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外伝
ウインマレ
しおりを挟む「マルティリアの精霊の木よ、あなたに私が名前をつけましょう」
「名前……?」
「そう、名前よ。海風の木――ウインマレ。どう?」
ビュアンはずっとこの瞬間を夢見ていた。名前を持たぬ精霊木に、自分の言葉で呼びかける日を。木の周りをくるくると飛びながら、返事を待つ目はきらきらと輝いていた。
「ありがとう!」
「よかった」
ビュアンは嬉しそうに頷き、暗い空に向かって祈りを捧げた。
「我が父にして、我らが精霊の王よ。傷ついた我が名付けの子、ウインマレにその力の一片を御示しください。そしてこの森の精霊の子よ、現れて親愛を示しなさい」
雷ではなく、光の筒が天から降り注ぎ、ウインマレを照らす。時を同じくして、隠れていた森の精霊の子たちが現れ、精霊木の周囲をくるくると回り始めた。
ウインマレは喜びの声を上げ、みるみるうちに生命力を取り戻していった。精霊の木が、生きることに希望を持ち、自ら魔力を生み出しているのがわかる。
「元気出た? ウインマレ!」
「ありがとう、ビュアン様、みなさん!」
「ふふふ、じゃあ、また明日くるわね! 大人しくしててね!」
そう言って、ビュアンはノルドの肩に、自慢げに腰を下ろした。
「お疲れ様。大活躍だね、ビュアン」
「ほっておけないもの。疲れたから、甘いもの食べたいな」
「私も……」穴掘りに疲れたリコが叫ぶ。
「ワオーン!」ヴァルは「お肉」と言っているらしい。
きっとサルサは、こうなることを最初から予想していたんだろう――ノルドはそんな気がした。
「ああ、でも……帰っても薬作りが待ってるんだよな……眠いなあ」
森を抜け、キサラギの館へ戻ると、朝の漁港の風景が見えた。支援船が入港し、村民たちの姿も戻ってきている。死んでいた村が、生き返ったようだった。
ノルドたちは目を細め、景色を見つめた。
そこには、確かに「生きよう」とする気配が、息づいていた。
「良かったね。じゃあ、ケーキとお肉の報酬をもらって、部屋で食べよう!」
ノルドたちは足早に、館の中へと入っていった。
ノルドが薬剤室にある簡易ベッドで目を覚ました。部屋にはもう、リコやヴァルの姿はなかった。陽はすでに大きく傾き、窓から射す斜光が棚の薬瓶をやわらかく照らしていた。
彼は一人、昼過ぎまで黙々と製薬作業に没頭して仮眠を取ろうとして……
「おはよう、ノルド」
眠たげな声とともに、ビュアンが姿を現す。彼女も昨夜、薬作り――という名のお喋りをして、最後まで付き合っていた。
森に入ると、湿った空気の中で、遠くから羽音が裂けるのが聞こえた。
魔烏の群れとの戦闘――いや、討伐が行われている。
キサラギとヴィスコンティ姉弟が連携し、一羽ずつ着実に魔烏を仕留めていた。
マルカスが先行して敵影を察知し、サルサが拘束魔法で動きを封じ、キサラギの魔弓が容赦なく撃ち抜く。
「こいつらのせいだ……っ!」
キサラギの矢には、魔力だけでなく、深く燃える怒りが宿っていた。矢がその想いごと空を切り裂いていく。
「そろそろ終わりにしよう。全滅させてはいけない。……お前らが見回りサボったから、魔烏が増えたんだからな」
ニコラは軽口ではあったが、そこには確かな指導の意志があった。
ノルドは軽く会釈し、言葉少なにエルフツリーの元へと向かう。
幹の周囲には魔烏の死骸がいくつも転がり、リコとヴァルが手際よく後始末をしていた。
「あっ、ノルド起きた!」
リコが手を振る。ヴァルはノルドの姿にぱたぱたと尻尾を振った。
「ビュアン様、来てくれた!」
ウインマレ――エルフツリーの声がかすかに揺れた。喜びに満ちた、けれどまだどこか弱々しい声だ。
「まったく、甘えん坊なんだから。でも……元気になったわね」
ビュアンがそっと微笑む。
根元には、まだわずかに汚れた魔力が染み出していた。けれど、その色は明らかに薄れている。森の空気も、わずかに清らかさを取り戻しつつあった。
ビュアンとウインマレが静かに言葉を交わす間に、ノルドは手元の瓶を取り出す。
香りを確かめると、慎重に最後のポーションを木の根へと注ぎ込んだ。
「……これで、もう大丈夫かな」
彼の手は、昨日のように震えていなかった。呼吸も、森と同じように静かだった。
ポーションは、もうすぐ不要になるだろう。むしろ邪魔になるかもしれない。それは治ったということだ。
夜の帳が降りると、森の奥に微かな光が灯った。
昨日は、ビュアンの呼び出しだったが、今日は何も言わずとも、精霊の子たちがそっと姿を現す。
「現金な子たち……でも、ウインマレ、怒らないであげて」
ビュアンが静かに告げる。
「汚れた魔力のそばにいると、精霊だって病気になるの。みんな、怖かったのよ」
「……うん。もう、わかってる。ちゃんと、わかってるよ」
ウインマレの声は、ほんの少し照れていた。
そのとき、精霊の子たちがふわりと明るく輝いた。
『ごめんね、一人にして』
それは、風に紛れて届いた、かすかな謝罪のようだった。
夜の森に、静かな祝福が満ちていた。
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