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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
ローザベルと薔薇の花と皇太孫ダドリーの初恋
しおりを挟むクリームイエローの薔薇の花々が門前で盛りを迎えている。幾重もの花びらが重なる小振りな薔薇の中央部分がほのかに赤みがかっている姿が可愛らしく、ローザベルは花の離宮の命名の由来となった神殿跡地に植えられた薔薇の花を見つめながらぽつりとこぼす。
「あの薔薇の品種名、アプリコット・ムーンって言うそうですよ。なんの因果でしょう」
「怪盗さんはそのことを知っていて名乗ったの?」
「いいえ。“稀なる石”をはじめて盗みに入った際に見た月が杏色だったから。それだけのことです」
「そうだったの。僕は、ひいおじいちゃまの意趣返しにも思えたよ」
ローザベルの隣で無邪気に話を聞いているのは九歳になるオリヴィアのひとり息子、ダドリーだ。
スワンレイク王国の王位継承順位がアイカラスの養子二人に次ぐ第三位に入っている幼さの残る金髪の王子さまである。
まんまるな榛色の瞳はオリヴィア譲りのようで、亡き王弟の息子たちと違い、彼だけはラーウスの古代魔術を継承しているという事情がある。
そのため、王だけが知りえる“稀なる石”とノーザンクロス一族の因縁をはじめ、ローザベルが怪盗アプリコット・ムーンであることもはじめから見抜いてしまった恐ろしい子どもだ。
オリヴィアとのお茶会で一緒になった際に小声で「お姉ちゃん、怪盗さんなの?」と囁かれたときには危うくお茶をひっくり返すところだった。ダドリーは誰にも言わないよと言ってくれたが、その日以来、ことあるごとにローザベルを遊び相手に指名してくる。そのためオリヴィアとの茶会が催されると、必ずといっていいほど王城でダドリーと鬼ごっこやかくれんぼをしたりしている。ぜったいに嫉妬されるのでこのことはウィルバーには内緒だ。
今日もオリヴィアのもとに泊まりに来ると知って王城からの迎えの馬車のなかにこっそり忍び込んできたダドリーのことだ、きっとローザベルが怪盗アプリコット・ムーンとしての最後の大仕事に取りかかろうとしていることにも気づいているのだろう。
「そうかもしれませんね……今となってはわかりませんけれど」
「うん」
ラーウスでも鉄の塊のような自家用車が走り出しているものの、道路が舗装されていない花の離宮周辺では未だに馬車での通行が一般的だ。予想通り、王城の迎えは古めかしい馬車だった。車での迎えだったら忍び込めなかったから馬車で助かりました、とダドリーは悪びれることなく笑っている。
馬上の御者は皇太子の息子がいることに気づくことなく、ガタガタの道を荒々しく進んでいく。
初代国王マーマデュークがこの神殿跡地を新たな離宮とするため改修した際に植えられた多数のアプリコット・ムーン。赤みがかった黄色が特徴的な薔薇は、廃神殿の魔力にあてらつづけたからか、突然変異を起こしたらしく鈴なりに花をつけているものが多い。
薔薇の品種を知る人間などそう多くもないだろうが、アプリコット・ムーンが咲き乱れる花の離宮を舞台に怪盗アプリコット・ムーンが最後の大立回りを行うことがお膳立てされていたかのようで、ローザベルは落ち着かない。
ダドリーが継承したのは古代魔術のなかでもポピュラーな透視術である。過去視や未来視はできないものの、ひとを視る目だけは確かで、彼の前では何人たりとも嘘をつくことができない、という王族である彼が持つには強力な魔法だ。
ローザベルを怪盗アプリコット・ムーンだと即座に暴いたダドリーだったが、ほかにも祖父のアイカラスはマーマデュークを殺していないけど病気にもっと早く気づけていたらといまなお後悔しているとか、オリヴィアが結婚の際に弟のタイタスと喧嘩して絶縁したとか、その弟が薬師一族の秘薬を盗んで犯罪に手を染めながら逃走中だとか、父親のフェリックスは魔法嫌いだけどオリヴィアを愛している気持ちは本物だとか、しょっちゅう旅行している叔父のダドウィンの古代魔術講義は視野が拡がるとか、なぜかローザベルにさまざまな情報を教えてくれる。
なかでもマーマデュークの死の真相をこのような形で知ることができたのは僥倖だろう。
けれど、いまはまだ初代国王マーマデュークの死の真相をノーザンクロスの一族には伝えない。伝えたら、“稀なる石”を集めているローザベルが不審がられてしまうからだ。
そのため、ローザベルは怪盗アプリコット・ムーンとしてスワンレイク王国全土に大魔法をかけ、不確定な未来をなかったことにし、一族の不安ともども取り除く覚悟を決めたのだ……そのなかには、夫ウィルバーとの別れももちろん含まれている。
「お姉ちゃん、旦那さんと別れるつもりなの?」
