜んだという。なんておひとよしな神様なんだろうと思いながらも唯月姫は彼に応えられなかった自分を恥じ、夫亡き後、神に仕えるようになる。
それ以来、唯月姫の血をひいた女児は土地神の斎としておつとめをするようになったといわれている。
また、唯月姫に唆される形で神嫁となった為小夜姫だが、すべてを知っていた神に尽くすことからはじめ、徐々に信頼を獲得することで、愛情を育ませていった。愛し合うようになったふたりはやがて、神の系譜に連なるふたりの女児を生す。
ふたりの女児は、土地神の子でありながら、村人たちの手によってひととして育てられた。お互いが姉妹であることも知らないまま、それぞれが養い親をほんとうの両親だと思い、暮らしていた。
しかし、人間である為小夜姫が寿命を迎えこの世を去り、老いない神は少年の姿のままひとりぼっちになってしまう。
娘たちはすでに少女へと成長し、十八歳で成長を止めた神に追いつこうとしていた。今更自分が父親だと名乗っても少女たちは混乱するに違いない。それなら昔のように村へでて、彼女たちの姿を一目見てこよう。
そうして、神は娘たちに逢いに行く。
ふたりの娘の年齢は十五と十七になっていた。十五の娘は夜宵、十七の娘は星音とそれぞれの養い親に名づけられ、常人と同じように育てられていた。
神はまず、夜宵のもとへ向かった。彼女は亡き為小夜姫にそっくりな容姿で、とても愛らしい少女だった。神の血を継いでいるからか、ささやかながらも不思議なちからを持っており、目の前に現れた神の存在を素直に受け止めた。神は為小夜姫が自分の元へ来た時のことを思い出し、微笑ましくなり、夜宵へ加護を与えたのだった。
そのことがきっかけで夜宵は唯月姫の子孫である少女、光理とともに神の斎として一年間のおつとめをすることとなる。自分が神の娘であることを知らないまま、夜宵は姫巫女として神の傍で彼が扱う不思議なちからを補佐していく。
その後、同じように星音も神のもとへ斎としてやってきた。だが、星音の場合は状況が異なった。
なぜなら、彼女は自らの婚儀を逃げ出して神の元へ飛び込んできたのだから。
+ + + + +
この街に隠された神話はまだ終わりそうにない。興味津々で瞳を輝かせている由為と、退屈な顔の優夜の顔を見比べながら、景臣はいったん口を噤む。
――つい勢いで話しちまったがここまで聞かせてよかったのかねえ、なんか余計なことしている気がしてきたなあ。
景臣の心境を理解しているのか、優夜は余計な御世話だと言いたそうに唇をへの字に曲げている。相変わらず思っていることが顔にでやすい男だ。
「うぅ、登場人物が増えてきて混乱してきたっ」
土地神に唯月姫と為小夜姫、そして為小夜姫の娘は夜宵と星音。あと誰だっけ……
「まぁ人名は気にしなくてもいいよ。大雑把にわければ『月』と『夜』と『星』しかでてこないから」
「……『星』?」
由為は首を傾げる。『月』と『夜』だけの話ではないのかと景臣に目で問うと、彼は表情を消して小声で呟く。
「そう。『星』の斎。今まさにこの街で起こっている異変を生み出している元凶のことさ」
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