独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第二章

第三十三話 大規模任務

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「……で、結局あんた達もこうしてとんぼ返りしてきたと」

 疲れた表情を隠そうともせず、カティアさんは長々と溜め息を吐いた。

「昨日の仔細を騎士団本部に報告しようと思ったら、すぐにギルドに帰るようにって通達が来て急いで引き換えしてみれば、まさかこんな事態になっているなんてね」

「あはは……。内心、お察しします」

 げんなりするカティアさんに、私は当たり障りのない言葉をかけるしか無かった。

 グランドバーン支部のフロントは今、数多くの冒険者達で溢れている。【依頼クエスト】と【任務ミッション】が張り出される掲示板に群がる彼らの姿は、美味しい餌の匂いを嗅ぎつけてやって来た餓狼の群れに等しい。

 誰も彼もが先を争うように掲示板の前に立とうとするが、肝心の発注書がまだ用意されておらず、掲示板は丸裸の状態だった。

「おい、発注書はまだか!?」

「早く仕事をくれ!」

「魔物がたくさん出たんだろ!? 出し惜しみしてんじゃねーよ!」

 身勝手な主張をフロントの受付嬢達にぶつける冒険者達を見ると、昨日の不快感がまた蘇ってくる。早く仕事にありつきたい気持ちは分かるが、黙って待つことは出来ないのだろうか。ギルド側にも発注書作成の手続きというものがあるのに。

「カティアさん、【依頼】や【任務】の作成状況って今どうなってるか分かります?」

「私が知るわけ無いでしょ。私はこのギルドの専属治癒騎士で、冒険者共の食い扶持に関わる事務仕事なんかには携わっていないのよ」

「ですよねー……」

 ダメ元だったが、やはりカティアさんでもいつ仕事が発注されるのか分からないようだ。二人して溜め息を吐いていると、黙って状況を眺めていたシェーナが口を開いた。

「他の支部や、冒険者ギルドの本部も此処と同じような状態なのだろうか?」

「ああ、多分そうなんじゃないかしら。騎士団本部でも少し小耳に挟んだけど、魔物が発見されたのは西部だけじゃなく、他の三方からも同様の報告が相次いだらしいわ。情報が錯綜していることもあって、仕事の発注が遅れているのかしらね」

「四方から一斉に魔物が出現したって言うんですか!? 一体なんでそんなことに……? まさか――」

 最後の呟きは、カティアさんに聴こえないよう口の中だけに押し留めた。

 私が知る限り、原因として考えられそうな要素はあれしかない。

 オーロラ・ウォールへの干渉。私が幻術破りの呪文を放ったことで、あの聖なる天光の輪は一時的に形が崩れてその先にあるものを覗かせた。世界そのものを染め上げんとするかのような、深淵の闇――。

 もしも、もしもだ。あの闇が魔界に由来するものであったのなら……。

 オーロラという蓋が破損したあの時、人知れず内側に侵入して世界を穢したとは考えられないか?

「シッスル」

 ぐるぐると思考の渦に飲まれる私の目を、シェーナの強い眼差しが覗き込んでいた。

「今は、確かめようがないことを考えるのは止めましょう? それよりも、まずは現実的な問題に対処するべきよ」

「……うん、分かってるよシェーナ」

 しかしこうなってくると、師匠と会って彼女の見解を聴く必要性が俄然増してきた。かの《幽幻の魔女》と敬われる師匠であれば、必ず明解な指針を示してくれる。

 ミレーネさんとモードさんに協力すると言った手前、今更やっぱり止めたと言うつもりは無い。しかし、これだけ多くの仕事に飢えた冒険者達が詰めかけているとなると、果たして私達の出番はあるだろうか? 彼らだけじゃなく守護聖騎士団も出動することが考えられるし、もしかしたら私達には仕事が回ってこないかも知れない。

 もしミレーネさん達の意気込みが空振りに終わるようだったら、すぐにでも師匠のところに行こう。……良し、これで方針は決まった。

 カティアさんがかけてくれた発破、シェーナが示してくれた信頼。

 それに応える為にも、私は自分の意志と目標をしっかりと打ち立ててそれを貫き通すんだ!

