独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第三章

第四十五話 テネブラエ

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「行かせて下さい、師匠。私には、あの場所に居なきゃいけない義務があります」

 私は重ねて師匠に言い募った。ダール丘陵での顛末を詳らかにし、責任の所在を明確にして相応の罪過を科すのがあの法廷の目的なら、当事者である私も参加して然るべきだろう。

「けど、ユリウスの爺が強硬に貴女を捕縛させようとするかも知れないわよ?」

「無理ですよ、あの場で決定権を握っているのはウェイルズ大法官ですから。彼を納得させられれば、ユリウス大主教がどれだけこめかみに青筋を立てても問題ありません」

「……ぷっ、目に浮かぶようだわ」

 怒髪天を衝く形相のユリウス大主教を想像したのか、師匠が吹き出す。尾を引く笑いを噛み殺しながら、師匠は再度私を見た。

「良いわ。感情に流されて言っているなら止めようと思ったけど、そこまで合理的に考えられるなら心配無いわね」

「……! ありがとうございます! では……!」

「待ちなさい、ひとりで行かせるとは言っていないわ」

 身を翻そうとした私を、師匠が呼び止めた。

「私も一緒に行ってあげる。《幽幻の魔女》の発言なら、法廷でも重きを成す筈だからね」

「良いんですか?」

「貴女を逃したのは私だし、あの場に居ても居なくても責任を追及されるのは同じよ。だったら、こちらから乗り込んで主導権を握るのは悪くないわ」

 私を助ける為に粛正隊を妨害した時の師匠の姿が思い出される。確かに、ユリウス大主教なら間違いなくあの時のことを法廷で師匠を糾弾するだろう。多かれ少なかれ、誇張も混ざるに違いない。なら、そうなる前に……

「って、あれ? 結局こうするなら、そもそも師匠が危険を冒して私を助けなくても良かったんじゃ……?」

「あら、折角の師の心づくしになんてことを言うのかしら、この子は。第一、あの爺の手に捕まっていたら、今日のあの法廷には出られなかったわよ」

「あはは、それもそうですね。ごめんなさい」

 迂闊な失言を謝罪すると、師匠も元々本気で咎めていたわけじゃないのか、すぐに表情を緩めて再度釜と向き直った。

「それじゃ、法廷に行くわよ」

「はい、それじゃ外に……」

「出る必要は無いわ。此処から行ける」

「えっ……?」

 どういう意味か尋ねる前に、師匠がまた別の金色の粉を何処かから取り出して釜の上からまぶした。

 するとどうしたことだろう、中の薬液がまた何かしらの変化を起こし、勢いよく紫色の煙を拭き上げたではないか。

「わっ!?」

 紫の煙は立ち所に部屋の中に充満し、視界が遮られる。リッチの黒い霧に囚われた時と似たような状況に、否応なく焦燥感が掻き立てられた。

「し、師匠! これは一体……!?」

「黙ってシッスル、間もなく着くわ」

 その言葉がしたと同時に、意識が何処かへ引っ張られるような感覚が襲ってくる。まさか、また気を失おうとしてる……!?

 倒れちゃダメだと自分に強く言い聞かせ、精神を繋ぎ止めるべく目を閉じてお腹と四肢に力を込める。心だけじゃなく、身体までが何かに引き寄せられるような強い圧力を感じた。

 やがてその勢いも収まり、身体と心に掛かっていた謎の負荷が消えてゆく。私はゆっくりと肩の力を抜き、恐る恐る目を開いた。紫の煙が薄まり、徐々に視界が開けていく。

「……えっ!?」

 煙が晴れた先に、師匠の研究室は無かった。代わりに、私が立っていたのは――

「シ、シッスル!? サレナさん!?」

 シェーナの肉声が背中に飛んでくる。反射的に振り返った先には、驚愕に染まった顔の親友とミレーネさん達が居た。

「き、貴様! 《幽幻の魔女》とその弟子!」

 恐怖と怒りが綯い交ぜになった声に正面を向けば、そこには壇の上から身を仰け反らせたユリウス大主教。辺りを見回せば、同じような感情を表に出したたくさんの聖職者達に、ただ驚きの眼差しを送ってくるウィンガートさんの姿も認められた。

