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本章・わくわくえちえち編

#35・【IF回】さよなら俺、よろしく私!

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〈私〉は、教室に居た。
放課後などとうに過ぎた2人の教室。

夕陽だけが光源となるその場に、
私は〈彼〉と向き合っていた。
それと、一つの違和感に気づく。

私自身が心の中で〈男の子の口調〉を
使えなくなっている事だ。

赤子転生してからずっと使ってきた。
それが、今になって急に
使えなくなるなんて絶対可笑しい。

元凶と疑わしい存在は目の前に居る、彼のみ。
前世の私、川越・佐雪と全く同じ姿をした誰か。

その正体が誰かなんて、
今までの経験則で嫌でも分かる。

「よぉ、主人格。急に呼び出してごめんな。」
「ごめんで済むなら警察はいらない。
幻サユ、私の心を今すぐ返しなさい。」

「幻サユ? 人違いじゃねーか。
俺は川越・佐雪。その残留思念だ。」
「違う! 川越・佐雪は私なの!!」

「あぁ、そうだったな。
……お前は俺だった〈女〉だ。」

そんなの嘘に決まっている。
だって私には川越・佐雪として生きてきた
記憶、感情。その全てがある。

「ふざけるのも大概にしなさいよ幻サユ!」

「お呼びですかぁ~!」

「――ッ!?」
「どうしたんですか主人格ちゃん。
そんな驚かれても困りますって。」

な、なんで幻サユが?
じゃ、じゃあ目の前にいる彼は一体……?

「あらら、私はお邪魔虫でしたかね。」
「邪魔なんかじゃねーよ。
お前のおかげで俺の存在が証明出来た。
ほら、これで分かったかよ主人格。」

「あ、貴方は……じゃあ、私は誰?」

目の前には男の私も、女の私も居る。
この歪な光景に背筋が凍る。

……自分は何者なのか。何故、ここに居るのか。

「だぁーかぁーらぁー、
アンタが主人格なんだって。俺らはその一部。
言っとくが、三重人格じゃねーぞ。」

「私が……主人格?」
「何度もそう言ってんだろ。主にコイツが。」

彼は幻サユを指さした。

「コイツとは失敬ですね。
大先輩だからって調子乗ってません?」
「良いんだよ。もう時間もねーしな。」

時間がない?

「今日ここに連れてきたのは他でもねー。
アンタにさよならをしに来たんだよ。」
「さよ……なら。」

「人形の時はお前みてーな美少女と心身共に
一つになれて満足だったんだぜ。
で、本当はあの日に消える予定だったが、
コイツに呼び止められた。」

「そろそろ幻サユって呼んで下さい。
消えかけの童貞陰キャ。」
「消えかけの童貞陰キャで悪かったなぁおい!!」

「…………」

「まー、アンタをFTMたらしめてるのは
この俺だ。勿論、俺俺言わせてるのも含めて。」
「……何それ。」

今まで男の子らしい思考が出来たのは
彼のおかげって事?

そんなわたしの疑問を置いて、彼は話を続ける。

「俺のタイムリミットが来ただけだ。
10年以上引っ付いてきたが、
それももう無理になったって話。そんで、
俺が消えればアンタの性自認は女性になる。
文字通り、サユキ・オリバーティアという
1人の少女に生まれ変わるんだ。」

「勝手に消えないでよ!!
そしたら私、アックにどんな顔して会えばいいの!
ねぇ! 答えてよ川越・佐雪!!」

私は激昂して彼の襟を掴み上げた。

「離しなさい、主人格ちゃん。」

分かってる。こんな事したって何も解決しない。
でも、
はいそうですかなんて易々受け入れられない。

私は八つ当たりの気持ちを抑えて彼を下ろす。

「安心しろよ。俺が消えるっつーのは
完全に消える訳じゃねー。
アンタの中に完全融解するだけだ。
俺だった事実や記憶は消えない。」

「で、でもっ……」
「諦めが悪いわよ、主人格ちゃん。
彼をよく見て。」

言われた通りよく見ると、
彼、川越・佐雪の身体は薄くなっていた。

「今までありがとな。サユキ・オリバーティア。
俺の分まで自由に生きてくれ。」

これはもう、引き留められそうにない。
消えゆく彼に、私は精一杯の別れを告げた。
彼が苦しんで消えないよう、とびきりの笑顔で。

「こちらこそ。後は任せて頂戴っ!!」
「あぁ!!」

川越・佐雪は笑顔で頷いて霧散した。

「お疲れ様、主人格ちゃん。
これにて私もお役御免のようね。
考えれば当たり前か、主人格ちゃんが
完全な女の子になるんだし。
残念だけど、もう会う事は……2度となさそう。」

どうして幻サユちゃんまで薄く……?

