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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
芽生えた想いと躊躇いの間 01
しおりを挟む資に淫魔に魅入られていると勘違いされ、禊によって身体を暴かれ、そのまま意識を失ってしまった音寧は、翌日、自分が何事もなかったかのように寝台の上で眠っていたことに呆然としていた。
「……夢?」
けれど昨晩身につけていたはずの紫陽花色の夜着ではない、タオル地のガウンを素肌の上から纏っているだけの心もとない格好に気づき、愕然とする。
――夢じゃ、ない。
寝台の上に転がっているはずの、トキワタリの鏡がない。やはり資が取り上げたのは真実で、音寧の身体にふれて絶頂に追いやったのも現実に起きたことなのだ。淫魔がどうのこうのと誤解していたが、そもそも淫魔に魅入られてなどいない音寧から魔を払うことなど、できるわけがない。
けれど資はトキワタリの鏡が淫の気を求めていたことに気づいていた。元の世界の有弦は鏡を使って音寧を攻めたことがあったけど、淫の気配や精力がどうのこうのと口にしたことはなかった。ただ、異能についての知識はあったから、黙っていただけの可能性はある。
それに……左目の黒い眼帯。
同一人物のはずなのに、有弦を襲名して音寧の夫となる前の資の姿は、ちぐはぐな印象を受ける。守秘義務に携わる特殊な部隊に所属していた軍人だったのが事実だったとはいえ、軍を退役せざるを得ない負傷とは何だったのだろう。
――こんな状況で、資さまから精をいただけるのでしょうか……
ゆっくりと起き上がり、衣装部屋までとぼとぼ歩いた音寧は、綾音が選んでくれた明るい空色の着物を手に取り、そそくさと着替えていく。
等身大の姿見に映る自分の身体をちらりと見れば、ガウンの胸の谷間に赤い斑点がちらほらのぞく。これは過去に渡る前に、夫の有弦が自分に刻んだ愛の証。だけど資は淫魔に魅入られた証だと言って、音寧を糾弾した。
部屋に漂うかすかな水の匂いも昨晩の禊の名残を彷彿させる。これも任務だと資は無表情で音寧の身体へ快楽の上書きを試みたけれど、最後まですることなく気を失って眠ってしまったことを考えると、この先も似たような状況に陥る可能性は高い。いっそのこと淫魔に魅入られたふりをして一線を越えた方がいいのだろうかと考えるも、そうなると軍が介入してきて更に厄介なことになりそうだ。
ひとまず事情を知る双子の姉に昨晩の報告をして、対策を練る必要があるだろう。資以外の軍の人間に知られる前に。誤解で魔物ごと払われたら元の世界に戻れる保証もないのだ。
はぁ、とため息をつきながら着物についていた緑青色の帯を結び、くるりと姿見の前でまわるのと同時に、扉を叩く音が響く。
「失礼致します」
「……資さま」
「姫。あれからお身体に変わりはない、ですか……?」
遠慮がちに室内へ入ってきた護衛は、心配そうな表情で姿見の前に立つ音寧を見て、小声で問いかける。
こくりと頷き、資の方へ向き直った音寧は、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「はい、いまは大丈夫です」
「そう……か」
音寧が着ている明るい空色の着物には鶸色の小花模様が散らされており、清楚な印象を与えてくれる。ただ、緑青色の帯が全体を引き締めているものの、胸の膨らみやすらりとした脚などの艶かしい身体つきを強調しているようにも見えて、資は思わず顔をしかめてしまう。
「あの……?」
「いや」
「この着物、似合わないですか?」
「そうではない。似合うんだ……似合いすぎて、その」
不安そうな音寧に詰め寄られて、資は困惑してしまう。昨晩身体をまさぐられた男の前で、警戒心も持たずに近寄る妖精のような彼女の可憐な着物姿に、資もタジタジになっている。何か言わなくてはと口走ったのは。
「俺以外の男に、見せたくない……!」
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