独立不羈の幻術士

ムルコラカ

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第三章

第四十六話 予言にある者

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 【テネブラエ】とは、魔族が大挙して地上を侵略しにやってくること――。

 師匠の告発に、法廷から一瞬全ての音が消える。誰もが息をすることすら忘れたように、呆然と立ち尽くしながら今の言葉の意味を脳内で咀嚼していた。無論、私も。

 誰かが常備しているアンク十字架でも落としたのだろう、カランという小気味良い金属音が静寂に支配された法廷に浸透してゆく。

 それは神の手による福音だったのか、悪魔による水差しか、ともかく場の全員に我を取り戻させることに成功した。

「な、な、何を申すか……っ!」

 引きつったユリウス大主教の震え声を皮切りに、あちこちで混乱の渦が巻き起こった。

 魔族の大侵攻、経典から消えていた聖人の訓告、それを知っていた魔女――。

 一度に多くの衝撃的な情報と接した国教会の面々から様々な憶測や非難が飛び交い、壇上の三大主教に向かって真偽を問う声が乱発する。

「控えよ! 皆の者、静まるのじゃ!」

「黙れい! 粛正隊、この馬鹿共を黙らせよ!」

 ウェイルズ大法官とユリウス大主教の心が、ここに来てひとつにまとまった。

 私達を取り囲んでいた粛正隊の騎士達が、俄に踵を返して傍聴席へと矛先を向ける。激しく打ち鳴らされる小槌と、武器に手を掛けて威を示す粛正隊の前に、聖職者達に点いた火も急速に勢いを失くしてゆく。

 喧騒が下火になると、それを見計らったかのように師匠が再び口を開いた。

「私の言葉を根拠の無い妄言と切り捨てる? そうするのは簡単よ。でも果たして、この期に及んでそんなことをする意味はあるかしら? 少なくとも、此処に居る国教会のお仲間さん達は、私の言葉を嘘だと考えていないようだけど?」

 喋り方が、先程までの厳然としたものからいつもの師匠のものに戻っていた。それでも傲岸不遜で不敵に構えていることには変わりがない。

「う、ぐぐ……!」

 ユリウス大主教が歯ぎしりする。血走った目で師匠を睨み付け、壇の縁を手に血管が浮き出る程強く掴み、獣のように身を屈めて唸っている。

「大主教、もう見て見ぬ振りは許されないわよ。西のダンジョンで起きたオーガ騒動も、ダール丘陵でのオーロラ出現も、全てはひとつのことを指し示していると、あなただって心の底ではとっくに気付いていた筈よ。大方、その場しのぎに魔術士達を槍玉にあげておいて、裏で密かに手を打とうとしていたんでしょう? もしくは、真実の公表に踏み切るとしても、過去の時代に禁じられた聖人の予言をどう理解してもらおうかというところに腐心していたんでしょうけど、そうやって悠長なことをやっている余裕はもう無いの。今すぐ、対策を打ち立てないと手遅れになるわ」

「貴君の言う対策というのが、そこに居るお弟子のことかね?」

 それまでずっと黙っていた三大主教の最後のひとりが、重い口を開いて疑問をぶつけてきた。

 ゴードン大主教。先も述べたように軍事のユリウス、司法のウェイルズと並んで、民政を司る大主教だ。

 あれ程の騒ぎが起きていた中でも、この人だけは泰然としていてじっと私達を見ていた。発した言葉も、巌のような物腰に比して揺るぎない落ち着きを伴っている。

「魔女殿、貴君は先程仰られた。この危機に対処し得るのは、貴君の弟子たるそこのシッスル・ハイフィールドなる者のみであると。しからば、その根拠を承りたい」

「ゴードン大主教、やっと喋ってくれたわね。あんまりにもむっつりしているものだから、目を開けたまま寝ているんじゃないかと心配になっていたところよ」

「お気遣いには感謝する。ご覧の通り、まだ自分は明晰であるつもりだ。故に、貴君の意図をより深く知りたいのだよ」

「話の分かる人が居てくれて良かったわ。シッスルを推した理由は簡単よ。彼女が、この国で一番の【幻術遣い】に他ならないからだわ」

「えっ……!?」

 師匠の言葉に、私は耳を疑った。私が……一番!?

「もう少し、噛み砕いた説明が欲しい」

「勿論よ。私が《幽幻の魔女》と呼ばれていることは、今更説明するまでも無いわね。魔術士でありながら国教会から――正確には総主教からだけど――特権を認められ、自由に暮らすことを許されている例外中の例外。でもそうなっている理由については、皆知っているのかしら?」

