巨大虫の居る町

黄金稚魚

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黙諾の花嫁

八話 洞々亭

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 女将に案内されラウラは和室へと通された。
 一人で泊まるには十分すぎるほど広い。窓からは下の庭園が一望できる。
 夜になった町には灯りが少なく暗闇ばかりが目立っていた。

「ツツジの間です。お風呂は備え付けておりませんので大浴場をご利用ください」

 食事の時間やお風呂の場所など、ひとしきり説明を終えると女将は出ていき襖が閉じた。

「はぁ」

 帽子掛けにキャップ帽をかけて、ジャケットを乱雑に脱ぎ捨てる。
 大の字になって畳の上に転ぶと大きな溜息が溢れた。

 今日は間違いなくラウラの人生で最も密度の濃い一日だった。
 

「お風呂……」

 食事まで時間がある。今日は厭な汗を沢山流した。
 ラウラはゾンビのような足取りで浴場へ向かった。
 


 御影みかげ温泉。

 旅館の目玉である露天風呂。背の高い竹の仕切りに囲まれてその反対側には川が流れている。
 名前の由来なのだろうか、円盤ユーフォーみたいな形をした大きな岩が置いてあり、温泉はその影の中にあった。

 雰囲気は悪くない。
 それに他に客がいないお陰で他人の目を気にする事なくのびのびと過ごせる。

 これがただの小旅行ならラウラも気分が盛り上がっていたところだろう。
 しかしラウラの表情は明るくはなかった。


「私、ちゃんと帰れるのかな」

 不安そうにそう溢す。
 湯船に肩まで浸かりぼんやりとしていると考えたくも無い事がつぎつぎと頭中に浮かんでくる。


 月花が話した虫神の存在。それは実態としてこの町に居るものだった。
 その正体は人と交尾する巨大な虫。

 知ってしまった今、慶香町はラウラを素直に返してくれるのだろうか。

 暖かいお湯の中に居るのにラウラは震えが止まらなかった。

「あぁ怖いなぁ」



 夕食の時間になるとラウラは女中に連れられ広間に移動した。
 本来なら複数人で使うらしい。別の宿泊客同士でも共同で食事を摂る事がこの旅館の決まりらしい。しかし生憎と今日の宿泊客はラウラだけ。
 温泉はともかく一人での食事を少し寂しく思っていたラウラだがそこには先客の姿があった。


「なんでいるんですか?」

「あっどうも」

 驚くラウラの視線の先には制服姿のまま月花が座っていた。

「いやさ。お姉さん一人でご飯食べるのは寂しいかなって思って」

 えへへと笑う月花。ラウラが困り顔で女中の方を見るときょとんとした表情を見せた。
 どうやら月花は初めからこうするつもりで手を回していたようだ。机の上に並べられた料理は二人分ある。

「家は良いんですか?」
「まぁまぁ、座ってよ」

 ちょいちょいと手招きする。言われるままに席に座るラウラ。

「ここのお鍋美味しいよ。泊まらなくてもさ、ご飯だけってコースもあってね。居酒屋みたいなこともやってるんだよ」

 月花はコップにオレンジジュースを注いでラウラの前に置いた。

「びっくりしましたよ。さっき別れた時に言ってくれれば良かったのに」

「ならサプライズ成功だね」

 月花はラウラをじっと見つめる。その眼差しには鋭いものが込められていた。

「浴衣着てるんだ」

「え? もしかして変?」

 温泉から出た後は浴衣に着替えていた。
 月花の反応から着付けを間違えたのかと思いラウラは確認する。

「いや。そんな事ないよ」

 月花は元の表情に戻っていた。顔が整っているせいか、戯けている時と真剣な表情とでメリハリが良く分かる。


 二人分の鍋がグツグツと煮えている。中の肉はまだ赤い。もう少し待った方がいいだろう。

「こんな席を用意してくれたという事は私にまだ言いたいことがあるんですか?」

「まぁね。というかお姉さんいろいろと考え込んでたし、疑問まだまだあるでしょ。わからない事をほっといたら怖いだけだよ?」

 月花はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべてる。見透かしたような態度は正直な所、いい気はしなかった。

