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弐 その二
しおりを挟む頼朝にとって義経は身分の低い異母弟であり、家子である以前に郎党と同位にある一介の家人にすぎない。そのため、平家のように連枝、公達として扱われることはけしてない。けれど義経から見た頼朝は、同じ血を分けた尊ぶべき兄にかわる。つまり義経は兄も同じように自分のことを考えていてくれるのだと一途に想っているところがある。
今回の平家討伐に関しても、自分を戦場へ引っ張り出すまでの紆余曲折を疑問に感じながらも、最終的に頼朝が選んでくれたのだからと命じられた直後に大粒の涙を零す始末。無邪気な少年のような青年は、兄への思慕を胸に、讃岐の海に潜んでいるのだろう。
そこに、女たちが加わる隙間はない。
静は義経が兄のためなら命を賭しても構わないと情熱を漲らせているのを、黙って見つめることしかできない。
それほど、血を分けた同胞は、いとおしいものなのか。
もしかしたら死ぬ気で彼は平家を滅ぼすかもしれないなと、他人事のように静は嘲る。
けれど彼が首だけの状態になって無言で戻ってくるとは到底思えない。旅立ったとき同様に、親から言われたことを素直にやり遂げた子どものように得意げな表情で、静のあたまをくしゃりと撫でて、ただいまと挨拶するに違いない。
もしこれが、禅だったら、迎えに行った瞬間、押し倒されたりするのだろうか。
「何考えてるの」
「……別に」
黙りこんだままの静を禅が不思議そうに見つめる。静は完全に禅を信用したわけではないが、義経がいない今、屋敷で気兼ねなく会話できるのは彼女だけなのが現状である。すくなくとも、現段階で彼女は浅葱と違い義経を見捨てるつもりがない。だから静は禅の存在を無害なものとしている。禅が自分のことを厄介な正妻だと思っているのは知っているが、彼女も自分を邪険に扱うことはないため、きっと同じようなことを考えているのだろうなと漠然と感じる。
「さっきから不気味よ。いつものように饒舌になって腹黒いこと口ずさんでるほうがまだまともだわ」
「さりげなく失礼なこと言うのね……」
義経にとって禅は愛妾である。愛すべき白拍子。身体が子どもの静と違い、すでに大人の色香を持つ禅は、義経にとってどういった存在なのだろう。急に彼女が姿を消したら彼は嘆き悲しむのだろうか。それとも何事もなかったかのように別の女を抱くのだろうか。
静に男女の機微は理解できない。だからといってそれを禅に直接問いただすことも、できない。
「そんなに心配?」
縁側から流れる雲を眺めていた静の内耳へ掠れた禅の声が届く。
「……誰が」
渋々、静は返す。
「素直じゃないわね」
「いまさら、わかったこと」
禅は義経の不在を静が淋しがっていると解釈しているようだ。それはあながち間違いではない。けれど、禅がいう純粋な淋しさとはどこか異なるものだと静は考えている。
「御所さまに言いつけられて嫁いできたにしては、気にかけてるみたいじゃない」
たとえば、それは――……
「……だって、わたしは彼の」
「正妻だから何?」
「すくなくとも、あなたよりは立場が上にあたる」
「そうね。それは認めるわ」
静の率直な物言いを、禅は当然のように受け止める。たしかに彼女は義経の正妻という立場を手に入れている。禅のように気ままに愛される妾とは異なり、離縁しない限り、死に別れるまで傍にいるのが常だ。
「けど、それにしては義経の肩をもつのね。いやになって河越庄に逃げ帰るかと思ったのに」
「どうして?」
「疑われてるわよ」
みなまで言わなくても静は気づけるだろう。それだけで禅が何を忠告したのかに。
禅の言葉を曖昧な笑みで受け流し、何事もなかったかのように静は呟く。
「……逃げる必要なんて、ないよ」
静は強がったり感情が昂ぶったりすると、言葉遣いが粗野になる。鎌倉の御所をおっさんと呼ぶのも、彼女の強がりなのかもしれない。
「逃げるようなこと、まだ何もしてない」
きっと、京都に来るまではたいして礼儀作法も習っていなかったのだろう。だが、それは義経も同じだ。法皇のお気に入りになった彼は公家の真似事をしているがまったくもってさまにならない。
案外、似たもの同士なのかもしれないなと禅は微笑を浮かべる。
「これからするかもしれないんだ?」
「さあね」
面白い子だ。
禅は黙り込んだ静のつやつやの髪を義経がするようにくしゃくしゃと撫でる。静はそれを嫌がりもせず、素直に受け入れる。
遠目から見たら、姉妹のように見えるかもしれない。
同じ男を愛する女同士には、とても見えないだろうなと禅はうそぶき、そうかもしれないと静は笑う。
浅葱や禅の侍女たちが怪訝そうに見つめているのも気にせず、ふたりは和やかに夫の不在を過ごす。
そうやって、季節が退屈な冬から春へとめぐりめぐって、桜の季節……
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