「シッスルさん」

 胸の中で決意を新たにしていると、お誂え向きにミレーネさんとモードさんが帰ってきた。このまま掲示板の前に詰めていても時間の無駄だと判断したようだ。

「受付から少し話を聴くことが出来たんですけどね、上層部の方が何やら揉めているらしく仕事の発注についてはまだ目処も立っていないそうなんです」

「けっ、だらしねえこった。こうやってぼやぼやしている間に被害が出たらどうすんだ?」

「あら、人々に被害が出ることを心配してるの? 随分殊勝なことね。そう思うんならギルドからの発注を待たずに討伐してくれば?」

「うるせえよ治癒騎士、それじゃ報酬にありつけねぇだろ!」

「モード、いちいち噛みつかないの。そもそも【依頼】も【任務】も受けずに冒険者が武器を振るうのは法で禁じられているでしょう? 今は待つしかないわ」

「こいつが突っかかってきたんだぜミレーネ」

「はいはい、分かったから大人しくしてなさい」

「カティア、お前も控えろ。今は他人をからかっている場合じゃないだろう?」

「ちょっとした茶目っ気よ。シェーナは相変わらずお硬いんだから」

 モードさんとカティアさんが話を混ぜっ返すのを、ミレーネさんとシェーナが嗜める。何となく会話の輪に入りそびれた私は、もう一度冒険者達の群がる掲示板の方へ目をやった。

 相変わらず一枚も発注書が貼られていない、寂しい光景……ん?

「あの、ミレーネさん」

 私はふと気になった疑問をミレーネさんにぶつけた。

「俄に大量の魔物が目撃されて、それに関する仕事の手続きにギルド側が追われていることは分かるんですけど、掲示板に一枚も募集要項が無いなんてこと……ありますか?」

「――!」

 ミレーネさんだけじゃなく、他の皆もハッとした顔になった。

「シッスルさんの言う通りですね。ギルドから発注される仕事の種類は豊富で多岐にわたります。魔物討伐に限らずとも、庶民の皆さんから出された【依頼】が少なくとも何枚かは常に残っているのが普通です」

「前に来た冒険者達が全部受注していったということは?」

「そういうこともありえなくは無いですが……可能性としては低いかと」

「ちょっと待てよ、それじゃあこれはどういうこった?」

 私とミレーネさんとモードさんが三人で首を傾げていると、シェーナが静かに言った。

「考えられるのは――」

 一旦言葉を溜め、唇を湿らすシェーナに私達は注目した。

「ギルド側が既存の仕事を全て中断した上で、改めて別の仕事を発注しようとしている可能性だ」

「……つまり?」

「――“大規模任務”」

「大規模、任務?」

 シェーナが口にした単語をオウム返しに呟いたところで、カウンター前に詰めかけている冒険者達の間からどよめきが上がった。

「皆さん、お待たせいたしました! これより、当ギルドから冒険者の皆さんに告知します!」

 大きく声を張り上げているのは、此処のギルド長だった。相変わらず多くの毛髪が去った寂しい頭部に脂汗を浮かべ、それを水玉模様のハンカチでせっせと吹いている。神経質そうな顔は極度に張り詰めており、冒険者達の醸すプレッシャーに必死に抗っているようにも見えた。

 しかし、彼の放った言葉によって、冒険者達から立ち上る不満は一気に色合いを変えることになる。

「先程、イル=サント大教会より正式な発令がありました! これより、アヌルーン全ギルドは総力を挙げて【全一特例作戦】に従事します! 冒険者の皆さんに置かれては、ただいまこの時刻をもって大教会司令本部の直接指揮下に入ったことをご了承下さい!」

 ざわめきの続いていたフロントが、水を打ったように静かになった。


◆◆◆



「やれやれ、昨日から働き詰めだって時に“戦力総動員令”まで下されるなんてね。とことんツイてないわ」

「カティア、【全一特例作戦】だ」

「細かいわね、分かってるわよシェーナ」

 カティアさんはこれ以上無いほどに眉を歪めつつ、皿の上に盛られた林檎をひとつ掴んで無造作に齧りつく。良いとこ出のお嬢様らしからぬ所作だが、それだけに苛立ちは良く伝わってくる。