 全くその通りだった。聞いておかなければ夜も眠れなくなるかもしれない。
 というより安心して寝て良いものなのか。まずはそこだった。

「なら、聞きますよ?」
「いいよ」

「私はこれからどうなんるですか?」

 月花はすぐには答えなかった。オレンジジュースに口をつけ一口飲むと真剣な表情を作った。

「どうなると思う?」
 
 凛とした佇まいで月花は逆に問う。
 幼い印象の強い月花だが、ふとした拍子に見せるこの顔には大人以上に威厳がある。まるで予言でも授けようとする神官のようなの顔だ。


「私は………」

「わぁい。お姉さんびびってるー」

 月花の表情が一変した。手を叩いて喜び、オレンジジュースを一気飲みする。

「月花?」

「ぷあはっ………そんな怖い顔しないでよ。冗談だよじょーだん」

「悪趣味すぎますよ」

「うーん。自覚はちょっとだけある」

「いつか怒りますよ」

 ため息をまた一つ溢した。自分のコップに注がれたオレンジジュースを見てラウラは酒が飲みたいと思った。

「ごめんごめん。お姉さん怒ると怖いから怒らないでよ。別に、知られたからには生きては返さん! とか言うつもりは無いよ」

「本当?」

「嘘じゃないよ。このまま何事も無く朝を迎えて、そのまま帰れば大丈夫」

「無事に帰れる保証はあるの?」

「私を信じてよ。なんというか……慶香町はねお姉さんが思ってるよりかはずっとオープンなんだ」

「月花への信用はさっきので無くなりましたけど?」

「むぅ。あ、ご飯食べないの? 冷めちゃうよ」

 月花に急かされ料理を見る。鍋の肉はすっかり火が通っていた。
 並べられた料理は魚を中心としたもので刺身やヤマメの塩焼きがメインとなっている。月花との話に夢中で注目していなかったが立派なご馳走だ。
 
 ラウラは目についた那須の煮浸しを口にした。口当たりの良い白だしが溶けるように広がっていく。

「おいしい」

「魚も食べなよ。たぶん町で取れたやつだから新鮮だよ」

「刺身も?」

 カンパチやヒラメ、マグロなんかが見える。

「ごめん。マグロは自信無いかも」

「そういえば海にも面してるんでしたね。潮の匂いとかないですけど」

「狭いし山一個挟むからね。近づかないと潮の匂い全然しないよ」

「やっぱり広いですね、この町……」

 感心したように言うラウラ。
 その言葉の途中でその広大な土地が全て地図から消され世間から隠されているのだと気づきぞっとした感覚を背筋に浮かべた。


「お姉さんさ、東の山から入ってきたでしょ」

「はい。他に入口があるとは知りませんでした」

「バスとかフェリーのこと?」

「フェリーは初耳です。知ってたら山道なんて使いません」

「まぁでも関係者ぐらいしか使えないし、知ってても同じだったかも」

「帰りはそれを使うこと事はできませんか?」

「難しいかな。フェリーは乗らせてもらえないだろうし、バスなら……鞄に入ったお姉さんを私が運ぶって方法なら」

「却下します」

 もっとマシな案は無かったのか。月花の中では町の外に出る事は密入国とイコールなのだろうか。

「ええっと。まぁ帰るなら同じ道を使ってもらう事になるかな」

「さっきも言いましたが私は山道の途中で一度襲われました。できれば通りたくないです。あの蠅……」

銀翅産尋ぎんばうじん

「言われても覚えらないです」

「解説いる?」

「聞きたくないですけど……対策とかあれば」

「山から民家どこにでもいる活動範囲が広い虫神。数いる虫神の中でも特に性欲旺盛で一日で少なくとも七度はヤってるのが特徴かな」

「……月花?」

 その類の話は要らないと、言おうとしたが月花は止まらなかった。

「蟲継……性交時に分泌される体液は媚薬効果がある上、依存性も高い。これは虫神なら共通で持ってる特徴だけど、銀翅産尋は格別。特にそう、体験者に言わせれば脳を掴まれるような快楽。まっほんとに掴むやつもいるけど。そういうやつと比べても即効性があると言えばいいのかな。とにかく一度性交しただけで抜け出せなくなる程の依存性を発揮するケースもある。はじめての相手が銀翅産尋なら特に危険。町に銀翅産尋の中毒者用の区画があるぐらいだからね」