「こら。勝手に透視しないでくださいな。わたしは別れたくないけれど、彼はこの国を守る憲兵団長なのよ。妻であるわたしが怪盗をしていたことが露見したら、さすがに離縁せざるおえないでしょう?」
「うーん。僕はお姉ちゃんの旦那さんを実際に見たことがないからわからないけれど、おじいさまは骨のある男だって評していたからなぁ」
「国王さまが?」
「だけど、お姉ちゃんがそれで構わないならいいんだ。僕もお姉ちゃんと結婚したいから」
「!?」
十歳も年下の男の子からの突然のプロポーズに、ローザベルは目を白黒させる。ウィルバーと別れるなら、自分と結婚できるよね? とずずい、っと迫る少年を前に、ローザベルは困惑を隠せない。
「冗談で言ってるわけじゃないからね。ローザベルお姉ちゃんは古代魔術の知識が豊富で、この国の旧き良きものたちと繋がりを持っている。国民たちは融和政策を喜ぶ。僕と結婚すれば、お姉ちゃんは未来の王妃さまになれるんだよ? ねぇ、怪盗アプリコット・ムーンのお仕事が無事に終わったら、僕の、僕だけの花嫁さんになってよ?」
「……ダドリー」
猫のように膝の上にしゅるりと滑り込んだダドリーの柔らかな金髪を撫でながら、ローザベルは淋しそうに呟く。
「その気持ちは嬉しいですよ。だけど、わたしにはウィルバーさまがいるの。ウィルバーさまがいいの。ウィルバーさまじゃないとダメなの。だからどうしたって結婚はできないの……たとえ事情があって離縁しても、わたしが捧げる“愛”の魔法は彼を想うことでしか発動することができないから……」
「そうなの? 僕が旦那さんのことを忘れさせてあげても、ダメなの?」
「忘れさせるだなんて悲しいこと言わないで。“愛”の所在がある限りは……たとえ彼に嫌われて一方通行になっても、わたしの気持ちは変えられないでしょう?」
「だから宮廷魔術師アイーダさまは、初代国王が崩御されてから魔法を封じたの?」
「そうよ。前の夫に捧げた“愛”と初代国王陛下に捧げた“愛”のかたちは異なるものだから、ほんとうならばいまの国王さまにも“愛”を捧げて宮廷魔術師としての地位を保つことだってできたの……でもね」
マーマデュークの死に、疑いを抱いてしまったアイーダは、素直にアイカラスに次の“愛”を捧げられなかった。だから隠居すると宣言し、魔法をつかうことを封じたのだ。
「だからダドリー、あなたがわたしを愛してくれるって言っても、わたしは“愛”を返せない……」
ポロポロと涙をこぼしながら、ローザベルは馬車のなかで言葉を紡ぐ。ごめんなさいと、か細い声で。
「泣かないでお姉ちゃん。僕の方こそ困らせてごめんなさい。だけどこの気持ちをいつ言えるかわからなかったから……お姉ちゃんがどこか遠くに行ってしまいそうだったから……」
その言葉に、ローザベルの身体がぎくりと震える。けれど、彼女の言葉を聞いてうなだれているダドリーは、既に透視をしていない。
「ほんとうに、お姉ちゃんは旦那さんがすきなんだね。羨ましいな」
「十歳のときに婚約者として顔を合わせたの。そのときから、お互いにこのひとしかいない、って想っていたから……たぶん。ダドリーにも近い将来、素敵な伴侶が見つかるはず、です」
「それはお姉ちゃんの未来視?」
「いいえ、希望的観測です」
「そこは未来視のちからです、って自信満々に言ってほしかったなぁ……」
ふふ、と笑いながらダドリーは頷いて、ローザベルが流した涙を指で拭う。くすぐったいです、と言い返す彼女の顔を見つめて、真面目な表情に戻る。
「――それで、今夜は王城を抜け出して神殿跡に行くんだよね? 僕に協力できることはある?」
「ダドリー」
「転移の魔法を使うにしても、誰もいない場所の方が都合がいいでしょう? 寝る前に本の読み聞かせをしてもらう、ってお母様にワガママ言うから、僕の寝室から翔んでよ?」
え、と驚くローザベルに、ダドリーが言葉をつづける。
「たぶん、おじいさまには露見しちゃうだろうけど、お母様やほかの使用人たちを欺くことならできるはず。お仕事を終えたらすぐに僕の部屋に戻ってきてくれればたぶん大丈夫。読み聞かせをしているうちに一緒に眠ってしまった風を装えば、朝までもつよ」
それがいいうんそうしよ? と朗らかに告げるダドリーを見て、ローザベルも観念する。
「ありがとう、ダドリー」
「朝まで一緒にいられたら、既成事実作れるものね」
「作らないでください!」
それ以前に九歳の男児と既成事実を作ることは無理ですと頬を膨らませるローザベルを見て、ダドリーは悪びれずに言い返す。
「あーあ。アプリコット・ムーンの魔法ではやく大人になりたいな」
「大人になったところで合意しませんよ」
「ちぇ」
侮れないちいさな味方を窘めているうちに、馬車はスワンレイク王国の王族が暮らす王城……スプレンデンス城の前に到着しているのだった。
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