【R18】ふたりしずか another

ささゆき細雪

文字の大きさ
5 / 34

壱 その四

しおりを挟む



 元暦元年九月、源頼朝は異母弟の範頼を平家討伐へ向かわせている。指を咥えてそれを見送ることしかできなかった義経に、武蔵国入間郡河越の現当主河越太郎重頼に嫁いだ頼朝の乳母である比企ノ尼の孫娘、静がやって来たのも同じ時期だ。

 あれから三ヶ月。義経は検非違使として京都の治安を守りつづけている。静は正室と呼ばれるものの、義経に初潮が訪れてない旨を知られているため、夜を共にしようとすると「まだ早い」と几帳の向こうへ追い出されてしまう、そんな不毛でありながらも平和な日々が続いていた。

 自分が義経の下へ嫁入りした実感を未だに持てない静は、義経が閑そうに縁側でひなたぼっこをしている横で、無邪気に青灰色の猫を遊ばせている。

「どうしておっさんは義経さまを出陣させたがらないの?」

 そうかと思えばいきなり核心をつくような問いかけをする。それも頼朝のことを堂々とおっさんと呼んでいる。侍女の浅葱も馴れているのか彼女の言動を窘めることはせず、静の言わせたいようにしている。鎌倉で一番偉い人間である自分の兄をおっさん呼ばわりする少女が自分の正室なのかと考えると、多少だがこの先大丈夫かとあたまが痛くなる。

「なんで兄上をおっさんって呼ぶんだ」

「だっておっさんじゃない。三十路過ぎたら誰でもおっさん。義経さまみたいに若くてカッコいいわけでもないし」

 きっぱり言い切る静。確かに頼朝はすでに三十を越えているが、だからって一概におっさんと呼んでいいものか……義経は苦笑する。

「それで、静はどう思う?」

 頼朝が範頼を筆頭にした平家討伐の遠征軍が京都を通過したのは八月のことだ。常勝軍として囃したてられていた彼らだったが、現状は思わしくない。

 あれから朝廷から平家追討の官符を受け、山陽道へ下ったというが、安芸に至る頃には食糧がなくなり全軍の統一がみだれてしまったときく。そこを平家にもつかれ、四国から海を渡ってきた水軍に後方を絶たれそうになり、今では一軍崩壊状態、まっとうな戦いもできず逃げ惑い食糧を漁るだけの集団と化している……というのに、頼朝はまだ動かない。

「てっきり、兄弟喧嘩をしてるのかと」

「俺たちが喧嘩してるように見えるって?」

「だっておっさんが私に嫁に行けって口にしたとき、怒ってるみたいだったから」

「それは、静が俺の花嫁にはもったいないってことかな?」

 茶化すように義経が笑いかけても、静はむっつりした表情で素っ気無く返す。

「逆。河越風情の人間が俺の弟の正室には相応しいってことを思い知らせたいんでしょうよ。要するに、義経さまがこれ以上勝手に京都の公達の娘とかに手を出さないように釘を刺したんだと私は思うわけ。義経さまは体よく小娘の面倒を見る羽目になったのよ、女遊びに費やす時間を減らしてまでご苦労なこと」

 ずけずけと言われ、義経から笑顔が消える。

「あのね、私は義経さまのことを悪く言ってるわけじゃないの。頼朝のおっさんは鎌倉の主、一番偉いひととして義経さまを扱っているの、立場上。別に意地悪で意地っ張りなだけだからじゃないのよ。そこから齟齬が生じてるのは義経さまでも理解してるんでしょう? それすら理解できないならただの莫迦だもの」

 静に悪く言ってないと言われているというのに、なぜかさりげなく貶されているような気分になる義経。自分でも兄上が偉い立場にいることは理解しているし、それだから距離を置かれていることも前々から感じていた。けれど、戦局が悪化の一途を辿っているというのに、義経は頼朝に京都の治安を守れと言われつづけ、それ以上のことを命じられない。ここまでくるとどうしてだろうと不審に思うのが正直なところだ。

 義経がもどかしい思いをしているのは静も理解している。けれど、静はあえて厳しい言葉を紡ぐ。まだ身体は大人の女になっていないけれど、彼の正室として。

「範頼さまの軍が散り散りになっている噂がほんとうなら、待ってなくてもすぐに出番が来ます。義経さまはそのときが来るまでじっくり腰を据えていればいいのです」

 みゃうん、と静に撫でられていた猫が鳴く。義経は聡明な少女の言葉を、噛み締めるように心に刻む。

 それから一ヶ月経たないうちに、頼朝から出陣命令が届く。

 義経は正室の少女がしてやったりの表情で見送りにでてきたところをひょいと抱き上げ、すぐ帰ってくるからなと耳元で囁いて地面へ下ろす。

 はりきって郎党どもを連れて京都をでていく義経の後ろ姿は、とても頼もしそうだ。

 静は彼らの姿が見えなくなるまで、ひたすらに手を振りつづける。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【戦国時代小説】 甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助

蔵屋
歴史・時代
 わたしは、以前、甲斐国を観光旅行したことがある。  何故、甲斐国なのか?  それは、日本を象徴する富士山があるからだ。     さて、今回のわたしが小説の題材にした『甲斐の虎•武田信玄と軍師•山本勘助』はこの甲斐国で殆どの戦国乱世の時代を生き抜いた。そして越後の雄•上杉謙信との死闘は武田信玄、山本勘助にとっては人生そのものであったことだろう。  そんな彼らにわたしはスポットライトを当て読者の皆さんに彼らの素顔を知って頂く為に物語として執筆したものである。  なお、この小説の執筆に当たり『甲陽軍鑑』を参考にしていることを申し述べておく。  それでは、わたしが執筆した小説を最後までお楽しみ下さい。  読者の皆さんの人生において、お役に立てれば幸いです。  

処理中です...