彼女が残した物語

藤代みのこ

文字の大きさ
2 / 12

第1章-美しき娘

しおりを挟む
― ネフェル視点 ―

陽が高く昇り、穏やかな風が町の広場を吹き抜ける午後。
石畳の上を軽やかに歩く赤髪の娘に、人々の視線が自然と集まっていた。

「ネフェル、おはようさん! 今日もいい笑顔だねぇ」
パン屋の夫婦が、籠いっぱいの焼き立てのパンを掲げる。

「おはようございます、ヨアナさん、マルクさん! この香り、いつにも増して幸せになりますね」
そう言ってネフェルは、鼻をくすぐる香ばしい匂いに目を細めた。

町一番の美人――それが、ネフェルに向けられる常の言葉だった。
けれど、それだけではなかった。
彼女は誰にでも分け隔てなく笑顔を向け、困っている人を見れば手を差し伸べる。
子どもたちには姉のように慕われ、老人には孫のように愛されていた。

何よりも、彼女の芯の強さが町の人々を惹きつけていた。

「あの大工のバルドが酒場で酔って暴れた時、片手で止めたらしいぞ」
「いや、鍛冶屋のトロワと腕相撲して勝ったって話も……」

そんな武勇伝が、町のあちこちで噂される。
だが当の本人は、肩をすくめて苦笑いするばかりだった。
「ちょっと力が強いだけで、大袈裟に言うんだから」と。

広場に面した小さな噴水のそば。
ネフェルは腰を下ろし、いつものように絵本を読んでいる子どもたちの輪に加わる。
膝に子猫をのせた少女が、きらきらとした瞳で言った。

「ねえ、ネフェルお姉ちゃんはお姫様にならないの?」

ネフェルは少し考え、首を傾げた。
「どうだろうね。でも、私は今のこの町が好きだよ。王宮に閉じこめられるなんて、退屈そうじゃない?」

その言葉に子どもたちはクスクスと笑い、誰かが「ネフェルお姫様ばんざーい!」と叫んだ。

まさかそのすぐ後、
本物の“王子”が彼女の人生を狂わせるなど――
この時の彼女は、知る由もなかった。



その日、王都からの使者がやってきた。
目を引く豪華な衣装に、馬の飾りには金の紋章。
誰もがそれが隣国の使者であると気づいた。

「姫……じゃなかった、ネフェル様に、お伝えください」
「我が国の第一王子、アルストリア=カディオール殿下が、正式に求婚のご意志を表明されております」

町の広場が、ざわりと揺れる。
空気が凍りつく。

誰かが叫ぶ。
「なにを言ってる! ネフェルはうちの町の宝だぞ!」

別の誰かが、手に持ったスコップを振り上げた。
「隣国の王子だからって、好きにさせてたまるか!」

ネフェルは立ち上がり、使者の前に進み出た。
静かに、けれど確かな声で言った。

「……そのご縁、私はお断りします」

町中が、彼女の背中を見つめていた。
その小さな身体に、皆が誇りを抱いていた。

だが。

その夜、風のように早く、噂が町を駆け巡った。

――王子は激怒した。
――町を焼き払うと脅している。
――次の月が満ちる前に返事を変えなければ、命はないと。

ネフェルは、夜の屋根に腰かけて月を見上げた。
この町を、皆を守るためにはどうするべきか――その答えを、星に問いかけながら。

月明かりが彼女の赤い髪を照らすと、それはまるで、炎のように揺れていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

退屈令嬢のフィクサーな日々

ユウキ
恋愛
完璧と評される公爵令嬢のエレノアは、順風満帆な学園生活を送っていたのだが、自身の婚約者がどこぞの女生徒に夢中で有るなどと、宜しくない噂話を耳にする。 直接関わりがなければと放置していたのだが、ある日件の女生徒と遭遇することになる。

【完結】子爵令嬢の秘密

りまり
恋愛
私は記憶があるまま転生しました。 転生先は子爵令嬢です。 魔力もそこそこありますので記憶をもとに頑張りたいです。

モブ転生とはこんなもの

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。 乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。 今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。 いったいどうしたらいいのかしら……。 現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。 他サイトでも公開しています。

異世界召喚された巫女は異世界と引き換えに日本に帰還する

白雪の雫
ファンタジー
何となく思い付いた話なので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合展開です。 聖女として召喚された巫女にして退魔師なヒロインが、今回の召喚に関わった人間を除いた命を使って元の世界へと戻る話です。

魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす

三谷朱花
恋愛
 ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。  ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。  伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。  そして、告げられた両親の死の真相。  家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。    絶望しかなかった。  涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。  雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。  そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。  ルーナは死を待つしか他になかった。  途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。  そして、ルーナがその温もりを感じた日。  ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。

完【恋愛】婚約破棄をされた瞬間聖女として顕現した令嬢は竜の伴侶となりました。

梅花
恋愛
侯爵令嬢であるフェンリエッタはこの国の第2王子であるフェルディナンドの婚約者であった。 16歳の春、王立学院を卒業後に正式に結婚をして王室に入る事となっていたが、それをぶち壊したのは誰でもないフェルディナンド彼の人だった。 卒業前の舞踏会で、惨事は起こった。 破り捨てられた婚約証書。 破られたことで切れてしまった絆。 それと同時に手の甲に浮かび上がった痣は、聖痕と呼ばれるもの。 痣が浮き出る直前に告白をしてきたのは隣国からの留学生であるベルナルド。 フェンリエッタの行方は… 王道ざまぁ予定です

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

【完結】何やってるんですか!って婚約者と過ごしているだけですが。どなたですか?

BBやっこ
恋愛
学園生活において勉学は大事だ。ここは女神を奉る神学校であるからして、風紀が乱れる事は厳しい。 しかし、貴族の学園での過ごし方とは。婚約相手を探し、親交を深める時期でもある。 私は婚約者とは1学年上であり、学科も異なる。会える時間が限定されているのは寂しが。 その分甘えると思えば、それも学園生活の醍醐味。 そう、女神様を敬っているけど、信仰を深めるために学園で過ごしているわけではないのよ? そこに聖女科の女子学生が。知らない子、よね?

処理中です...