「主人格ちゃんはね。
人生という果てしない道を進む三輪車だった。
私達はその補助輪、心の補助輪なの。
でもさ、子供は成長したら
自転車に乗り換えるんだよ。」

「何を……言ってるの?」

「ごめんね主人格ちゃん、私も時間が来たみたい。
最後に出来る事、これしかないや。」

ガチャっ。

「え?」

幻サユは私に銃口を向けた。

「待って、まさか私を乗っ取る気なの?」

「違うよ~、この精神世界から
ログアウトする最短の手段っ♡
後一歩だよ、サユキちゃん。頑張ってね♡♡」

――バンっ。

彼女は引き金を引いて、私の脳天を貫いた。



身体を覆う温もりが、肌に触れる日差しが。
眠っていたの意識を起こした。
いつもとは変わらない起床だけど、
初めての起床。

私、サユキ・オリバーティアとしての
朝が初めて始まったんだ。

心が軽い。
そっか、これが生まれ変わるって事なんだね。
わたしは……女だ。
性自認が確実に〈女〉になってる。

川越・佐雪だった
記憶だって、自覚だって全部ある。
そのせいで相変わらずTS性癖を拗らせてるし。

でも、
生まれ変わっても精神の奥底は
変わらないみたいだ。
まるで
そこに居るみたいで、とても安心する。

居るみたいっていうか、本当にいるんだけどね。
わたしという心のどこかに溶け込んでさ。
そもそも同一人物だから当たり前だよね。

「おはようつら、姉たん。
――うぉほおっ!?」

「ん、どうしたの鶴ちゃん。」
「FTM、卒業おめでとうつら。……ぐすんっ。
後一歩つらね。……すんっすんっ。」

そんなに泣く事かな?
泣くのか嗅ぐのかどちらかにして欲しい。
あーあ、お気に入りのパジャマが濡れちゃったよ。

「FTM卒業とは少し違うかな。
私は生まれた時から私だったし。
偶然前世君のタイムリミットが切れたんだよね。
……それより鶴ちゃん。後一歩って何かな?」

「そりゃ勿論オノ君とのイチャラブセ――」

幻サユといい、鶴といい。
わたしのゴールを勝手に決めて貰っては困る。

確かにわたしは女の子だから、
彼と付き合ったりアレな事をするのは
自然だけど……あの変態は嫌。

婚約者になったのだって事故みたいなものだし、
認識としてはよくても相棒って所ね。

マサ兄やアックスのような行き過ぎた愛よりも、
無難に愛してくれる男の子の方が……

――馬鹿言うんじゃねー。
死ぬ程好きだからに決まってんだろ。――

ッ!? 何でよりにもよって
アックスのキザ発言思い返してるの!?
何か顔が熱いし鼓動まで加速しちゃってるよ。

思い出すだけで身体に異常をきたすキモ発言。
……変態、恐るべし。

「もうっ、素直じゃないつらねー!」
「す、素直とかそういうのじゃないわよ!」
「むふふぅ、姉たんもすっかり恋する乙女つらね。
……赤飯炊く?」
「炊かない。」

「んー、姉たんには早過ぎたつらか。
でも祝いたいつらね。」
「祝う?」

「姉たん、今日の朝支度が一通り済んだら
楽しみにしてて下さい! FTM卒業祝い!
今夜盛大に祝ってやるつら!!」

「えぇ。楽しみにしてるわ。」

あー、そういう事ね。
今日という日はわたしだけじゃなく、
みんなにとっても大きな節目。

本当の意味でサユキ・オリバーティアが
生まれた大事な日。

そういえばこの家に戻るのも
1ヶ月ぶりかな。
戻って生活したのは3日って所。

体感少し広くなったけど、気のせいじゃないよね。

去っていく鶴を眺めながら考える。

「てゆーか。マサ兄が大点検したっていうのに
私の部屋は相変わらずね。
今日休日だし、
鶴達の準備をただ待つのも暇ね。」

うーん。なんか名案はないのかな。

「あ、そうだ。私の部屋も一新しよう!」

そうと決まれば行動は早かった。
モーニングルーティンを済ませた後、
部屋へと戻る。

ベットの下をガサゴソと漁り、
かつての私がどハマりしていた
聖本を取り出していく。

かつての私なら発見次第思い出したかのように