 月花の説明は早口だったし頭に入ってこなかった。並べられた単語もラウラの中で卑猥のフォルダにカテゴライズされている単語だ。半分以上聞き流した。

「ヤられなくて良かったね」

 トドメにこの台詞だ。食事中にそんな事を言われたくはなかった。

「まぁ安心してよ。虫神とは言え誰彼構わず虫継セックスするわけじゃない」

「そうなんですか?」

「そう。基本的に虫神は相手を絞る。誰でも狙う銀翅産神が珍しいぐらい。だいたいは同じ相手、風習的な言葉で言うなら蟲継巫女むしつぎみこに選んだ女の子を繰り返し使う。まぁ複数人選ばれる事も多いし、新しい子を探してる場合もある」

「全然安心できません」

「安心できなかったかー」

 にへへと笑い月花は刺身をパクパクと口に放り込んだ。


「気になってたのですが、この町ではは日常の存在なのですか?」

「そうだよ。一日でそこに気づけるなんてやるじゃん」

 月花は目を輝かせた。
 どうやらラウラのその抱いた疑問は月花にとって重要なポイントらしい。

「この町の最大の特徴は虫神という存在が日常に溶け込んでいる所にあります」

 大学教授のような口ぶりで自説を語る月花。さっきから明らかに説明を楽しんでいる。

「この町で生まれ育ったなら言わずもがな、当たり前に居るせいで半年も経てば誰でも慣れる」

「でもなんで外にバレないのですか? 月花の話では町への出入りは簡単なんですよね」

「それは分かるでしょ。場所が場所だから外から来る人なんて滅多に居ない。せいぜい一年に一度、あるかないかのビックイベントだよ。お姉さんがその例だね」

「納得出来ません」

「嘘ぉ。どうして?」

「昔の時代ならそれでもいいですが、今の時代にはコレがあります」

 ラウラはスマートフォンを見せびらかすように掲げた。

「ボタンひとつで世界中に拡散することができます」

「やらないよ」

 きっぱりと月花は言った。

「誰もそんな事やらないよ。お姉さんもそうでしょ?」

「そう……ですけど」

 断言しきる月花。ラウラ自身この町のことを暴露するつまりは一切無いが、どうしてそう言い切れるのかラウラには不思議だった。

「帰り道、無事に町を出たいなら私が一緒に行ってあげるよ」

「本当ですか?」

 願ってもない申し出だった。月花が同行してくれるならこの上なく心強い。

「ただ明日帰るならって条件がつくけどね。平日は学校あるし、私暇そうに見えて実は忙しいんだ。でもね。その場合はお姉さんの目的が果たせなくなるけど……」

 それでもいいの?

 月花が言いたい事は分かる。

 ラウラの目的は両親を探すことだった。例えばこの町がラウラが想定してたような限界集落、あるいは普通の町だったならそれは達成できたはずだ。
 町の規模が大きかろうが、本人さえ居るのなら時間をかければ必ず見つかる。ラウラは自分が満足するまで、最低でも一週間は探して回る覚悟だった。

「私が簡単に帰れるって言ったのは、すぐに帰る場合だよお姉さん。虫神はでも神様だからね。関われば無事じゃ済まない」

 そう、慶香町には虫神が居た。いたのだ。

 虫神はその存在も恐ろしいが、何より恐怖なのは女を犯すという点だ。
 ラウラはもう三回も虫神に遭遇している。次も無事に済む保証はない。天秤に乗せるにはあまりにも釣り合わない。
 
 身の安全にはかえられない。そこまでの覚悟は持ち合わせていなかった。

「諦めます。そしてこの町の事は忘れます。それでいいんですよね」

 それでも悔しそうに言うラウラ。

「ふぅん」

 何か思うことがあったのか。それっきり月花は口を閉ざしてしまった。気まずい沈黙のまま残った料理を平らげる。

「まぁいいや。ごちそうさま」

 月花は箸を置くと立ち上がった。

「明日朝また来るから部屋で待っててね。お昼ぐらいまでなら一緒に回れると思う」

 それが最後のチャンスだと言うのだろう。

「はい。お願いします」


 月花は明確な終わりを提示した。それは確かに安心できるものだった。
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