「噂には聴いていましたが、本当に全ての冒険者が国教会の名の下に招集されるのですね」

 何処か感心したように言うミレーネさんは、たっぷり蜜の垂らされた団子を丁寧に口まで運び、ゆっくりと静かに咀嚼する。カティアさんに比べると余程上品な仕草だ。

「けっ! なんで守護聖騎士団の下につかなきゃいけねえんだよ。いつものように俺達は俺達、騎士団は騎士団で勝手にすりゃ良いじゃねぇか」

 脂の乗った焼き魚を頭から豪快に喰らうモードさんは、やはり今回の命令に納得がいっていないようだ。まあ、内容からして無理も無いかも知れないが。

 【全一特例作戦】。国家の安全を揺るがす非常時であると判断された際に発令される特別軍事任務だ。国教会主導の下、全ての守護聖騎士団と冒険者が招集されて単一の戦闘組織となり、共に協力して国難に対処するというのが主な趣旨らしい。

 その性質上、滅多なことでは発令されないが、それだけに今回の件は国教会から相当重く見られていると分かる。

「シェーナ、これからどうなるの? ギルド長は、一旦解散の後正午過ぎに再び集合するよう言っていたけど」

「この作戦は大教会に本営が設置され、そこから各ギルドに直属の指揮官を派遣することになっているんだ。指揮官が来るまでに腹拵えなり武器の手入れなり、それぞれが準備を整えておくようにとの計らいだな。シッスルも、今の内にきちんと腹に入れておけ」

 そう言って、シェーナは目の前に供された肉料理を口に運んだ。戦闘に支障をきたさないよう、ガッツリと食べるつもりらしい。

 ギルド長からの通達を聴いた後、私達は揃って近場の飯店へと立ち寄った。シェーナの言う通り、お腹が減っていては戦うことも出来ない。そこで皆の情報共有も兼ねて、一緒にお食事会をしようと相成ったわけだ。私としても、それに異存は無い。ご飯は大事だ。

 しかし目の前の皿に盛り付けられた果物と野菜の詰め合わせに手を伸ばした時、ふと違うことが気になった。

 こうして自分達の前に並べられた料理が、果たして何処から来たものなのか――と。

 ギシュールさんの言っていた通り、オーロラ・ウォールの外には国土が無かった。ならばもうひとつの、アヌルーンを含む首都圏では自給自足が難しいという話も多分本当なのだろう。

 なら、私達が普段食べている食物は一体……?

「このような動員が為されるということは、やはり単に魔物が大量発生したということだけでは無いのでしょうか?」

 ミレーネさんの放った疑問の声が、私の意識を引き戻した。

「恐らくね。そもそも魔物の大量発生って言うのも、通常では考えられない事態だわ。地上に存在する生物が魔素に侵されて魔物化するケースなんてありふれているけど、それだって多くて週に二、三回ってところじゃない」

 カティアさんも同意を示す。

「国教会がどの程度実情を把握しているかにもよるが、可能性が高いのはやはり……」

 シェーナが全員の顔を見渡した。この場に並んだ表情からして、誰もが薄々察しているようだ。私はシェーナの跡を引き継ぐように続きを口にした。

「魔族が、出現したってことだよね?」

「……ああ、恐らくそういうことだろうな」

 皆の間に沈黙が降りた。

 魔族――。またの名を、魔界の住人【アンダー・ピープル】。

 誰もが認める人類の天敵にして、私達に生々しい傷を付けた存在。

 それと再び、対峙することになるのか。

「へっ、上等だぜ!」

 押し黙ったままの空気を、モードさんの豪快な声が断ち切った。

「魔族にゃあ、ドでかい借りがあるんだ。そっちから来るなら好都合、この機会に熨斗のしつけて返してやろうぜ! なぁ、ミレーネ!」

「……ぷっ! ええ、そうねモード! やられっぱなしじゃいられないわよね! なんてったって、私達は最高の冒険者パーティ《鈴の矢》なんだから!」

 強張った顔でモードさんを見上げていたミレーネさんが、ふっと脱力して快活に笑った。

「モード殿の言う通りだな。今度は騎士団も冒険者も総出で当たるのだ。何も恐れることは無い」

「駄筋男もたまには良いこと言うじゃない」

「うるせぇよ治癒騎士! 駄筋は余計だ!」

 シェーナもカティアさんも緊張を解き、肩の力が抜けたようにモードさんと冗談を言い合った。

 そんな皆の姿を見て、気負っていた私の精神も次第に鎮まっていった。

 そうだ、シェーナが言っていた通り、今は余計なことに気を取られず目に見えている問題に全力で取り組もう。全ては、その後だ。

 余計なことが気になりすぎるところが自分の欠点だとつくづく思い知りつつ、私は頭の中に浮かんだ疑問を胸奥に深く仕舞った。
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