春嵐に黄金の花咲く

ささゆき細雪

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はじめての涙

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 ――お前に惚れたからだよ。

 その言葉に、帆波は凍りつく。

「惚れ、た、だと? なにを莫迦なこと……っ!」

 勢いで思わず立ち上がり、帆波は忠三郎に噛みついていた。
 座っていた岩の足元に転がる石に躓いて、そのまま宙へ放り出されるように身体が傾く。


「……悪い、いま言うことじゃなかったな」


 抱きとめられ、彼の鳶色の双眸が碧玉のような帆波の瞳とぶつかり合う。呆れたような忠三郎の声に、思わず帆波も項垂れてしまう。

「ごめん、なさい」

 変だ。
 ルイスの話を聞いてから自分はおかしい。しかも忠三郎は自分に惚れたなんて言い出した。何も知らないくせに。気づいたふりなんかして。こどもみたいに優しく頭を撫でてくれるなんて。こんな風に抱きしめられたら……忘れてしまう、共に生きることを誓った彼の温もりを。

「惚れたなんて、冗談よね」

 弱々しく、もう一度呟く。それを見て、忠三郎は「わかった、冗談にしといてやるよ」と苦笑する。

「でも……お前が何に怯えているのか、おれは知りたい。何を、恐れている」

 真摯に見つめられて。追いつめられて。
 帆波は目を眇める。忠三郎が眩しい。彼にすべてを打ち明けてしまいたくなるほどに。なのに、言葉にしようとすると、涙になって零れ落ちてしまう。いやだ。ここに来てまだ一度も泣いたことなんかないのに。しかも、ずっと天敵だと思っていた忠三郎の前で泣くことになるなんて。

「……っ」

 どうしてだろう。自分にはもう関係ないと割り切っていたはずなのに。ルイスが言っていた言葉や、宗麟の手紙の文言が、いまになって圧しかかってくる。

「やはり、あの宣教師に何か言われたことか。ヒメサマ」

 びくり、と帆波の身体が揺らぐ。忠三郎は宥めるように彼女の身体を抱きしめて、囁く。

「お前が何者であろうが構わぬ。おれは、味方だ」
「……ばかね」

 何も知らないくせに。味方だと嘯く忠三郎に帆波は呆れた声を発する。

「これから知ればいいだけのことだろ?」

 それでも忠三郎は気にしない。

「それ、あたしが破滅を招いた亡国の姫君だって知っても、同じ言葉が言える?」

 動じない彼に苛立ちをぶつけるように、帆波は掠れた声で言い返す。

「異人との間に生まれた罪の子、亡国の忌み子、周りの人間に好き勝手言われながらも、宣教師たちのもとで育てられてようやく通詞になって落ち着いたと思ったのに! 彼らに裏切られた形でここまで来て、冬姫さまに仕える喜びを見つけたのに! そこでまた、あたしを必要だなんて平然とやってくるなんて信じられない……でも」

 抱きしめられた身体に、ちからが込められる。帆波はそのぬくもりを甘受しながらいままで溜めてきていたものを吐き出していく。

「どうしよう忠三郎。生まれ育った国が危ない状況にあるのは知っているし、実質捨てられたあたしがひとりでどうにかできることじゃないのはわかっているけど……」

 それでも、ルイスが岐阜へやってきたことでわかったことがある。

「毛利氏が九州を狙っているという話か」

 忠三郎が落ち着いた声で帆波に確認する。帆波は潤んでいた目を見開いて忠三郎に「知っていたの」と問いかける。

「小姓とはいえ全国を統一させようと動かれている信長さまの傍にいるからな。各国の戦況も耳に入ってくる。宣教師たちに育てられたということは西国なのだろう、お前の故郷は」

 淡々と、忠三郎は応える。たしかに、東国では宣教師の存在はあまり知られていない。ようやく畿内での布教が認められたのだ。幼いころから宣教師によって育てられたという帆波の言葉から、彼は彼女の生まれに見当をつけのだろう。
 帆波は頷き、俯いた状態で観念したように溜め息をつく。

「そこまでわかっているのなら、話してあげてもいいわ。だけど、あんたは岩に徹して」
「いいけどその前に」
「なに?」

 忠三郎に抱えられた状態の帆波は、自分の顔が彼の胸元へ押しつけられていると知って硬直する。

「泣いとけ」

 ずっと我慢してたんだろ? とでも言いたそうに、彼の手が帆波の髪を梳いていく。触れられた場所が、こそばゆくて、思わず帆波は声にならない声を漏らしてしまう。

「その状態で、話などきけるか」

 泣くのを我慢して自分と話をつづけていた帆波へ、忠三郎は軽く毒づく。泣き顔を見せたくなかったから、意地になっていたのだろう、胸に押しつけられた状態ならば、強情な彼女も泣くのではないか。
 帆波はそこで、ようやく溜めていた涙を零しはじめた。それでも、声を殺して、堪えるように嗚咽する。生まれ育った国に迫る滅亡の危機、まだ見ることの叶わぬ将来への漠然とした不安、そして帆波を必要だと呼び寄せる何者かの存在……もう利用されるのは、いらないからと捨てられるのは、売られるのは、裏切られるのは、こわい、と。

 震える帆波の背中をトントンとさすりながら、忠三郎はもう片方の手で、月光に照らされた黄金色の髪をひと房取って、口づける。
 そんな風にされていることに気づくことなく、帆波はずっと、岩に徹した彼に支えられながら涙を流す。
 心の奥底で、忠三郎に謝りながら、いまも西国にいるであろう少年のことをこっそり想いながら、帆波は、岐阜城に来てはじめて泣いたのだった――……
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