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黙諾の花嫁
十二話 緊急避妊薬
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「ここは?」
目を覚ますと、ラウラは車の後部座席に寝かされていた。
「おっお姉さん起きた?」
助手席から月花が顔を覗かせる。記憶が曖昧だった。身体が痛い。
「手荒な事してごめんね」
「手荒な真似?」
「覚えてる?」
ラウラの脳裏に今朝までの出来事がフラッシュバックする。
「いっ……!」
「叫ばないでよ」
「いやぁあああああああ」
月花が止めたが無駄だった。出来れば思い出したくもないような記憶。叫ぶなというのも無理な話だろう。
「静かに」
運転席から厳つい声が放たれた。
車を運転しているのは恰幅の良いスキンヘッドの男だ。膨らんだ筋肉をスーツに無理やり詰め込んでいる。ちらりと見えた顔面は彫が濃く、黒のサングラスをかけていた。
どう見ても堅気の人間には見えなかった。
男の威圧するような雰囲気に気圧されてラウラは叫び声を止めた。
「流石。泣く子も黙る。呼んで正解だったよ」
「………」
ラウラは不安そうに月花を見た。
「誘拐じゃないから安心して」
月花はせせら笑う。「コイツ見た目だけだからさ」と月花なペシペシと肩を叩くとスキンヘッドの大男は小さく会釈した。
ごほんと咳払いする月花。
「今からお姉さんを病院に連れて行く」
「えっどこに?」
「中虫壁診療所。そこに虫神の避妊処置が出来る唯一の医者が居る。まぁそう言う事だよ」
そう言って月花は不敵な笑みを作ってみせた。
「なっ?! いけませんお嬢さん」
スキンヘッドが声を荒げた。
口調は丁寧だがドスの効いた低い声にラウラは萎縮した。
「出来るんだからやればいいじゃん。闇走は百パーセント着床わけじゃないんだし、問題ないでしょ」
「しかし、そんなこと御祖父様に知られれば」
「従って」
月花はその一言でスキンヘッドを黙らせた。上下関係はどうやら月花の方が上らしい。
「私、助かるんですか?」
ラウラは震え声で聞いた。
「できる限りのことはしてあげる。私はお姉さんの味方だからね。同情するし強力する」
程なくして目的地にたどり着いたようで車が止まる。
看板には確かに「中虫壁診療所」とある。
こじんまりとした二階建ての病院だった。駐車場だけがやけに広い。
「行くよ。連絡はしてあるから診察室直行するね」
「無茶はしないで下さいよ」
運転手のスキンヘッドは車に残る様だ。ラウラにも何か言いたそうにしていたが一度閉じた彼の口が開くことはなかった。
サングラス越しに睨まれながらラウラは車を降りた。
中では二人ほど待合室で待っていた。先客をスルーして月花は診察室へと入っていく。
受付の看護師は何も言わずペコリと一礼するだけだった。
スキンヘッドの言動といい、病院の態度といい、月花の家はこの町で大きな力を持っているように思えた。
受付に保険証だけ渡すとラウラもすぐに診察室へ入った。
診察室には白衣を着た若い長身の男が座っていた。この診療所の主である中虫壁藍一郎だ。
背は高いがどこか弱々しい印象の男だった。例えるなら柳の木だろう。痩せ気味の骨っぽい顔は医者としても大人の男としても頼りなさげだ。
特に今しているように眉をハの字に曲げた表情をしているとそのイメージに拍車がかかる。
「月花さん困りますよ。まんまり勝手な事ばかりされると」
藍一郎は開口一番、月花への苦情を口にした。
「この人が昨日話した外の人。可哀想だからいいでしょ? 助けてあげて」
「そういう問題ではありません。いつもいつも貴方は急なんですから」
「いいから」
ラウラはこのやりとりだけで普段から月花がこの医者をぞんざいに扱っているのだと分かった。
二人は旧知の中に見えた。親戚のような距離感で話している。