「ほ、法廷!? どうして、いつの間に……!?」

 なんと、錬成釜を通して覗き見るだけだった法廷の真っ只中に、私と師匠はいつの間にか立っていたのだ。

「はぁ~い、国教会の皆さん! ご機嫌麗しゅう!」

 私の喫驚などどこ吹く風で、師匠がこれ見よがしに360度回って楽しげに挨拶を振りまいている。

「よくも顔を出せたものだな! 粛正隊、この者共を捕らえよ! 先日、ダール丘陵から逃亡した魔術士であるぞ!」

 恐怖を憤怒で塗りつぶしたユリウス大主教が、顔を真っ赤にしながら怒鳴った。それを受けて、傍聴席に詰め掛けていた聖職者達も色めきだつ。

 彼らの間を割って、法廷に配備されていた粛正隊の騎士達が肩を怒らせながら近付いてきた。

「あらあら~、ここは神聖な法廷でしょう? こんな武装して殺気立った連中を放って良いのかしら~?」

「黙れ! 穢らわしい魔女め! 本性を表した貴様に最早掛ける慈悲など無い! 聖下の認めた特権とやらも今日で剥奪してくれる! 獄を抱き、己が罪を悔いるが良い!」

「お、お待ち下さい! バーンスピア様! 大主教猊下! どうか……!」

 尚も煽る師匠と、それを受けて益々加熱するユリウス大主教と、二人に必死で呼び掛けるシェーナの声が重なる。私達の登場で、神聖な法廷とやらは一気に混沌の坩堝に叩き込まれてしまったようだ。

「静粛に! 皆の者、静粛にせよ! 大法官として命ずる!!」

 ガンガンガン、と小槌を打ち鳴らしてウェイルズ大法官が懸命に場を鎮静しようとしているが、今度はユリウス大主教も引き下がらなかった。

「大法官殿、あ奴らはダール丘陵の一件における被疑者と、その逃亡を幇助した共犯者ですぞ! まず第一に、身柄を拘束せねばなりますまい!」

「だからこそ、こうして裁きの場とやらに顔を出して上げたのでしょう? 逃げる気だったら、貴方達に関わらず引き籠もっているわよ」

「おのれ抜け抜けとよくも……! 今度もまた良からぬ企みを抱いておるに違いない! よしんばそうでなかったとしても、これ以上貴様らを自由にさせておくわけにはゆかぬ! 粛正隊、早くこの二人に縄を掛けてしまえ!」

「あら、こないだの続きをしたいの? 今度は幻術でお遊戯するだけじゃなく、本当に辺り一面が焼け野原になるわよ?」

 怒り心頭のユリウス大主教を前にしても、師匠は一歩も引かない。悠然と辺りを睥睨して、飛びかかる隙を伺っている粛正隊を牽制している。

 あの時のことはまだ彼らの記憶にも新しいのだろう。私達を取り囲んだ粛正隊の騎士達は、師匠の威圧を浴びて動くに動けない様子だった。

「ユリウス、やめよ! 彼らを下げるのだ!」

「ならぬぞウェイルズ! そなたはあの現場に居なかったからそう言えるのだ! この魔女に対してだけは、寸分の油断も許されぬ!」

 大法官と大主教の主張は平行線だった。ウィンガートさんは、蒼白な顔でただ立ち尽くしている。

 ふと、彼と目が合った。

「…………!」

 私は視線で彼に助けを求める。彼は視線を逸らさなかった。しかし、どうしようも無いと言いたげにぐっと顎を引いてしまう。眉根に刻んだシワが、複雑な内心を雄弁に物語っているかのようだった。