表紙のTSヒロインになりきってオナニーを
始めるとこであるが、
いまや1ミリも興奮が湧かない。

好きなコンテンツである事には変わりないけど、
そういう目で見れない。
やはり、変わるというのは
いい事だらけではないようだ。

…………全てアックスに差し出そうかな。



「ふぅ……、一先ず掃除はこれで完了ね。」

結構時間も使ったし、
呼び出されても良い頃合いの筈。

――ぴろりろりんっ♪

デバイスが鳴る。
確認すると、予想通り鶴の呼び出しだった。

わたしは軽い返事をメールで返して
食堂へと集まる。

――パァンっ!!

食堂に着いたと思ったら早々にこれだ。
クラッカーは何処から用意したんだろう。

そんな疑問を吹き飛ばすくらい、
ファミリーのみんなは明るい顔を見せてくれる。

「じゃじゃーんっ! 見て下さい姉たん!
幹部の同僚からいっぱい高級蟹頂いたつら!!」

「お嬢、無理に食べなくてもいいんですよ。」
「安心して下さい。サユキちゃんの分まで
この私が食べますから。」

「ふざけんなキュピネ。サユがメインなんだよ。
ほら、アイリャもなんか言ってやれ。」
「オイルと電気しか食べれない私に
話振らないで下さい。
馬鹿なんですか、馬鹿吸血鬼なんですか?」

たまにファミリーが
仲悪いのか仲良いのか分からなくなる。
いつもの微笑ましい光景なのは変わらないし、
きっと本気で喧嘩する事はないだろう。

なんせ私の為に用意してくれた祝宴。 
みんな楽しむ気なのだから、
当の本人であるわたしが盛り上げなきゃね。

「よーしみんなぁ!! 楽しんでいこー!!」

「「「「「おーー!!!」」」」」

蟹。

言わずと知れた高級食材。
エラや褌を除けばほぼ食べれるいい食材だ。

足の身、腹身、甲羅酒、
甲殻を出汁にスープや炊き込みご飯を作れる。
甲殻を粉砕、粉末状にして利用も出来る。

それより、
祝宴にも関わらず卓に乗る蟹にみな釘付けである。

ここはわたしが先行しよう。

箸を目標目掛け伸ばす。……が。

――カキィンっ!!

「サユキちゃーん。
その1番大きい蟹は私のモノですよぉ~。」

キュピネ、つくづく可哀想な女性である。
ファミリーになる前はどんな生活水準なのか
気になるレベルで食の執念が強い。

この際、譲ってあげるのも優しさなのかな?

「おいキュピネ。
レディーファーストって言葉知ってるか?
鶴の説明通りなら、サユはもう女なんだぞ。」

「私は女性にカウントされてないんですか!?」

「ただのマッドサイエンティストだろ。
サユもサユだ。あんまキュピネを甘やかすな。
モルモットにされる頻度増えるぞ。」
「た、確かに。」

「恋愛音痴ーズ。
マジでモルモットにしましょうかね。」

「分かったわよ、キュピネ。私の負け。
アンタに譲ってあげる。」
「…………サユ。」
「いいの。私の為のイベントが私の所為で
めちゃくちゃになるのは嫌だもの。
――んむむっ!?」

何か口に柔らかいモノが。
ん、この感じ?
……あ、ちゅるんとイケる。

蟹の足身を口に入れられた?
気に入らないけど渡された以上は食べなきゃ。
ごくり。

そして、一呼吸置いて……

「ちょっとアック! 何すんのよぉ!!」
「お味はどうだサユ!」

味……、一瞬だったしそんなの分からないわよ。
今分かるのは、またアックのキザ行為に
よって謎の発作が起きた事くらい。

心臓がバクバクするし、顔も熱い。

「も、もう一度ゆっくり入れなさいよ。
味……分からないじゃない。」

「女のサユ……えろ。」
「今のはオノ君に同意つら。」

「これで恋愛音痴ってマジですかキュピネさん。」
「その通りだよアイリャちゃん。
覚えときなさい。」
「愛弟子、覚悟を決めるんだ!!」

本当にわたしを祝う気あるんですかね?
この人達。
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