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久しぶりに戻った実家では父と、以前より少し家計に余裕が出てきて雇えるようになった使用人数名が温かく出迎えてくれた。
私は胸に空いた大きな穴を埋めるように、しばらくは荷物を整理して部屋を片付けたり、旧い知り合いに連絡を取ったりと慌ただしく過ごし、縁談の話は当日前夜、父の書斎で改めて話を聞いた。
「相手は外国の名門辺境伯のご子息だ。」
白髪交じりの顎鬚に手を当てながら父は嬉しそうに言って、我が家に届いた縁談申込の書面を私に手渡した。
署名欄に目を走らせる。
「えっと…」
アルスール…
私の視線は名字のところで固まった。
ベリアル=ファウスト!?!
予想外の相手に私の肌は粟立つ。
ベリアル=ファウスト辺境伯。
隣国…獣人の国の要衝を預かる将軍家だ。こちらの国でも誰もが知っている名前だ。
「数年前に一度お断りしてたけど、また先方からお前を是非にと話が来たよ。まぁ当時とはお前も事情が変わったし、一度会ってみても良いのではないかと、私も思ってね。」
すごい…
現当主のファウスト卿は強いばかりでなく仁義にも厚く、その存在は周辺諸国からも尊崇の眼差しを集めてしまい、さる国の王族からは自国に迎え入れたいと交渉を持ちかけられたという噂も飛び交う。
私も一介の武人として、卿の武勇譚には胸を熱くして…
…ん?ちょっと待って。…
「えと、数年前に一度お断りした…って?」
変な汗が背中を伝う。
「お前が断りの手紙を送ってきた数年前の縁談、あれも同じ家からの最初の打診だっただろう。ちゃんと手紙に書いておいたぞ。」
「!?ふぐぅ…っ」
口から変な声を捻り出してしまった。開いた口が塞がらないまま、今更ながら血の気が引いていく。
…いくら気乗りしない話だったとはいえ、当時はろくに確認もせずにバッサリ断った自分を床にこすりつけて謝りたい。それ以上に青くなって頭を下げたであろう父にも、本当に申し訳ないことをした。
「その、今回の縁談というのは…つまり…?」
急に心臓が掴まれたように言葉が出てこない。
「お前がご子息の番だという話だ。」
「…私がですか!?」
父は静かに頷いて言葉を継いだ。
「とにかく一度ゆっくり話をする機会が欲しいとのことだ。ただお前は獣人ではないから、本人と会ってみて、もしどうしても嫌なら強制はしないとのことだ。」
そっか…。そういうことだったんだ…。
相手の背景と出方を聞いて、今回の縁談への警戒心が少し解けていくのが分かる。
獣人の番が同じ獣人だった場合、出会った瞬間にお互い惹かれ合う。
でも獣人の番が人間だった場合、人間は獣人を番として認識できないため、業を煮やした獣人が番を手に入れようとかなり強引な手段に訴えて、トラブルになることもたまにある。
今回、獣人の貴族家からの申し込みで『どうしても嫌なら強制はしない』というのは珍しい方だと思う。
本来ならば家格的には格下の我が家に対して、しかも一度は非礼を働いたにも関わらず、先方はかなり配慮してくれているようだ。
…卿本人はおろか、そのご子息にも会ったことはないけど、悪い人ではないのかもしれない。
「先方は、また会えるのを楽しみにされているようだったよ。」
…ん?また?
…
うーん…。
獣人側は嗅覚の届く範囲ならば、出会った瞬間に番が分かるらしい。
私は過去の記憶をたどる。
こちらの国にも、留学生や住民として暮らす獣人も普通にいるため、獣人と会って関わったことは確かに何度かあった。でも、番を見つけたかのように接してくる人はいたかなぁ…。
それとも私が王城に出仕した時とか、街で出歩いている時に、一瞬見かけたけど声はかけられなかった、というレベルかもしれない。
身に覚えがなさすぎて、何とも言えない。
これは最悪、人違いだったという可能性もあるかも。
番、か…。
…一瞬、別れを告げたばかりの彼の笑顔が頭をよぎる。
私はかぶりを振り、湧き上がりそうになる思慕の念をそっと振り払った。
番は獣人にとって唯一の存在で、とても大事にされるらしい。
もし本当に私がファウスト卿のご子息の番ならば、令嬢としては色々足りないのは申し訳ない限りだけど、そこはこれまでのように努力で補っていくしかない。
たとえば明日から何度か会ってみて、恋はしなくてもお互いを尊重し合える良い関係が築けそうなら、いきなり断らずに様子を見てみても良いんじゃないかな…。
…うん、そうだな。思っていたような悪い話じゃない。
どう転ぶか分からないけど、とにかく前を向いてやってみよう。…
「分かりました。明日は先方に粗相のないよう努めます。」
私は一礼して書斎を辞す。
廊下をキビキビと歩く足にまとわりつくドレスの裾はもどかしいまま、私は少し軽くなった心で翌日を迎えた。
私は胸に空いた大きな穴を埋めるように、しばらくは荷物を整理して部屋を片付けたり、旧い知り合いに連絡を取ったりと慌ただしく過ごし、縁談の話は当日前夜、父の書斎で改めて話を聞いた。
「相手は外国の名門辺境伯のご子息だ。」
白髪交じりの顎鬚に手を当てながら父は嬉しそうに言って、我が家に届いた縁談申込の書面を私に手渡した。
署名欄に目を走らせる。
「えっと…」
アルスール…
私の視線は名字のところで固まった。
ベリアル=ファウスト!?!