 師匠がぐるりと法廷を見渡す。傍聴席の聖職者達も、被告人として立たされているシェーナ達も、戸惑った様子でたじろぐだけだ。

「シッスル、貴女は分かる?」

「えっと……私が聴いたところでは、国政に多大な貢献があったからだと……」

「そうね、恐らく殆どの国民が同じ認識でいることは間違い無いでしょう。でも真実はそれとは違う。大主教のお歴々なら、正確な理由をご存知なんじゃないかしら?」

 皮肉な笑みで師匠は壇上に目線を上げた。三人の大主教の内二人は、苦虫を噛み潰したような顔でじっと黙り込んでいる。

 答えたのは、やはりゴードン大主教だ。

「貴君の権利が保証されているのは、貴君が当代随一の幻術士であるから――。御前会議で、総主教聖下がそうお教え下された」

「ゴードン!? 貴様、その話をこの場で明かすか!?」

 ユリウス大主教が血走った目を最大限に見開いて隣のゴードン大主教を非難するが、当の本人は全く動じなかった。

「もう既に魔女殿から重大な告発があったのだ。今更隠して何になろう」

「し、しかしだな……! 聖下の御裁可も得ずに……!」

「魔女殿、我々も聖下の御真意については把握していないのだ。ご存知ならば教えて欲しい。何故、貴君が幻術士であることがそんなにも重要なのだ?」

 ゴードン大主教は、それ以上ユリウス大主教を相手にしようとしなかった。

「それはね、ゴードン。幻術士こそが、【テネブラエ】を防ぎ得る唯一の存在に他ならないからよ」

 やっぱり、そうなのか。これまでの話の流れで、なんとなく予想はついていた。

 いよいよ師匠の話が核心に迫る。その予感を抱いた私は、これまで以上に彼女が語る内容に耳をそばだたせた。

「禁じられた予言にはこう記されているわ。“魔の理に生きる者達、やがて大海嘯と化して地上を飲み込まんとす。大地が闇に覆われんとしたその時、幻の術を究めし者現れてこれを晴らさん”――。代々の総主教はこの予言を知り、来る災いに備えて《幻の術を究めし者》を見出して特別に保護してきた。そして今、その予言は現実になろうとしているの」

「では、資格を備えているのは貴君自身ではないのか?」

「私もそう信じて生きてきたわ。シッスルと出会う前までね」

 師匠が、後ろから私の肩を掴んだ。込められた力に、彼女の期待と信頼が乗っていることが分かる。

「この子は、私以上の逸材よ。弟子として、娘として、手塩にかけて育ててきたけど、先のダール丘陵での戦いで確信したわ。この子こそが、【テネブラエ】に対抗し得る鍵だって」

「師匠……」

 私は振り返って師匠の顔を仰ぎ見た。慈しむような、誇らしげなような、喜びを抑えきれない表情をしていた。

「他の魔術士達が魔素に侵されて狂っていく中、シッスルだけが何とも無かったことから考えても間違い無いわ。予言に出てくる《幻の術を究めし者》とは私ではなく、この子のことなのよ。よって、改めてここでシッスルを推薦するわ。どうかこの子を、総主教に謁見させてほしいの。そうすれば、“彼女”から正式にシッスルに命令が下される筈だから」

 “彼女”……? 総主教は女性なのだろうか? そんな疑問がふと頭をよぎる。なにせ国教会の頂点でありながら、当の総主教は人前に姿を現さず、その名前すら一般には伝わっていない。ただ、“聖下”と呼ばれているだけだ。

 ゴードン大主教は口を閉ざし、師匠の提案を吟味するようにじっと眼差しを私に注いでいる。その横で、やはりというべきかユリウス大主教が再び騒ぎ始めた。

「ならぬ、ならぬぞ! そのようなこと、断じて認めるわけにはゆかぬ! 聖下への謁見だと? 魔術士風情が? 冗談も休み休み言え! ダール丘陵の時に暴走しなかったからと言って、安全だという確証にはならん! 方々よ、魔女の戯言に惑わされるな! 上手いこと我らをたぶらかし、聖下の御座所への道を……神聖な大鐘楼へ続く門を開かせようという魂胆なのじゃ!」

 ――え? 総主教が居る場所は、大鐘楼……?

 頭の中で、未だ不可解に踊っている情報の欠片が、収まるべきところに収まろうとしている。その確かな手応えを感じた時、私は思わず声を張り上げていた。

「是非、行かせて下さい! 大鐘楼に! 私はきっと、そこへ行かなくてはならないんです! 総主教聖下が同じ場所に居られるというなら、尚のこと!」

 それまで状況に流されるだけだった小娘が突然意思表示をしたことで面食らったのだろう、ユリウス大主教でさえ束の間怒りを忘れてポカンと私を見ている。

 その顔に再び朱が差し始めた時、別の声が上がった。

「私からもお願いします! シッスルがあの戦いを収めたことは、誰よりも近くで見ております。彼女こそが、この先に待ち受ける大難を退ける希望であるなら、それに賭けるべきだと愚考致します!」

 シェーナだった。急展開する話の流れに着いて行けず、置いてけぼりにされていた親友が、此処に至って私に加勢してくれたのだ。

「そうですね。私も、魔女さんとシッスルさんを支持しますわ」

「俺もだ」

 ミレーネさんとモードさんも、強い意思の光を瞳に宿して私の背を押してくれる。

「私も合理的な申し出だと思います。十分な監視と警護を付けた上で大鐘楼へ送るなら、何も問題は生じますまい。最終的に、シッスルに会うか会わないかを選択なさるのは聖下御自身でありましょう。昨今続いております魔族の影に終止符を打てるというなら、彼女達に賭けてみるのも大いによろしいかと」

 ここ一番という時に、ウィンガートさんまでもが私の肩を持ってくれた。彼の発言が決定打となって、聖職者達の中からも賛意の声が上がり始める。

「ぬ、ぐ、ぐ……!」

 最早自分の主張を通すことは難しいと察したのだろう、ユリウス大主教は唇と目蓋を震わせるだけで、言葉が出てこないようだった。

「ふむ、どうやらこの法廷が開かれた目的からは完全に脱線してしまったようだが、ここらが潮時だろう。大法官殿、手前も彼女らの求めは聴き入れる価値があるものと存ずるが。貴下の明断や如何に?」

 ダメ押しとばかりにゴードン大主教から促されたウェイルズ大法官は、盛大に溜め息を吐きたそうな顔をした後にぐっと顎を引いて、小槌を三回打ち鳴らした。

「では、大法官の名に置いて宣言しよう。魔術士、シッスル・ハイフィールドに大鐘楼の門を潜る許可を与える。速やかに詣で、総主教聖下に謁見の儀を乞うべし!」

 こうして、この法廷は幕を閉じた。
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