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オリジン
ルーツ・与倉健蔵の日記
しおりを挟む都会から離れた山奥にある町。付近の村々と合併され地図上は町となっているが規模で言えば村と呼ぶ方が相応しい。
実家への帰省は実に十年ぶりだった。
いや、無人の廃屋へ足を運ぶ事を帰省と呼ぶのは少し違和感がある。
最後にここへ訪れたのはそれこそ祖父が亡くなった時だ。
死因は老衰。八十六歳。穏やかな死際だったと思う。
久々に目にする実家の巣がは散々たるものだった。
十年の歳月というのはやはり長かったようで記憶にある家の風景とは随分と違っている。
人の住まなくなった家屋はすぐに劣化すると言うが、確かにこれは酷い。
窓は割れている箇所が目立ち、木造の壁は剥がれかかっている。
入り込んだ動物の仕業だろう、中の畳はボロボロで家具も壊れていた。
中に入るには少々勇気がいる有様だったが、幸いな事に家の中に用は無い。
私は庭に向かった。
わざわざ私が廃墟となった古い実家を訪れた事には理由がある。
ここが廃墟となっても祖父の遺品を残せるよう、簡素ではあるが庭先に倉庫を建てた。
祖父の全てはこの中に仕舞っている。この中に私が見たいものがあるのだ。
倉庫の中は埃こそ積もっているが、綺麗な状態だった。
一番奥に仕舞い込んだその金庫。十年前の事だというのに仕舞った場所もダイヤルのキーも昨日の事のように覚えていた。
金庫を開けると中に入っていたのは複数の冊子だ。
綴じられた和紙の束、表紙に「蛟」と一筆されたその本が目を引く。
だがこれでは無い。
それについてはよく知っている。
無数にある冊子の中から私が手に取ったのは他のものに比べ年代が新しい、というよりも一般的な市販の日記帳。
日記帳は何冊かあり、それぞれ表紙に書かれた年代が書かれている。
祖父の残した日記だ。
生前、私には決して見せずその存在さえも隠していた代物だ。
祖父の遺書には死後これを見ずに焼くようにと書いてあった。
清廉潔白な祖父の事だ。やましい事が書いているわけで無いだろう。ましてや見られるのが恥ずかしいなどと言った理由で遺書にまで書く事はありえない。
そもそもその程度のなら日記の存在を隠す必要は無い。
きっとこの日記は私が見てはいけないものなのだ。遺書の指示は私を気遣っての事なのだろう。ならばそれに従うのが私の為であり、祖父の為でもあったはずだ。
しかし、私にはこのその行動は取れなかった。
何故なら、その時は勇希が湧かず出来なかったが、この日記帳には私が知るべき事が載っている筈なのだ。
「拝見させて頂きます。おじいさん」
私は表紙に書かれた年代から目星をつけ、その内の一冊を手に取った。
日記は毎日では無かったが少なくとも週に一度は何かしらの出来事を書いてあった。
六十歳を過ぎてから書き始めたようでざっと見たところ十五年間ほど書き続けているようだ。
ふと目を止めた。
『昭和○○年六月八日、聡子より赤子を取り上げた』
聡子というのは母の名前だ。
母は私を産んでから直ぐに亡くなったと聞かされていた。実際は生きていて気を病んでずっと精神病院に居たと知ったのは中学に上がってからだ。
父に関しては何も分からない。ただ悪い人間では無かったようだ。
私を育ててくれたのが祖父だった。つまり、両親の居ない私にとって唯一の肉親だった。
そして私は中学を卒業すると逃げるようにこの土地から離れた私は恩知らずという訳だ。
日記には取り上げたと書いてある。預かったでは無い。
わざわざこう書いたという事はよっぽどの事があったのだろうか。
それ以降、母の名は出てこなくなった。この時期にはもう病院に入っていたようだ。
『河伯婦人が現れた。大した用では無かったが不吉だ』