予想外の相手に私の肌は粟立つ。
ベリアル=ファウスト辺境伯。
隣国…獣人の国の要衝を預かる将軍家だ。こちらの国でも誰もが知っている名前だ。
「数年前に一度お断りしてたけど、また先方からお前を是非にと話が来たよ。まぁ当時とはお前も事情が変わったし、一度会ってみても良いのではないかと、私も思ってね。」
すごい…
現当主のファウスト卿は強いばかりでなく仁義にも厚く、その存在は周辺諸国からも尊崇の眼差しを集めてしまい、さる国の王族からは自国に迎え入れたいと交渉を持ちかけられたという噂も飛び交う。
私も一介の武人として、卿の武勇譚には胸を熱くして…
…ん?ちょっと待って。…
「えと、数年前に一度お断りした…って?」
変な汗が背中を伝う。
「お前が断りの手紙を送ってきた数年前の縁談、あれも同じ家からの最初の打診だっただろう。ちゃんと手紙に書いておいたぞ。」
「!?ふぐぅ…っ」
口から変な声を捻り出してしまった。開いた口が塞がらないまま、今更ながら血の気が引いていく。
…いくら気乗りしない話だったとはいえ、当時はろくに確認もせずにバッサリ断った自分を床にこすりつけて謝りたい。それ以上に青くなって頭を下げたであろう父にも、本当に申し訳ないことをした。
「その、今回の縁談というのは…つまり…?」
急に心臓が掴まれたように言葉が出てこない。
「お前がご子息の番だという話だ。」
「…私がですか!?」
父は静かに頷いて言葉を継いだ。
「とにかく一度ゆっくり話をする機会が欲しいとのことだ。ただお前は獣人ではないから、本人と会ってみて、もしどうしても嫌なら強制はしないとのことだ。」
そっか…。そういうことだったんだ…。
相手の背景と出方を聞いて、今回の縁談への警戒心が少し解けていくのが分かる。
獣人の番が同じ獣人だった場合、出会った瞬間にお互い惹かれ合う。
でも獣人の番が人間だった場合、人間は獣人を番として認識できないため、業を煮やした獣人が番を手に入れようとかなり強引な手段に訴えて、トラブルになることもたまにある。
今回、獣人の貴族家からの申し込みで『どうしても嫌なら強制はしない』というのは珍しい方だと思う。
本来ならば家格的には格下の我が家に対して、しかも一度は非礼を働いたにも関わらず、先方はかなり配慮してくれているようだ。
…卿本人はおろか、そのご子息にも会ったことはないけど、悪い人ではないのかもしれない。
「先方は、また会えるのを楽しみにされているようだったよ。」
…ん?また?
…
うーん…。
獣人側は嗅覚の届く範囲ならば、出会った瞬間に番が分かるらしい。
私は過去の記憶をたどる。
こちらの国にも、留学生や住民として暮らす獣人も普通にいるため、獣人と会って関わったことは確かに何度かあった。でも、番を見つけたかのように接してくる人はいたかなぁ…。
それとも私が王城に出仕した時とか、街で出歩いている時に、一瞬見かけたけど声はかけられなかった、というレベルかもしれない。
身に覚えがなさすぎて、何とも言えない。
これは最悪、人違いだったという可能性もあるかも。
番、か…。
…一瞬、別れを告げたばかりの彼の笑顔が頭をよぎる。
私はかぶりを振り、湧き上がりそうになる思慕の念をそっと振り払った。
番は獣人にとって唯一の存在で、とても大事にされるらしい。
もし本当に私がファウスト卿のご子息の番ならば、令嬢としては色々足りないのは申し訳ない限りだけど、そこはこれまでのように努力で補っていくしかない。
たとえば明日から何度か会ってみて、恋はしなくてもお互いを尊重し合える良い関係が築けそうなら、いきなり断らずに様子を見てみても良いんじゃないかな…。
…うん、そうだな。思っていたような悪い話じゃない。
どう転ぶか分からないけど、とにかく前を向いてやってみよう。…
「分かりました。明日は先方に粗相のないよう努めます。」
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