婚約破棄された王太子妃候補ですが、私がいなければこの国は三年で滅びるそうです。

カブトム誌

文字の大きさ
25 / 34

25

しおりを挟む
 王都南区。

 黒い霧は、まるで生き物のように脈打っていた。

 叫び声。
 逃げ惑う足音。
 祈りと罵声が、同時に空を裂く。

「結界が……!」
「新しい結界は、やっぱり失敗だったんだ!」

 疑似災厄は、民衆の恐怖に呼応するように形を膨らませていた。
 剣で斬っても、魔法で焼いても、霧は散っては集まり――消えない。

「くそっ……!」
 騎士の一人が、膝をつく。
「なんで……倒せない……!」

 その時。

 人垣を割るように、静かな足音が響いた。

 ――ひとつ。
 またひとつ。

 逃げる流れに、逆らって進む影。

「……あの人は」

 誰かが、気づく。

 淡い銀髪。
 揺るがぬ歩調。

 エリシア・フォン・リーネ。

 かつて追放された令嬢は、
 今、災厄の正面に立っていた。

「下がってください」

 その声は、決して大きくない。
 だが、不思議と――届いた。

「でも……!」
「大丈夫です」

 彼女は、霧から目を離さずに続ける。

「これは、災厄ではありません」
「“恐怖が形を取っただけ”です」

 ざわめきが、広がる。

「……何を、言って……」

 エリシアは、一歩前へ出た。

 結界の光が、彼女の足元で柔らかく灯る。

「旧い結界は、恐怖を材料にしていました」
「『守られている』と思わせるために」
「『外は危険だ』と、刷り込むために」

 霧が、唸る。
 まるで、否定されることに苛立つかのように。

「だから、恐怖が増えれば増えるほど」
「結界は、強くなった」

 彼女は、手を掲げた。

「でも――」

 視線が、集まる。
 誰もが、息を呑む。

「恐怖は、守りになりません」

 その言葉と同時に、
 エリシアの魔力が、静かに広がった。

 爆発はない。
 衝撃もない。

 ただ――理解の波。

「新結界は、恐怖を拒否します」
「不安や疑念を、力に変えない」

 霧が、揺らいだ。

「それは、守りとしては不完全だと」
「そう言われました」

 エリシアは、はっきりと告げる。

「でも」
「恐怖がなければ、壊れる守りなら」
「それは、最初から“檻”です」

 霧の一部が、崩れ落ちる。

「……消えてる?」
「何も、してないのに……?」

「いいえ」

 エリシアは、首を振った。

「皆さんが、恐怖を手放したんです」

 人々の視線が、彼女に集まる。

「疑似災厄は、信じられた分だけ強くなる」
「『危険だ』『ダメだ』と思うほど」
「形を持ち続ける」

 彼女は、民衆を見渡した。

「だから、見てください」
「これは――本物じゃない」

 一瞬の沈黙。

 そして。

「……逃げなくて、いいのか?」
「……結界は、壊れない?」

 誰かが、恐る恐る一歩、前に出た。

 霧は、反応しない。

 さらに一歩。

 霧が、薄くなる。

「……消えてる……」

 ざわめきが、驚きへと変わる。

「恐怖が、足りないのです」

 エリシアは、穏やかに言った。

「恐怖で支配する世界は」
「恐怖を失った瞬間に、崩れます」

 霧は、もはや形を保てなかった。
 風に溶けるように、静かに消えていく。

 完全な、消失。

 その場に、静寂が落ちた。

 次の瞬間――

「……ありがとう」
「助かった……」

 誰かが、頭を下げた。

 それが、連鎖する。

 騎士も、魔導師も、
 名もなき市民も。

 誰一人、命じられてはいない。

 だが――
 自然と、そうしていた。

 王城の高窓から、その光景を見下ろす者がいた。

「……終わった、な」

 レオンハルト王太子は、苦く微笑む。

「いや」
 老魔導師が、首を振った。
「“終わらせられた”のです」

 力でなく。
 恐怖でなく。

 選択によって。

 その夜。

 王都では、誰もが知ることになる。

 新しい結界は、
 恐怖を与えなかった。

 だが――
 恐怖に頼らない未来を、示した。

 そして、人々は気づき始める。

 守られているのではない。
 共に支えているのだと。

 その中心に立つのが、
 追放されたはずの令嬢であることを――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

王妃ですが都からの追放を言い渡されたので、田舎暮らしを楽しみます!

藤野ひま
ファンタジー
 わたくし王妃の身でありながら、夫から婚姻破棄と王都から出て行く事を言い渡されました。  初めての田舎暮らしは……楽しいのですが?!  夫や、かの女性は王城でお元気かしら?   わたくしは元気にしておりますので、ご心配御無用です!  〔『仮面の王と風吹く国の姫君』の続編となります。できるだけこちらだけでわかるようにしています。が、気になったら前作にも立ち寄っていただけると嬉しいです〕〔ただ、ネタバレ的要素がありますのでご了承ください〕

義妹に婚約者を奪われ追放された私。実は国を支えていたと気づいても遅いです。隣国で能力を開花させたので、今さら泣きつかないで。

瀬戸 ゆら
恋愛
「無能な置物はいらん。国外追放だ」 王太子の冷酷な宣告。隣には、私のすべてを奪った義妹の勝ち誇った笑み。 私が寝る間を惜しんで維持してきた国の結界は、私がいなくなった瞬間に崩壊を始めるでしょう。 泥水をすすり、辿り着いた隣国。そこで出会ったのは、冷徹と恐れられる漆黒の皇帝陛下でした。 「これほどの魔導回路を一人で?……君、我が国に来ないか」 捨てられた魔道具師が、隣国で「伝説の聖女」として覚醒する一方で、結界を失い魔物の脅威に晒された母国が泣きついてきますが……。 「今さら戻ってきて?……お断りです。私はここで、世界一幸せになるんですから」

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~

ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。 そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。 自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。 マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――   ※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。    ※第二章まで完結してます。現在、最終章をゆっくり更新中です。書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m    ※小説家になろう様にも投稿しています。

聖女は神の力を借りて病を治しますので、神の教えに背いた病でいまさら泣きついてきても、私は知りませんから!

甘い秋空
恋愛
神の教えに背いた病が広まり始めている中、私は聖女から外され、婚約も破棄されました。 唯一の理解者である王妃の指示によって、幽閉生活に入りましたが、そこには……

「お前を愛することはない」と言われたお飾りの妻ですが、何か?

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することはない!」「そんな事を言うために女性の寝室に押し入ったのですか? もう寝るつもりで化粧を落として髪をほどいて寝着に着替えてるのに! 最っ低!」 仕事大好き女が「お飾りの妻最高!」と恋愛感情無しで結婚したらこうなるよね、というお話。

貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました

ゆっこ
恋愛
 ――あの日、私は確かに笑われた。 「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」  王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。  その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。  ――婚約破棄。

処理中です...