河伯婦人。その文字に目が止まる。
幼少の頃から私はその人物が苦手だった。
いや、正直に言おう。怖かった。
黒のレース、ゴシックファッションに身を包んだ老女。その不気味な見た目もそうだが本当に怖いのはその倫理観だ。
一般社会のそれに近いがその本質がまるで違う。人ではなく神を中心にあの女の世界は回っている。そしてその価値観を他人に押し付けるだけの力を持っている。
それこそ私がこの土地から逃げた一番の理由は河伯家の存在だ。この土地に留まっていてはいつか致命的な事が起きる。そんな気がしていたのだ。
日記は当たり障りないとこから行事、河伯家の事など雑多に書かれている。
その中には私の記憶と一致するものがあった。
私が最初にこの冊子を読んだのは日記の整合性を確かめる為だ。
私が本当に知りたいのは私が産まれる前の事だ。
私はそれを祖父から聞かされてい。祖父は私の家族の事、出生の事を墓場まで持っていった。
その墓場がここだ。ある意味、この倉庫こそ本当の祖父の墓場だ。
私は日記帳の一番最初の一冊を手に取った。
『孫たちからの日記帳のプレゼント。こんなに嬉しい事はない』
日記の始まりだろう。
孫たちとある。私はこの時産まれていないし、兄弟は居ないはずだ。
ぱらぱらと捲る。
ある文字を見つけ私の手が止まった。
『星一郎が小学校に上がるお祝いに何か送らなければ』
「星一郎か……」
無意識の内に目線は『蛟』と書かれた書物へ向けられている。
読まなくても良い。知っている、産み合わせだ。
お貢ぎに出した子供の代わり。新しく産んだ子供に名前を引き継ぐ。
つまりは……。
「私は産み合わせだったのか」
今、自分が苦い表情をしているのが分かる。
ショックはある。当然だ。
自分がこの土地の時代錯誤きわまる因習によって産まれてきたのだと知ったのだ。
だが、覚悟の範囲だった。祖父が隠していた以上、その予感していた。
私にはこの土地に纏わる事柄の予備知識がある。産み合わせの事は知っていた上、自分の家族の状況には疑問を持っていた。
しかし、腑に落ちない点がある。
母が産み合わせをしたのだろうか。
記憶に残る母の姿。気を病んだあの人は罪の意識に囚われていたようにも見えた。
「それにしても、私には兄弟がいたのか」
私の兄弟。日記を読み進めれば断片的だが分かってきた。
星一郎と昌という名の姉がいたようだ。
星一郎はお貢ぎとなった。もうこの世には居ないのだろう。
だが、姉の昌はどうなのだ。
日記には突然、失踪したと書いてある。それ以降、この昌という人物の名は出てこない。
当時、眞鍋昌は高校生だった。多感な時期ではある。
そして、その時期と言うのはお貢ぎと重なる。
河伯家と何かあったのか。これに関して想像も出来なかった。
日記にも彼女の行動を思わせる事は書かれていなかった。
「これで少しは決着がついたのだろうか」
私は日記帳を閉じる。気づけば日が沈みかけていた。
数冊の日記帳、当然全ての冊子を読めたわけではなく、流し読みであったが、私の出生以前の事を大体は把握することができた。
今日の所は引き上げよう。
建物は倉庫以外廃墟も同然の状態な上、この町に滞在するのは気が進まなかった。
宿は少し離れた別の町で取ってある。
日記帳を金庫へ戻し倉庫を出る。この町の物を外へ持ち出すつもりもない。
私は実家を後にして、車を停めている近くの空き地へ向かおうとした。
その時だった。
「あらあら、こんばんわ。こんな夜更けにどうしたのかしら、星一郎ちゃん」
「な?!」
耳に粘着く妖艶な声。不意に掛けられたその声に私は足が竦む。
「いらっしゃい。何年ぶりかしらねぇ」
私は正に蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。