ため息混じりに藍一郎がラウラへ向き直った。
「はじめまして。この診療所を任されています中虫壁藍一郎と言います。瀬野ラウラさんでよかったですよね?」
「はい」
「本来であれば診察から始めたい所ですが緊急の要件と聞いてます」
ちらりと藍一郎は月花を見た。顎で返事をする月花。
「虫神の避妊でよろしいでしょうか?」
藍一郎は声を抑えて言った。
「避妊……」
ラウラの顔が強張る。虫神と人は子供を作る事が出来る。昨日の晩、月花から聞いていた話だ。
それだけは厭だ。
「分かりました。早速ですがこちらを処方させて頂きます」
藍一郎は戸棚の鍵を開け中からカプセル錠を一粒取り出した。
「これは?」
「緊急避妊薬です」
その一言でラウラの目に僅かながら光が戻る。それはおそらく唯一と言って良い希望だった。
緊急避妊薬は避妊に失敗した場合、後から飲む事で緊急的に避妊を行う薬だ。
精子の接触を防ぐ一般的な避妊法とは違い薬を用いて主に着床を妨げる事で避妊を行う。
「くださいっ!」
「ダメです。まずは医師として、説明をさせて下さい」
「でも……早く!」
ラウラは必死だった。
緊急避妊薬には時間制限がある。一般的に性行為から服用までの時間が短ければ短い程高い効果が得られる。
だからラウラは一刻も早く薬が欲しかった。
当然だ。一秒の遅れで虫神の子を孕まされるかもしれないのだ。
「いいですか? 緊急避妊薬は服用により妊娠の可能性は低くなります」
食い下がるラウラを宥め、藍一郎は説明を始めた。
薬の処方は医師による説明と患者の合意が無ければ行えない。
それを分からないラウラでは無かった。だが焦る気持ちを抑えられない。藍一郎の説明はほとんど頭に入ってこなかった。
「通常、その避妊成功率はおそよ九十パーセントと高確率です。ですが虫神による性行の場合、専用の緊急避妊薬が必要となります」
藍一郎が資料を机の上に広げた。簡単な緊急避妊薬の解説が図で書いてあった。
「それがこの薬です。対象が対象なので残念ながら否認可ですが、六十パーセントの避妊成功率が見込めます」
「確実ではないんですか?」
「はい。残念ながら」
藍一郎は申し訳なさそうに言った。具体的な数値やなラウラの心は揺さぶられた。六十パーセントという確率は今のラウラにとって生死の別れ目と言っても過言ではない。
「ですが現在の所、緊急避妊薬はこの一種類しかなく、ラウラさんの体質に合わせた選択というのは行えません。副作用も強いです」
「どんな副作用ですか?」
「主な副作用は発熱、吐気、腹痛、頭痛、眠気、倦怠感です。その中でも眠気は直ぐに症状が出て、意識を保てないような強い睡魔が断続的に続きます」
「問題ないです」
力強くラウラは言った。
藍一郎はコップを用意してそこへ水を注いだ。
「説明は以上です。最後に否認可の薬を使う為、名目上は治験となります。同意書へのサインをお願いします」
「分かりました」
よく読むようにと藍一郎は言ったがラウラ軽く目で追っただけで読み飛ばしてサインした。
差し出された薬をひったくるように受け取り、躊躇いもせず一気に飲み込んだ。
ごくん。
カプセルが喉を伝い胃の中へ落ちていった。後は薬が効くのを祈るだけだ。
「……はぁ、はぁ」
涙だが頬を伝い落ちる。縋る思いで飲み込んだ緊急避妊薬だが、ラウラの不安はむしろ薬を飲む前より増していた。
けして安心できる確率ではない。これ以上出来ることはないのか。頭がどうにかなりそうだった。
「そろそろこれからの話をしよっか」
ベットに座って待っていた月花がそう言った。
「妊娠の判定が出るまでの間。お姉さんにはこの町に居て貰うよ」
「……この町に?」
「ピルは六十パーセントしか効かないんだよ。つまり四十パーセントの確率で新しい虫神が産まれる。そんな状態のお姉さんを外に出す事はできないよ」
それは何かの冗談か?
