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序
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北条政子の命によって、近江の園城寺で修業していた源公暁は、鶴岡八幡宮の別当となるため鎌倉へ戻ってきた。
それは建保六年、青水無月のこと。
けれど彼はほんものの源公暁ではない。
秘密を知っているのは、幼いころから乳兄妹としてともにいた公暁と唯子、尼御台として恐れられている北条政子と鎌倉の有力豪族である三浦義村、そしてこの地に幕府をひらいたいまは亡き源頼朝と二代将軍頼家のみ。
「……とはいえ、いつまでもこのままにしておくことはできんぞ?」
しんと静まり返った大倉御所の釣殿に、しわがれた老婆の声が響く。すべては亡き夫のため、そう信じて鶴岡八幡宮の巫女の神託に従ったが、あれから十五年以上の歳月が過ぎている。
その間に鎌倉では幾度も血で血を洗う争いが起きた。源氏の血統を絶やさぬためという大義名分のもと、自分と相反する御家人たちを次々謀殺し、あげく政所別当として三代将軍源実朝を意のままに操っている弟を見るたび、このままではいけないという焦りに苛まれてしまう。たしかに北条氏が権力を保ちつづけるのは悪いことではない、けれど自分と愛するひととの間に生まれた子どもが蔑ろにされるのは見ていて居たたまれないのも正直な気持ちである。
「おばあちゃま?」
ジジジ、と平仄の橙色の炎が灯芯を舐める音とともに、どこか場違いな幼い少女の声が政子の耳底へ堕ちる。
「鞠子か。もう夜も更けたというのに、まだ起きていたのかえ?」
「だって、お兄さまが戻っていらしたって。鞠子はお兄さまとお話したかったのです」
舌足らずな口調で話す少女は、まだ兄の顔を見ていないのだと不服そうに政子へ零す。だから夜中にこっそり自分の室を抜け出して探しに来たのだと悪びれることなく説明する。
「公暁なら、戻っておらぬ」
政子は呆れたように顔を向け、鞠子へ素っ気なく事実を告げる。
「――三浦邸、ですか」
不服そうに唇を尖らせ、鞠子は呟く。それを見て、政子は表情を変えることなく首を振る。
「そう、ですか……お兄さまは、まだあの忌み姫のことを」
鞠子は口惜しそうに言葉を吐くと、政子に一礼してすごすごと引き下がっていく。
その後ろ姿を見送りながら、政子は苦笑を浮かべる。その様子を隠れて見ていたもうひとりに向けて、淋しそうに告げる。
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