日は沈んでいてその全容を見る事は出来ない。
だが、黒のレースに身を包んだシルエットはたとえ見えなくても容易に思い出せた。
そこに河伯婦人が居る。
そんなはずは無いと頭で否定するが、そこには確かに河伯婦人が存在していた。
「立派になったわね。ほら顔をもっと良く見せて頂戴」
河伯婦人はまるで久々に会った親戚の子にでも言うような調子だ。
一歩一歩こちらに近付いて来るのが分かる。
「なんで……」
歩み寄る脅威に体が反応する。止まれ、それ以上、近づけては駄目だ。
私はようやく声を絞り出す事が出来た。
「何で貴女がまだ居るんですか……」
そうだ。ありえない事だ。
「この村はもう廃村になった。誰も住んでいない筈だ」
高齢化に過疎化。付近のダム開発。何も珍しい話ではない。何処の田舎にもある緩やかな滅びだ。
そう、ここはもう既に滅びた筈だ。そう知ってるからこそ、私は戻ってこられたのだ。
うふふ。と河伯婦人は笑う。私が子供だった頃の姿のままで。
「まだ終わっていないのよ」
河伯婦人が足を止めた。
顔はまだ見えない。しかし、口元にどんな笑みを浮かべているのかは分かる。爬虫類じみた捕食者のそれだ。
「だってまだあなたがいるじゃない」
「何を……言って」
河伯婦人はうふふと笑う。
私は知っている。この女は何もしてこない。私に危害を加える事は無い。今までずっとそうだった。
何もせずただ意味深な事を言って笑うだけだ。
だが、私にはそれが耐えられない。たがら逃げたのだ。
そして今、私の両足は踵を返し、その場から逃げ去った。
「また、いつでもいらっしゃい」
河伯婦人の笑い声を背に私は走った。
後日、私は日記の続きを読む事はなく全てを燃やした。
今更遺言通りにしたとはとても言えないが、知るべきは知ったと思う。もう私にあの日記は必要ない。
それに、私とこの土地をつなぐ物を消し去りたかった。
私の探究心は河伯婦人に折られてしまったという事だ。
せめてもの抵抗……になるかは分からないが私はこの土地の因習を異常姦見聞録に載せる事とした。
今思えば、体験談の取材は私にとっては賭けだったのかもしれない。
私は当初、体験談を嘘や勘違い、つまりは偽物であると仮定して言ってしまえば斜に構えた取材をしていた。
それは私自身の過去、町の因習が偽物であって欲しいという思いから来ていた。
だから私は誰に頼まれるでもなく調査を行い、体験談の裏取りを行った。レポートの為ではない。レポートへ書くのは考察やコメント。真実は必要ない筈だ。
偽物であると確信できれば私は安心したのだろう。
しかし、私の元に集まった体験談は本物だった。勿論全てとは言わない。だが、調査の過程で私が体験し、目撃したものが私に本物の怪異の存在を裏付けさせた。
町の因習は、河伯家は、彼らが崇める神は本物なのだろう。
そしてここで生まれた私もきっと、何かが違うのだ。
これからも、私は異常姦見聞録の取材を続けて行く事になる。
私が今後、知るのは果たしてどんな恐ろしい怪異なのか。
私は今まで抱いていた漠然とした恐怖の正体を知ってしまった。
これからはこの恐怖と付き合っていかなければならない。
『自分自身が物語の登場人物に成れるチャンスなんて滅多にあるもんじゃないよ』
桑村の言葉を思い出す。
どうやら私は彼女の能天気さを見習わなければならないようだ。
自分の身を守るためにも。
後から知ったのだが、河伯家はこの土地が廃村となった後に宗教を立ち上げた。
あの宮殿と呼ばれていた施設を再利用してだ。今ではそこで信者と共に暮らしているらしい。
勿論、そこを訪れようなどとは心にも思わない。
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