 まったく……! 私はウィンガートさんではなく、師匠を恨んだ。恐らくは魔法で錬成釜の映像を通して法廷に瞬間移動させたのだろうが、それにしても随分なやり方だ。

 確かに早く法廷に辿り着ければそれに越したことは無いと思っていたけど、こんなのは予想外である。こんな登場をされれば場の人間達の神経を逆撫でにすると分かり切っているだろうに、師匠は敢えてやった。

 勿論何か考えがあっての暴挙だろうが、こちらとしては気が気じゃない。どんな成算があるにせよ、早く示してほしいものだ。

 ……とは言え、私も見込みが甘かった。この法廷で決定権を握っているのはウェイルズ大法官? だからユリウス大主教がどれだけ強硬な姿勢を取っても問題にならない? ……目の前の現実を見ろ、と先程の私に言ってやりたい。

「聴きなさい、国教会の者達よ!」

 心の中でぼやいていると、いきなり師匠の大音声が法廷に轟いた。私達を取り囲む粛正隊も、傍聴席に並ぶ聖職者達も、壇上のユリウス大主教達でさえ、覇気が漲る師匠の一喝を受けて一瞬呆気にとられたように沈黙する。

「最早、誰の責任かなどと悠長な追及をしている時では無い! 事態は既に、抜き差しならない段階に差し掛かっているのだ! 早々に手を打たねば、取り返しの付かない惨事を引き起こす! そして、それを為せるのは此処に居る我が弟子、シッスル・ハイフィールドを置いて他に存在しない!」

「……!」

 思わず「えっ!?」と言いかけたが、寸前で堪えて私はぐっと背筋を伸ばした。

 これは、師匠の援護だ。私がこの法廷に来た目的、それを果たす為の。だから、間違っても呆けたような顔をしちゃダメだ。表情を引き締め、自信があるように見せないと。

 師匠の仰々しい演説は続く。

「魔物の大量発生も、オーロラの出現も、そこから出入りする魔族も、全ては予兆に過ぎない! 本命はすぐに訪れる! 【テネブラエ】が!」

「なっ……!?」

 ユリウス大主教とウェイルズ大法官が揃って目を見開く。ウィンガートさんも衝撃を受けたような顔をしている。

 だが、他の大半の聖職者達は何を言われたのか分からないと言いたげに困惑した顔をお互い見合わせていた。

 かくいう私も、頭にたくさんの疑問符が踊っていた。【テネブラエ】、師匠は確かにそう言ったが、果たしてそれは何だろう?

「マゴリア教国の国民は元より、国教会の大部分も知らぬことだろう! 秘匿したのも相応の理由あってのことと知っている! だがこれ以上、隠しておくことは許されない! 万が一が起きた場合、国民にはそれぞれ心構えと立ち向かう準備をしてもらわねばならないからだ!」

「だ、黙れ! な、何故、何故貴様のような魔女がそれを知っている!?」

 ユリウス大主教が壇の縁を力いっぱいに掴んで怒鳴る。しかし先程までとは打って変わって、そこには怒りより恐怖の色が濃く滲み出ていた。身体は震え、瞳は動揺に揺れ、額には冷や汗がびっしり浮いている。元々高齢の人だったが、この一瞬で更に老け込んでしまったような印象を受けた。

「いつまでも真実から目を逸らしていられるものとは考えるな! 聖リングマードは経典に確かに記した! いつの日か運命の審判、【テネブラエ】が訪れるであろうと! 今まさに、その日が間近に迫っていると告げているのだ!」

 傍聴席の聖職者達からどよめきが上がる。自分達が神の教えと信じてきた経典が、古の聖人が記したとされるそれが、国教会の手で改竄されたものである可能性を敏感に感じ取ったようだ。

 そして師匠は、一度大きく息を吸い、その意味を明かした。

「【テネブラエ】は――魔族アンダー・ピープルの大侵攻は、間違いなく近日中に起こるであろう!」
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