感情の消えた顔でラウラは月花の目をまじまじと見た。
「落ち着いてください。これは瀬野さんの安全の為に必要な処置です」
藍一郎がラウラの肩に手を置いた。それを払い除けてラウラは勢いよく立ち上がった。
「待って」
ラウラは殆ど本能的に動いていた。月花も藍一郎も今のラウラを帰すつもりは無いと察したのだ。
這いつくばるような姿勢で駆け出した。藍一郎が止めようとするが伸ばした手は届かなかった。
診察室のドアを開き廊下に出た。慌てた様子で飛び出したラウラに視線が集まる。待合室には患者が驚き顔で座っている。
看護師は受付の中だ。
問題ない。逃げられる。
そう確信した瞬間、ラウラは急な睡魔に襲われた。
「………あ」
目の前が真っ暗になる。手足から力が抜けていく。ラウラは崩れるように床へ倒れた。
「だから言ったのに」
月花がのんびりとした歩幅で近づいてくる。
「まぁ今は寝てた方が幸せかもね。後は私が考えるから」
しゃがみ込むと月花はラウラの身体を抱き起こして頭を撫でてた。もう何も考えられなかった。ラウラの瞼がゆっくりと落ちていく。
「おやすみ、お姉さん」
月花の優しい声が遠退く意識の中何重にも重なって響いた。
目を覚ますと、ラウラは車の後部座席に寝かされていた。
「おっお姉さん起きた?」
助手席から月花が顔を覗かせる。記憶が曖昧だった。身体が痛い。
「手荒な事してごめんね」
「手荒な真似?」
「覚えてる?」
ラウラの脳裏に今朝までの出来事がフラッシュバックする。
「いっ……!」
「叫ばないでよ」
「いやぁあああああああ」
月花が止めたが無駄だった。出来れば思い出したくもないような記憶。叫ぶなというのも無理な話だろう。
「静かに」
運転席から厳つい声が放たれた。
車を運転しているのは恰幅の良いスキンヘッドの男だ。膨らんだ筋肉をスーツに無理やり詰め込んでいる。ちらりと見えた顔面は彫が濃く、黒のサングラスをかけていた。
どう見ても堅気の人間には見えなかった。
男の威圧するような雰囲気に気圧されてラウラは叫び声を止めた。
「流石。泣く子も黙る。呼んで正解だったよ」
「………」
ラウラは不安そうに月花を見た。
「誘拐じゃないから安心して」
月花はせせら笑う。「コイツ見た目だけだからさ」と月花なペシペシと肩を叩くとスキンヘッドの大男は小さく会釈した。
ごほんと咳払いする月花。
「今からお姉さんを病院に連れて行く」
「えっどこに?」
「中虫壁診療所。そこに虫神の避妊処置が出来る唯一の医者が居る。まぁそう言う事だよ」
そう言って月花は不敵な笑みを作ってみせた。
「なっ?! いけませんお嬢さん」
スキンヘッドが声を荒げた。
口調は丁寧だがドスの効いた低い声にラウラは萎縮した。
「出来るんだからやればいいじゃん。闇走は百パーセント着床わけじゃないんだし、問題ないでしょ」
「しかし、そんなこと御祖父様に知られれば」
「従って」
月花はその一言でスキンヘッドを黙らせた。上下関係はどうやら月花の方が上らしい。
「私、助かるんですか?」
ラウラは震え声で聞いた。
「できる限りのことはしてあげる。私はお姉さんの味方だからね。同情するし強力する」
程なくして目的地にたどり着いたようで車が止まる。
看板には確かに「中虫壁診療所」とある。
こじんまりとした二階建ての病院だった。駐車場だけがやけに広い。
「行くよ。連絡はしてあるから診察室直行するね」
「無茶はしないで下さいよ」
運転手のスキンヘッドは車に残る様だ。ラウラにも何か言いたそうにしていたが一度閉じた彼の口が開くことはなかった。
サングラス越しに睨まれながらラウラは車を降りた。
中では二人ほど待合室で待っていた。先客をスルーして月花は診察室へと入っていく。
受付の看護師は何も言わずペコリと一礼するだけだった。
スキンヘッドの言動といい、病院の態度といい、月花の家はこの町で大きな力を持っているように思えた。
受付に保険証だけ渡すとラウラもすぐに診察室へ入った。
診察室には白衣を着た若い長身の男が座っていた。この診療所の主である中虫壁藍一郎だ。
背は高いがどこか弱々しい印象の男だった。例えるなら柳の木だろう。痩せ気味の骨っぽい顔は医者としても大人の男としても頼りなさげだ。
特に今しているように眉をハの字に曲げた表情をしているとそのイメージに拍車がかかる。
「月花さん困りますよ。まんまり勝手な事ばかりされると」
藍一郎は開口一番、月花への苦情を口にした。
「この人が昨日話した外の人。可哀想だからいいでしょ? 助けてあげて」
「そういう問題ではありません。いつもいつも貴方は急なんですから」
「いいから」
ラウラはこのやりとりだけで普段から月花がこの医者をぞんざいに扱っているのだと分かった。
二人は旧知の中に見えた。親戚のような距離感で話している。
ため息混じりに藍一郎がラウラへ向き直った。
「はじめまして。この診療所を任されています中虫壁藍一郎と言います。瀬野ラウラさんでよかったですよね?」
