姉と薔薇の日々

ささゆき細雪

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黒ずんだシルバーリング

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   * * *

「おかえり、早かったのね」

 時間の経過を感じさせない我が家。
 少しだけ年老いた母があたしを出迎える。

「これ、花壇に植えていい?」

 どうにかして運んできた薔薇の苗を、玄関前のポーチにどすんと置く。

「あら、珍しいわね」

 茉莉花がいたらさぞ喜ぶでしょうね、という言葉を飲み込んで、母は無表情を装う。

「真っ赤な薔薇の苗。四季咲きで丈夫だからきっと映えると思うよ」
「そうね」
「あ、その前に茉莉花のとこ」

 仏間で父が新聞を読んでいた。軽く挨拶をして、仏壇の前に進む。
 仏壇には相変わらず様々な色彩の花が生けられている。平べったい座布団に正座して、線香に火を灯す。
 澄みきった鉦の音を奏でさせて、両目を瞑る。


「ただいま、茉莉花」


 久しぶりだね。
 逃げるように家を出たの、怒ってる?
 彼女は応えてくれない。
 わかっているけど。

「今度の秋であたし、茉莉花に追いついちゃうね」

 言葉を紡いでいくうちに、懐かしさ。

「薔薇の苗、お土産に持ってきたよ。あんたの好きそうな真っ赤な薔薇……」

 リン……
 伸び縮みする音の波。金属がぶつかり合っただけなのにこの壮大な音波はあたしを取り囲み、同化する。
 一礼をして、立ち上がる。
 母がせっせと薔薇の苗を花壇に植えつけている。止まっていられないのだろう。
 あたしは外を一瞥してから、階段を上っていく。
 木製の扉をノックする。
 返事は返ってくるわけがない。
 それでもノックする。
 数秒、間を取ってノックして、やっとあたしは扉を開ける決心をする。
 時間の止まっている部屋へ。

「茉莉花。入るよ」

 静まり返った埃だらけの部屋。
 電球も切れている。
 西日の光が窓から漏れている。
 それだけが、生きている光り。
 茉莉花の部屋。
 ネームプレートも何も存在しない、今では物置のような部屋だ。
 あたしは三年振りにその部屋を凝視する。
 彼女が死んだ当初は、怖くて近寄れなかったこの部屋。
 両親は「開かずの間」と化した子供部屋の事後処理を放棄して、封印した……と考えられる。これはあたしの想像だけど。
 相変わらず、ベッドの上には古ぼけたインディーズのCDが散乱したまま、冷たくなっている。
 皺を直し、そっとベッドに腰掛ける。スプリングはまだがたがきていない。
 机を見ると、当時彼女が勉強していたであろう英語のノートと、ボーイズラブの文庫本がそのままになっている。
 そういえば、引出しの中はまだ見ていなかった。
 今更という気がしつつも、好奇心ゆえ、あたしは一段ずつ引出しを開きはじめる。
 マニュキア、口紅……化粧品。
 ラメ入りのペン、消しゴム……文房具。
 プリント、メモ帳、ビーズのブレス……ごそごそと探っていくうちに、黒ずんだ銀色の塊を掴む。
 ん?
 指輪だ。

「何々……茉莉花へ、愛を込めて?」

 指輪の内側に刻まれていた英語は、中学生でもわかる陳腐な言葉。
 沢山の男を侍らせた彼女だ。こんな指輪の一つや二つ、あってもおかしくはない。が。
 ……やっぱりショックだった。
 あたしはフゥ、と溜め息をついて、下段を調べはじめる。
 出るわ出るわ……謎めいた品々。
 捨てずに全て残してあるラブレター。
 一枚一枚横に写っている男が別人のツーショット写真。
 鍵のかかったままの日記帳。
 これらを全て目につく場所に残しているのが彼女らしい。あたしだったら誰にもわからない場所に仕舞い込んでそのままにしてしまうだろう。
 日記帳の鍵はどこにあるのだろう?
 周囲を探しても、鍵らしきものなぞ見つからない。
 壊そうと思えば壊せるかもしれない。でもできれば完全な形で彼女の想いを広げたい。
 机の中を覗き込もうとして、頭を屈む。
 キラリと光る純銀製の指輪が目に映る。
 茉莉花へ、愛を込めて、十七歳の八月二十八日、カズオミ。

「十七歳の八月二十八日……」

 彼女の死ぬ寸前の最後の誕生日だ。
 十七歳を迎えて、夏休みを終えて、そのまま帰らぬ人になった彼女の。
 フロム、カズオミ。
 誰だろう?
 パラパラとアルバムを捲りながら、その男のことを考える。
 彼女と付き合う男の共通点は身長の高さと目の色だ。
 榛色をした彼女の瞳同様、榛色で、優しそうな顔つき。
 やがて、日が沈み、部屋は真っ暗になってしまった。
 仕方なくあたしは鍵のかかった日記帳と銀色の指輪を持って、自室に戻った。
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