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ハイビスカスのネイルアート
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もう、花束はなかった。
三年前、おぞましいくらい大量の花束がこの駅のホームに飾られていたというのに。
「セリカ、何ぼぉっとしてるの、こっちこっち」
JRの駅をあとにして、病院へ。
今日は内科だ。点滴の手伝いや注射針の準備を行うようだ。
あたしと楓は注射針をアルコールで消毒する担当になる。
アルコールのぷぅんとした匂いが白い建物の中に漂う。
手袋をして。血液検査の為の採取です。使いおわったのはこの袋。脱脂綿の量はこのくらい。無駄遣いはしないように。採取した血液にシールを貼って。分別して。カルテをまとめて。ちゃんとエタノール消毒して。終わったら手を洗って……
「お疲れさまでした」
午後六時。看護学生撤退の時間。
あたしと楓もその渦へ。
アルコールの匂いがまだ頭の中で浮かんでいる気がする。
陽光が淋しそうに今日を振り返っている。
このまま地平線へ隠れるのを惜しむように。
ここでしょ、三年前アレがあったの?
……怖いよね、あたしたち位の年頃の女子高生が……
信じられないー。
罪のない少女たちの噂話。あたしは咎める気も起きない。
それは全て本当に起こったことだから。
「セリカ、幽霊出るかもね」
楓も無邪気にあたしの耳元で囁く。
「そーかもね」
あたしは事も無げに応える。
幽霊?
彼女が出てくるわけないじゃない。彼女は幽霊なんかじゃないのだから。
「怖い話苦手だったっけ?」
「ううん。興味がないの」
興味を抱いてはいけない。
なぜ、彼女があんなことをしたかなんて、考えてはいけない。
あんなこと。
たかが、自殺だ。
「たかが、自殺なのに……」
彼女は、死にたかったのだろうか?
再び横浜駅。
もう、レールは新しいものに変えられているだろう。
血まみれになった光景なぞ、ほんのひとときの悪夢。
ミンチになった彼女。
いや……彼女タチ。
* * *
「茉莉花ぁ、いつバージンブレイクした?」
「そうねぇ、忘れちゃったわ」
彼女の名前はウーロン茶の香料と同じ。茉莉花の花。
その爽やかな香りのように、彼女は生きていた。
あたしは彼女の大人びた仕種にいつもど肝を抜かれていた。
「彼のこと気に入ったの?」
「いろんな意味でね」
「そのうち男、共有しよっか」
「なんで茉莉花に諫早渡さなきゃいけないのよ」
その時、まだ彼女は真っ赤なハイビスカスのネイルアートをしていた。
爪を切るのはもっともっと後の話。
* * *
今更幽霊に憑かれるのは嫌だな。
冷静にシャワーを浴びながら考える。
あたしが看護婦になりたいと言って、寮に入ったのは、彼女のことがあったからかもしれない。
あのまま大倉山にある家で一人窒息するような日々を過ごすのが耐えられなかったからあたしは逃げだすように出てきた。
両親は反対せずに金を出してくれた。彼女の部屋は死んだ当時のままだ。
彼女の納骨以来あたしは墓参りにも行っていない。そうだ。
タオルで水気を拭き取り、部屋着に着替える。
「カエデ」
扉越しに声をかけてみる。
「何?」
しばらくしてから楓の間延びした声が返ってきた。
「今度の日曜、あたしいないから」
「またですかぁ」
ガラス戸を開けてあたしは言う。
「一緒に行く?」
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