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第二部 初恋輪舞 大正十二年文月~長月《夏》
天空ではぜた嫉妬の焔 03
しおりを挟む「ですが、わたくしを庇ってあなたさまは魔眼のちからを失ったのです。責任なら山縣が」
「その話なら何度も断ったはずだ……俺は岩波山に戻ると」
「どうせ主にこき使われるだけでしょう? 茶豪商の罪の子などと蔑まれていてよくもまぁ」
「――資さまのことを悪くおっしゃらないでください!」
おとなしくふたりの会話を聞いていた音寧だったが、真夜子が資の出生について言い出したところで、限界が訪れた。
自分は資と彼女の間に何が起こっているのか知らない。それでもこれ以上、ふたりを会話させたくないと、音寧は心の奥底から湧き出た黒い感情を吐き出していた。
「た、たしかに、資さまは四代目岩波有弦の庶子です。けれども彼は岩波山のために、これから必要な人材なのです」
「あらあら。もうすぐ結納を控えてらっしゃる綾音さんにそんなこと言われるなんて。男がいないと異能を発せられない時宮のくせに。まさか資さままで」
「邪推は控えていただきたいものだな。真夜子嬢」
音寧の思いがけない反応に、資が彼女を守るように腕を差し出しきつくきつく抱き寄せる。驚く音寧に資は「もういい」と真夜子を一瞥し、冷え切った声で告げる。
「いまの俺は軍から彼女の護衛を仰せつかった身だ。山縣氏には悪いが、俺はもうあの戦いの場に戻らない」
「護衛はあくまで任務ってこと……なんだか興ざめですわ。だけど綾音さんの破魔のちからのためなら仕方ないのでしょうね」
綾音と資のあいだに性的な接触は存在していないが、破魔のちからを発動するために精力を扱う必要があることを真夜子は知っているのだろう。だからどこか諦観した瞳で音寧を睨みつけている。
――あ、この視線。迎賓館で征比呂さまがはじめに向けてきたものに似ている。
「せいぜい、傑さまのご機嫌をお取りになることね。まぁ、岩波山にいられなくなったらいつでも歓迎するわ」
「真夜子嬢……」
「行くわよ、左田」
ごきげんよう、と丁寧な礼をして、真夜子は左田と呼んだ書生とともにすたすたと去っていく。
音寧のことは最後まで綾音だと思っていたらしい彼女だが、いったい何者なのだろう。
残されたふたりの間に、沈黙が落ちる。
「――姫。俺が罪の子と世間で蔑まれているのは事実だ。それに真夜子嬢は俺のことを心配して」
「ごめんなさい、聞きたくないです」
資と真夜子の間に起きた出来事など知る由もない。けれども真夜子の口調から、彼が軍務で彼女を庇い、左目を負傷したことは理解できた。
もしかしたら彼女も異能持ちの一族なのかもしれない。だとしたら彼女も綾音と同じように男たちの精力を……?
そのことに考えが至った音寧は俯きながら、資の顔をのぞく。無表情のまま、真夜子たちが姿を消すのを見送った資は、ぎゅっと抱きしめていた音寧の顎に手をかけ、心配するなとでも言いたそうに唇を奪う。一瞬の間を縫ってふれられた唇は、ほんのり汗の味がした。
「!?」
「姫が俺に妬くことなどない。俺が欲しいのは貴女だけだ」
資は音寧が真夜子に対して嫉妬したと思ったのだろう。けれども実際のところは真夜子が綾音に嫉妬して言葉を交わした結果、音寧を苛立たせただけで、嫉妬と呼べるような現象ではないと音寧は苦笑する。むしろ嫉妬しているのは資の方ではないか。未来の自分に敵愾心を抱き、音寧が有弦さまと口にする都度、父親だと勘違いして音寧を責める。
音寧は誰かに見られていたかもしれない資の口づけと言葉に唖然としながらも、こくりと頷く。
「もう、真夜子嬢たちもいなくなっただろう。そろそろ降りて、ほかの場所へ行こう」
資に手を差し出された音寧はそのまま彼と手を繋ぎ、エレベーターで十二階から降りていく。賑わう観光客とは裏腹に、ふたりは口を噤んだままだ。それでも資は音寧の手を握りしめて、はなそうとしない。
すこしだけ気まずさを抱きながらも、音寧は彼に引率されるがまま、天空から地上へと舞い戻るのだった。
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