「はい」
「本来であれば診察から始めたい所ですが緊急の要件と聞いてます」
ちらりと藍一郎は月花を見た。顎で返事をする月花。
「虫神の避妊でよろしいでしょうか?」
藍一郎は声を抑えて言った。
「避妊……」
ラウラの顔が強張る。虫神と人は子供を作る事が出来る。昨日の晩、月花から聞いていた話だ。
それだけは厭だ。
「分かりました。早速ですがこちらを処方させて頂きます」
藍一郎は戸棚の鍵を開け中からカプセル錠を一粒取り出した。
「これは?」
「緊急避妊薬です」
その一言でラウラの目に僅かながら光が戻る。それはおそらく唯一と言って良い希望だった。
緊急避妊薬は避妊に失敗した場合、後から飲む事で緊急的に避妊を行う薬だ。
精子の接触を防ぐ一般的な避妊法とは違い薬を用いて主に着床を妨げる事で避妊を行う。
「くださいっ!」
「ダメです。まずは医師として、説明をさせて下さい」
「でも……早く!」
ラウラは必死だった。
緊急避妊薬には時間制限がある。一般的に性行為から服用までの時間が短ければ短い程高い効果が得られる。
だからラウラは一刻も早く薬が欲しかった。
当然だ。一秒の遅れで虫神の子を孕まされるかもしれないのだ。
「いいですか? 緊急避妊薬は服用により妊娠の可能性は低くなります」
食い下がるラウラを宥め、藍一郎は説明を始めた。
薬の処方は医師による説明と患者の合意が無ければ行えない。
それを分からないラウラでは無かった。だが焦る気持ちを抑えられない。藍一郎の説明はほとんど頭に入ってこなかった。
「通常、その避妊成功率はおそよ九十パーセントと高確率です。ですが虫神による性行の場合、専用の緊急避妊薬が必要となります」
藍一郎が資料を机の上に広げた。簡単な緊急避妊薬の解説が図で書いてあった。
「それがこの薬です。対象が対象なので残念ながら否認可ですが、六十パーセントの避妊成功率が見込めます」
「確実ではないんですか?」
「はい。残念ながら」
藍一郎は申し訳なさそうに言った。具体的な数値やなラウラの心は揺さぶられた。六十パーセントという確率は今のラウラにとって生死の別れ目と言っても過言ではない。
「ですが現在の所、緊急避妊薬はこの一種類しかなく、ラウラさんの体質に合わせた選択というのは行えません。副作用も強いです」
「どんな副作用ですか?」
「主な副作用は発熱、吐気、腹痛、頭痛、眠気、倦怠感です。その中でも眠気は直ぐに症状が出て、意識を保てないような強い睡魔が断続的に続きます」
「問題ないです」
力強くラウラは言った。
藍一郎はコップを用意してそこへ水を注いだ。
「説明は以上です。最後に否認可の薬を使う為、名目上は治験となります。同意書へのサインをお願いします」
「分かりました」
よく読むようにと藍一郎は言ったがラウラ軽く目で追っただけで読み飛ばしてサインした。
差し出された薬をひったくるように受け取り、躊躇いもせず一気に飲み込んだ。
ごくん。
カプセルが喉を伝い胃の中へ落ちていった。後は薬が効くのを祈るだけだ。
「……はぁ、はぁ」
涙だが頬を伝い落ちる。縋る思いで飲み込んだ緊急避妊薬だが、ラウラの不安はむしろ薬を飲む前より増していた。
けして安心できる確率ではない。これ以上出来ることはないのか。頭がどうにかなりそうだった。
「そろそろこれからの話をしよっか」
ベットに座って待っていた月花がそう言った。
「妊娠の判定が出るまでの間。お姉さんにはこの町に居て貰うよ」
「……この町に?」
「ピルは六十パーセントしか効かないんだよ。つまり四十パーセントの確率で新しい虫神が産まれる。そんな状態のお姉さんを外に出す事はできないよ」
それは何かの冗談か?
感情の消えた顔でラウラは月花の目をまじまじと見た。
「落ち着いてください。これは瀬野さんの安全の為に必要な処置です」
藍一郎がラウラの肩に手を置いた。それを払い除けてラウラは勢いよく立ち上がった。
「待って」
ラウラは殆ど本能的に動いていた。月花も藍一郎も今のラウラを帰すつもりは無いと察したのだ。
這いつくばるような姿勢で駆け出した。藍一郎が止めようとするが伸ばした手は届かなかった。
診察室のドアを開き廊下に出た。慌てた様子で飛び出したラウラに視線が集まる。待合室には患者が驚き顔で座っている。
看護師は受付の中だ。
問題ない。逃げられる。
そう確信した瞬間、ラウラは急な睡魔に襲われた。
「………あ」
目の前が真っ暗になる。手足から力が抜けていく。ラウラは崩れるように床へ倒れた。
「だから言ったのに」
月花がのんびりとした歩幅で近づいてくる。
「まぁ今は寝てた方が幸せかもね。後は私が考えるから」
しゃがみ込むと月花はラウラの身体を抱き起こして頭を撫でてた。もう何も考えられなかった。ラウラの瞼がゆっくりと落ちていく。
「おやすみ、お姉さん」
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