毎日5分で読めるシリーズ

rakkaus

文字の大きさ
15 / 24

最後の客

しおりを挟む
雨の降る夜、僕は古書店の店じまいをしていた。
「すみません、まだ開いてますか」
ドアベルが鳴って、濡れた黒いコートを着た女性が入ってきた。時計を見ると午後十時を五分過ぎている。
「ええ、どうぞ」
僕は愛想よく答えたが、内心では早く帰りたいと思っていた。この時間に来る客にろくな人はいない。万引きか、値切り交渉か、あるいは延々と立ち読みして何も買わないか。
女性は店の奥へと進んでいった。この店を継いで三年になるが、見たことのない顔だ。三十代半ばくらいだろうか。落ち着いた雰囲気を持っている。
十分ほどして、彼女は一冊の文庫本を持ってレジに来た。
「これをください」
手に取ると、それは夏目漱石の『こころ』だった。定価四百円のところを、僕は三百円で売っている。
「三百円です」
彼女は財布から千円札を出した。お釣りを渡そうとすると、彼女は首を横に振った。
「お釣りはいりません。それと、これを」
そう言って、彼女は一通の封筒を差し出した。封筒には「店主様へ」と書かれている。
「これは?」
「読んでいただければわかります。それでは」
彼女はそのまま店を出て行った。ドアベルが寂しげに鳴る。
僕は封筒を開けた。中には便箋が一枚入っていた。
『二十年前、私は高校生でした。家庭の事情で進学を諦めようとしていた時、この店で『こころ』を立ち読みしていました。先代の店主さんが、「持って行きなさい。お金はいいから」と言ってくださいました。あの本に救われて、私は教師になりました。今日、同じように悩んでいる生徒がいます。この本を、その子に渡したいのです。先代のご恩を、次の世代へ』
僕は急いで外に出たが、雨に煙る路地に彼女の姿はもうなかった。
父が遺したこの店を、僕は正直、重荷に感じていた。儲からないし、未来もない。でも今夜、初めて理解した。
この店が繋いでいるのは、本だけじゃない。
レジの横に置いてあった父の写真を見つめた。父は優しく微笑んでいた。
翌日から、僕は店の一角に「ご自由にどうぞ」という棚を作った。状態の良い本を何冊か並べる。
最初の一冊は、もちろん『こころ』だった。
雨上がりの朝、その本は誰かの手に渡っていた。空いた場所に、僕は新しい一冊を置く。
こうして本は、人から人へ、心から心へと旅を続けていく。
父が始めた物語を、僕も紡いでいこうと思った
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

処理中です...